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    <title>大平正芳 on 昭和44年男</title>
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    <description>Recent content in 大平正芳 on 昭和44年男</description>
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      <title>【昭和の今日は何があった日？】6月28日──世界が石油に揺れた日、十歳の私はドラえもんに夢中だった</title>
      <link>https://showa44man.com/posts/showa-june-28/</link>
      <pubDate>Sun, 28 Jun 2026 06:00:00 +0900</pubDate>
      <guid>https://showa44man.com/posts/showa-june-28/</guid>
      <description>&lt;p&gt;今日は6月28日。梅雨の晴れ間に、夏の重たい空気が少しずつ混じりはじめる頃です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;カレンダーの上では何でもない一日に見えますが、この6月28日という日付は、戦後の日本が「世界の中の自分」をどう見つめてきたかを、不思議なほど映し出しています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;1979年（昭和54年）のこの日、東京で初めての先進国首脳会議――&lt;span class=&#34;hl-y&#34;&gt;「東京サミット」&lt;/span&gt;が開かれました。そしてそのちょうど十年前、1969年（昭和44年）の同じ6月28日。私が生まれた年の新宿で、夜ごと若者たちが歌い、ついに機動隊と衝突した日でもありました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span class=&#34;txt-blue&#34;&gt;赤坂に世界の宰相が集った日。新宿に名もなき若者が集った日。&lt;/span&gt;同じ日付の十年違いに、昭和という時代の二つの顔が見えてきます。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;赤坂に集った七人の宰相&#34;&gt;&lt;span class=&#34;txt-blue&#34;&gt;赤坂に集った、七人の宰相&lt;/span&gt;&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;1979年6月28日から二日間、東京・赤坂の迎賓館に、世界の主要国の首脳が集まりました。第五回先進国首脳会議、通称「東京サミット」。サミットが日本で開かれるのは、これが初めてでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;1979年・東京サミットに集った各国首脳。焼け野原から立ち上がった日本が、世界の宰相をもてなす側に回った瞬間だった。（Photo: パブリックドメイン, via Wikimedia Commons）&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/summit-tokyo-1979.jpg&#34;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そもそもサミットとは、先進国の首脳が一堂に会し、世界経済や国際政治の難題を膝詰めで話し合う場です。第一回は1975年、フランスのランブイエに集まったのが始まりでした。敗戦からわずか三十数年、その「先進国クラブ」の主催国に日本がなったということは、この国が名実ともに世界経済の一角を担う大国へと駆け上がった証でもありました。焼け野原から立ち上がった国が、世界の宰相をもてなす側に回る――東京サミットは、&lt;span class=&#34;hl-b&#34;&gt;戦後日本の一つの到達点&lt;/span&gt;だったのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;議長を務めたのは、日本の大平正芳首相。「アーウー宰相」とも呼ばれた、あの独特の語り口の人です。そのテーブルには、アメリカのカーター大統領、フランスのジスカール・デスタン大統領、西ドイツのシュミット首相、イタリアのアンドレオッティ首相、カナダのクラーク首相、そしてイギリスのサッチャー首相が顔をそろえました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;議題の中心は、&lt;span class=&#34;txt-orange&#34;&gt;石油&lt;/span&gt;でした。前年に起きたイラン革命の余波で原油の供給が激減し、世界は「第二次石油危機」のただ中にあったのです。各国は日本に石油輸入の数値目標を示すよう迫り、大平首相は「数値を出せば内閣がつぶれる」との危機感から抵抗を重ねたと、後の外交文書には残っています。最後には押し切られる形で、日本は目標値を受け入れました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;二度目の石油危機は、六年前の第一次石油危機ほどの大混乱こそ招きませんでしたが、それでも「省エネルギー」という言葉が日常に浸透し、節電や節約が盛んに呼びかけられた時代でした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;会議の前には、物騒な事件もありました。開催前の6月8日未明、迎賓館の正門めがけて無人の小型トラックが突っ込み、街路樹に衝突して炎上したのです。過激派による犯行声明が出され、東京は厳戒態勢に包まれました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そんな大ニュースの渦中、小学四年生の私は何を見ていたのか――。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;正直に申し上げます。このサミットのことを、私は今もってまるで覚えていないのです。少し前に流行った国会答弁の言葉を借りるなら、&lt;span class=&#34;txt-red&#34;&gt;「記憶にございません」&lt;/span&gt;。世界の宰相が赤坂に集まろうと、大平首相が石油に頭を悩ませていようと、十歳の私の関心は、まったく別のところにありました。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;記憶にございません十歳の私の1979年&#34;&gt;&lt;span class=&#34;txt-blue&#34;&gt;「記憶にございません」──十歳の私の1979年&lt;/span&gt;&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;では、小学四年生だった私の1979年は、いったい何でできていたのか。