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    <title>パックマン on 昭和44年男</title>
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    <description>Recent content in パックマン on 昭和44年男</description>
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      <title>パクパクと、東京のゴミと――昭和の5月22日</title>
      <link>https://showa44man.com/posts/showa-may-22/</link>
      <pubDate>Thu, 21 May 2026 09:00:00 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;p&gt;5月22日。私にとってこの日付は、黄色い丸い生き物と、東京じゅうに積み上がったゴミの山という、まったく違う二つの光景が重なる日だ。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;パクパクが迷路を走り出した日&#34;&gt;「パクパク」が迷路を走り出した日&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;昭和55年（1980年）5月22日、渋谷のゲームセンターに一台の筐体が置かれた。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;黄色い丸がパクパクとエサを食べながら迷路を走り、赤・ピンク・青・オレンジの4匹のモンスターから逃げる。ゲームの名前は『パックマン』。ナムコが送り出したそのゲームが、のちに世界を席巻することになるとは、だれも思っていなかっただろう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;パックマン筐体（名古屋市博物館、2020年）&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/pacman-nagoya.jpg&#34;&gt;
&lt;em&gt;Photo by inunami / &lt;a href=&#34;https://creativecommons.org/licenses/by/2.0/&#34;&gt;CC BY 2.0&lt;/a&gt;&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;当時、ゲームセンターはスペースインベーダーの衝撃がまだ冷めやらない頃だった。エイリアンを撃つ、戦車を撃つ。アーケードというのは「撃つ」場所だった。ところが、パックマンには敵を攻撃する要素がない。ひたすら「食べて逃げる」だけだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;開発者の岩谷徹氏は「アーケードは暴力的なゲームであふれていた。エイリアンをやっつけるような内容のものばかりだった」と振り返る。だからこそ、違うものを作りたかった。食べることをテーマにした、やわらかいゲームを。パックマンという名前も、物を食べる時の「パクパク」という日本語の擬態語から生まれた。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;私がパックマンをはじめて目にしたのは、あの安い倉庫みたいなゲームセンターだったと思う。30円か50円のコインを握りしめて薄暗い店内に入ると、ブラウン管の光の中でそのまるっこい黄色い顔が笑っていた。レバーを4方向に倒しながら迷路を走る感覚は、それまでのシューティングゲームとはまるで違っていた。「逃げる」という体験が、あんなに面白いとは知らなかった。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&#34;敵にはそれぞれ性格があった&#34;&gt;敵には、それぞれ「性格」があった&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;ゲームに夢中になりながら、私たちは気づかないうちにある不思議を感じていたはずだ。「なんか敵が生きてるみたいだな」と。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;実は4匹のモンスターには、それぞれ個性が設計されていた。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;赤の「アカベイ」はパックマンをしつこく追いかけてくる。ピンクの「ピンキー」は追いかけるのではなく、パックマンの進行方向の先へ先回りする。水色の「アオスケ」は気まぐれな動きをして、どこへ来るか読みにくい。オレンジの「グズタ」はパックマンに近づきすぎると急にふらふらと離れていく。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これは「個性のある敵キャラクター」という発想の、世界でも最初期の試みだった。今でいえばAIのような概念が、1980年という時代にすでに迷路の中に息づいていた。「追う」「先回り」「気まぐれ」「迷う」という4つの行動パターンが絡み合うことで、迷路の中の戦況は毎回違う顔を見せた。それが「なんか生きてる感じ」の正体だったのだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;今から46年前のゲームが、現代のAI技術にも通じる考え方を持っていたとは、当時の子どもだった私には想像もできなかった。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;パックマンには迷路を攻略するパターンがあり、友達の間で「このルートで行けば5面まで死なない」という攻略法が口伝えに広まった。放課後のゲームセンターで真剣に迷路を走る子どもたちの後ろに人だかりができる。そんな光景が各地であったはずだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;1980年から7年間で総販売台数は約29万台を超え、「最も成功した業務用ゲーム機」としてギネス・ワールド・レコーズにも認定された。あの黄色い丸が初めて走り出したのが、昭和55年の今日だったとは、当時は知るよしもなかった。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;東京がゴミ戦争を戦っていた日&#34;&gt;東京が「ゴミ戦争」を戦っていた日&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;もうひとつ、この5月22日には忘れられない出来事がある。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;昭和48年（1973年）5月22日、東京・江東区が杉並区のゴミ搬入を実力で阻止した日だ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「東京ゴミ戦争」という言葉は、正直なところ、私の記憶にない。当たり前といえば当たり前で、昭和48年の私はまだ4歳だった。怒鳴り合うニュース映像もわかるはずがない。それでも、この出来事を調べていたとき、ふと頭に浮かんだ光景があった。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;葛飾区・水元のあの温水プールだ。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&#34;社会科見学とゴミを燃やす熱&#34;&gt;社会科見学と、ゴミを燃やす熱&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;小学4年生、昭和54年ごろのことだ。葛飾区の小学生は「社会科見学」で水元の葛飾清掃工場を訪れた。職員の方に焼却炉の仕組みを教えてもらい、ゴミを燃やした時に出る熱が蒸気となって、隣接する施設のプールを温めていると聞いた。「ゴミの熱でプールが温かくなる」という話は、10歳の子どもにも妙に印象深く残った。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;見学のあと、友達とそのプールでばちゃばちゃと泳いだ。余熱利用の仕組みは頭に入っていたけれど、それがどんな歴史の流れの上にあるのかまでは、もちろんわかっていなかった。&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&#34;自分のゴミは自分で処理せよ&#34;&gt;「自分のゴミは自分で処理せよ」&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;ゴミ戦争のあらましはこうだ。江戸時代から現代まで、東京のゴミを受け入れてきた土地が江東区だった。昭和40年代の大量消費社会でゴミが激増すると、江東区の「夢の島」はハエやネズミが大量発生する悪臭の島と化した。東京都は各区に清掃工場を建設して「自区内処理」を推進しようとしたが、杉並区では住民の反対で建設計画が何度も頓挫した。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;杉並区で5月21日に反対派による流会が起きたため、江東区では翌5月22日、杉並区のゴミ搬入を実力阻止した。東京都清掃労働組合も連帯してボイコットし、杉並区内のゴミ収集は止まった。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;自分たちのゴミを処理する施設を「うちには要らない」と拒み続けた結果、区内にゴミの山が積み上がる。この対立は全国ニュースとなり、「自分のゴミは自分の区で処理する」という原則が東京じゅうで問い直された。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;夢の島（1989年・航空写真）&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/yumenoshima-1989.jpg&#34;&gt;
&lt;em&gt;東京・江東区の夢の島。かつてゴミで埋め立てられた島は、現在は公園として整備されている。／国土交通省 国土地理院「国土画像情報（カラー空中写真）」&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
&lt;h3 id=&#34;あの夏のプールと歴史の線&#34;&gt;あの夏のプールと歴史の線&lt;/h3&gt;
&lt;p&gt;その問い直しの流れが、東京各区の清掃工場整備を加速させた。葛飾区も例外ではなかった。工場が整備されれば、その焼却熱を地域に還元しようという発想が生まれる。余熱は蒸気となり、隣接する施設のプールを温める。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;私が友達と泳いだあの水元のプールは、その歴史的な流れの終着点のひとつだったのだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「東京ゴミ戦争」→「自区内処理の推進」→「各区の清掃工場整備」→「余熱利用施設（温水プール）の設置」&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;社会科見学でその仕組みを教わっていたのに、どうしてその工場ができたのか、なぜ余熱利用という発想が生まれたのか、その背景まで考えたことは一度もなかった。4歳の私には届かなかったニュースが、10歳の私をプールで泳がせていたとは。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;昭和55年5月22日、黄色い丸が東京の繁華街に生まれた日。
昭和48年5月22日、東京じゅうのゴミの置き場をめぐって大人たちが怒鳴り合った日。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;子どもには見えなかったことが、50年近く経ってようやくつながる。歴史の線は、いつもあとから引かれるものらしい。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;あなたの子ども時代に「あれはそういうことだったのか」と気づいた出来事は、何かあるだろうか。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;em&gt;「昭和の今日は何があった日？」は、昭和40年〜64年のできごとを、ひとつひとつ掘り起こしていく連載です。&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;em&gt;▼ 昭和の今日は何があった日？（前後の記事）&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
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