サミットの記憶は空っぽなのに、こちらは驚くほど鮮明によみがえってきます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;まず、この年に&lt;span class=&#34;hl-y&#34;&gt;『ドラえもん』のテレビアニメが始まりました&lt;/span&gt;。「どこでもドア」さえあれば、行きたい場所へひとっ跳び。「もしもボックス」があれば、どんな世界だって作り出せる。あの未来の道具たちに、私はどれほど憧れたことでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;木曜の夜は、家族そろって『ザ・ベストテン』の前に陣取るのが我が家の決まりでした。1979年は本当に名曲ぞろいで、「魅せられて」「関白宣言」「ガンダーラ」「銀河鉄道999」「YOUNG MAN」「夢追い酒」……毎週のランキング発表に、家族で一喜一憂したものです。土曜の夜には『8時だョ！全員集合』、ほかにも『クイズダービー』や『欽ちゃんのどこまでやるの！』。茶の間は、いつも笑い声で満ちていました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;マンガといえば、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『ドカベン』『がきデカ』、そしてこの年に連載が始まった『キン肉マン』。少し前から続くインベーダーゲームの熱もまだ冷めず、ポケットにはスーパーカー消しゴム、店先にはガチャガチャ、友達はラジコンやBB弾の鉄砲に夢中でした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;サミットも石油危機も、まるで別世界の話。十歳の私の世界は、テレビとマンガと駄菓子屋とで、ぴかぴかに輝いていたのです。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;サッチャーから高市へ四十七年越しの縦糸&#34;&gt;&lt;span class=&#34;txt-blue&#34;&gt;サッチャーから高市へ──四十七年越しの縦糸&lt;/span&gt;&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;ふたたび、赤坂のテーブルに目を戻します。あの東京サミットのテーブルにいたサッチャー首相は、実はこのとき、首相になってまだ二か月足らずでした。1979年5月に就任したばかりの、&lt;span class=&#34;hl-b&#34;&gt;イギリス史上初の女性首相&lt;/span&gt;。その初めての大きな国際舞台が、この東京だったのです。女性が一国の宰相を務めること自体がまだ世界的にも珍しかった時代、男性ばかりが居並ぶ首脳の中で、サッチャーの姿はひときわ目を引いたことでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;1979年、首相就任まもないマーガレット・サッチャー。男性ばかりの首脳の中で、その姿はひときわ目を引いた。（Photo: White House photo office / パブリックドメイン）&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/thatcher-1979.jpg&#34;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それから四十七年。2026年6月、フランス東部の保養地エビアンで開かれたG7サミットに、日本の高市早苗首相が出席しました。2025年10月に就任した、&lt;span class=&#34;hl-p&#34;&gt;日本で初めての女性総理大臣&lt;/span&gt;。彼女にとっても、これが初めてのG7でした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;不思議な縁を感じたのは、高市首相がサミットに先立って訪れた英国で、サッチャー元首相がかつて使っていた執務室を訪ねていたことです。報道によれば、高市首相はその仕事ぶりに思いを馳せ、自らも強い意志をもって必要な変革を成し遂げる、と語ったといいます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;1979年の東京で世界デビューを飾った女性宰相サッチャー。2026年のエビアンで、その背中に思いを重ねた日本初の女性宰相。同じ六月のサミットという舞台で、四十七年の時を越えて二人の女性指導者が結ばれている――そう思うと、少し胸が熱くなります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そして、もう一つ繰り返されていたものがあります。&lt;span class=&#34;txt-orange&#34;&gt;石油&lt;/span&gt;です。1979年がイラン革命による石油危機なら、2026年はホルムズ海峡をめぐる中東情勢の緊迫。エネルギーの安定供給が、またもサミットの主要議題になりました。資源を持たないこの国は、半世紀近くたっても、同じ不安の前に立たされ続けているのです。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;十年前の同じ日昭和44年私が生まれた年の新宿&#34;&gt;&lt;span class=&#34;txt-blue&#34;&gt;十年前の同じ日──昭和44年、私が生まれた年の新宿&lt;/span&gt;&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;ここで時計を、東京サミットのちょうど十年前に戻します。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;1969年（昭和44年）。私が四月に、この世に生まれた年です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;当時の日本は、高度経済成長のただ中にありながら、足元では学生運動が燃え盛っていました。この年の1月には、東大の安田講堂に立てこもった学生たちが機動隊によって排除され（東大安田講堂事件）、全国の大学が紛争に揺れ、翌1970年の日米安保条約改定を見すえて、街には不穏な熱気が満ちていました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;その熱気が歌になって噴き出した場所が、新宿駅の西口でした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;新宿駅西口の地下広場。1969年、ここに最大七千人が集い歌った。やがて「広場」は「通路」へと名を変えられる。（Photo: CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons）&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/shinjuku-west-underground.jpg&#34;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;1969年の春ごろから、毎週土曜の夕方になると、西口の地下広場に若者たちが集まり、ギターを手に反戦歌を歌うようになります。「ベトナムに平和を！」を掲げるベ平連の青年たちが中心でした。岡林信康の「友よ」、高田渡の「自衛隊に入ろう」をもじった「機動隊に入ろう」――歌は人を呼び、議論を呼び、最大で約七千人が地下広場を埋めたといいます。人々はそこを&lt;span class=&#34;hl-y&#34;&gt;「反戦広場」&lt;/span&gt;と呼びました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;彼らが訴えたのは、ベトナム戦争への反対でした。アメリカの戦争に、日本も加担しているのではないか――そんな問いが、若者たちの口から歌になって響いたのです。決まった指導者がいるわけでも、整然とした組織があるわけでもありません。仕事帰りの勤め人や通りすがりの学生までが足を止め、見知らぬ者同士が肩を並べて声を合わせる。地下広場は、誰もが主役になれる不思議な熱気に包まれていました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかし、膨れあがった集会を当局は見過ごしませんでした。そして6月28日の夜、ついに機動隊と若者が衝突します。地下に催涙弾が撃ち込まれ、六十名以上が逮捕され、通りがかりの女性まで巻き添えで負傷する騒ぎとなりました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;翌日、警察は地下広場に道路交通法を適用し、案内表示はひと晩のうちに&lt;span class=&#34;hl-b&#34;&gt;「西口広場」から「西口通路」へと書き換えられました&lt;/span&gt;。「広場」であれば人は立ち止まり、歌い、語り合える。けれど「通路」では、立ち止まることすら許されない。名前を変えるだけで、空間の意味が一変したのです。歌声は、七月を最後に姿を消しました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;このとき、私は生後二か月あまりの赤ん坊でした。当然、何ひとつ覚えてなどいません。けれど、私が産声をあげたその年、私の生まれた東京の街で、これほどの熱と衝突があったのだと思うと、妙に感慨深いものがあります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;思えば昭和44年という年は、高度経済成長の繁栄と、それに異を唱える若者たちの叫びとが、激しくぶつかり合った年でした。豊かさへ向かって突き進む大人たちと、その足元で「本当にこのままでいいのか」と問いを突きつける若者たち。私は、そんな時代の只中に生まれ落ちたことになります。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;おわりに&#34;&gt;&lt;span class=&#34;txt-blue&#34;&gt;おわりに&lt;/span&gt;&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;世界を変えようと新宿の路上で歌った若者たちの熱は、わずか十年のうちに鎮められ、「広場」は「通路」へと姿を変えました。その同じ十年で、日本は世界の首脳を迎える経済大国へと駆け上がります。私はちょうどその十年を、赤ん坊から十歳の少年へと育ちながら生きていたわけですが、当の本人ときたら、『ドラえもん』と『ザ・ベストテン』に夢中の毎日でした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;東京サミットの議長を務めた大平正芳首相は、その約一年後、1980年（昭和55年）6月12日、首相在任のまま急逝します。日本で初めてのサミットをやり遂げた人が、一年も経たぬうちにこの世を去ったのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;1969年、私が生まれた年の新宿では、若者が「世界を変えたい」と歌い、1979年、十歳の私の頭の中は「どこでもドア」でいっぱいで、その傍らで世界の宰相たちが石油に頭を悩ませていました。そして2026年、日本初の女性首相が、フランスでまた同じ石油の心配をしている。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;6月28日という一日を手がかりにたどってみると、世界の中の日本の姿が、半世紀分つながって見えてきます。あなたが生まれた年、あなたの街では、どんなことが起きていたでしょうか。少し調べてみると、思いがけない時代の顔に出会えるかもしれません。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;あの夏、新宿の地下広場で本当は何が起きていたのか。当時その場に立っていた一人の女性が、半世紀の時を経て、写真と言葉で「広場」の記憶をたどった一冊があります。歴史の教科書には数行で終わってしまう出来事の、その熱と息づかいにふれてみたい方に。&lt;/p&gt;
&lt;div class=&#34;amz-box&#34;&gt;
  &lt;div class=&#34;amz-box-body&#34;&gt;
    &lt;div class=&#34;amz-box-title&#34;&gt;1969 新宿西口地下広場&lt;/div&gt;&lt;div class=&#34;amz-box-note&#34;&gt;大木晴子・鈴木一誌／新宿書房。あの「反戦広場」に立っていた当事者が綴る、写真と記憶の記録&lt;/div&gt;
    &lt;a class=&#34;amz-box-btn&#34; href=&#34;https://www.amazon.co.jp/dp/4880084387?tag=showa44man22-22&#34; target=&#34;_blank&#34; rel=&#34;nofollow sponsored noopener&#34;&gt;Amazonで見る ›&lt;/a&gt;
  &lt;/div&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;p&gt;&lt;em&gt;このブログ「昭和の今日は何があった日？」では、昭和四十年から六十四年（一九六五〜一九八九年）の出来事を、当時子どもだった私の目線で、日々つづっています。あなたの「昭和のあの日」の記憶も、よろしければコメントで教えてください。&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
&lt;!-- showa-nav --&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;em&gt;▼ 昭和の今日は何があった日？（前後の記事）&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;</description>
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