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    <title>桑田佳祐 on 昭和44年男</title>
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    <description>Recent content in 桑田佳祐 on 昭和44年男</description>
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      <title>【昭和の今日は何があった日？】6月25日──「何だ、この騒がしいバンドは!?」</title>
      <link>https://showa44man.com/posts/showa-june-25/</link>
      <pubDate>Thu, 25 Jun 2026 06:00:00 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;p&gt;今日は六月二十五日。梅雨空がつづき、夏のにおいが少しずつ近づいてくる頃です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;昭和の子どもにとって、木曜日の夜には特別な意味がありました。夜九時、テレビの前に座る。『ザ・ベストテン』が始まる。その週のヒット曲が一位から十位まで、順番に流れていく。司会は久米宏さんと黒柳徹子さん。ランキングに入った歌手は、たとえ地方にいようと、駅のホームにいようと、その場から中継でつないで歌わされる——そんな大胆な番組でした。ときに視聴率は四割を超え、日本中の家族が、同じ時間に同じ歌を聴いていた時代です。歌のうまい歌手、きれいな歌手、かっこいい歌手。お茶の間は、その時間だけ小さな音楽ホールになりました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;昭和五十三年（一九七八年）の六月二十五日。一枚のシングルレコードが世に出ました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;strong&gt;サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;のちに「国民的バンド」と呼ばれることになる彼らの、これがデビューでした。でも、当時小学三年生だった私にとって、サザンとの出会いは「感動」でも「あこがれ」でもありませんでした。最初の感想は、こうです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;strong&gt;「何だ、この騒がしいバンドは!?」&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;一枚のシングルレコードから、すべては始まった。（Photo: Evan-Amos / パブリックドメイン）&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/vinyl-record.jpg&#34;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;木曜九時今週のスポットライトの衝撃&#34;&gt;木曜九時、「今週のスポットライト」の衝撃&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;『ザ・ベストテン』には、「今週のスポットライト」という名物コーナーがありました。まだベストテン入りはしていないけれど、もうすぐランクインしそうな注目の曲を、新人歌手などに歌わせる枠です。これから世に出ようとする歌手にとって、晴れの舞台でした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;その夏、画面が突然、どこかのライブハウスからの中継に切り替わりました。映し出されたのは、大勢の若者がひしめく熱気の中で、今まさに演奏している新人バンド。それがサザンオールスターズでした。いつもは華やかなスタジオから流れてくるはずの音楽番組に、汗と熱気でむんむんした地下のライブハウスが、そのまま映し出される。その時点で、もう何かがふつうではありませんでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;正直に言います。歌詞が、まったく入ってこないのです。早口で、英語みたいで、何を歌っているのかさっぱりわからない。「勝手にシンドバッド」という曲名すら、聞き取れたかどうかあやしいくらいでした。子ども心に浮かんだのは、ただひと言、「何だ、この騒がしいバンドは!?」でした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それでも——「ラララ～♪」のところだけは、なぜか耳に残りました。あのフレーズが流れたときのインパクトは、それまでテレビで見ていたピンク・レディーや沢田研二とは、また違うものでした。きれいでもなく、かっこいいでもなく、ただ、まったく新しい何か。意味はわからないのに、体のどこかがざわつく。そういう種類の「新しさ」だったのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;（あとから知ったのですが、このスポットライト登場は、実はデビューから二か月ほど経った八月三十一日のことでした。新宿のライブハウス「ロフト」からの生中継だったそうです。六月二十五日のデビューを、私たち子どもがテレビで「目撃」したのは、夏の終わりだったというわけです。）&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;ピンクレディーの夏に現れた異物&#34;&gt;ピンク・レディーの夏に、現れた異物&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;昭和五十三年の夏といえば、何といってもピンク・レディーでした。「UFO」「サウスポー」と、社会現象のようなヒットを次々に飛ばし、ピンク・レディーの振り付けは、子どもたちみんなのものでした。沢田研二さん——ジュリーも、かっこよさの頂点にいました。喫茶店ではインベーダーゲームが流行りはじめ、街にはピコピコという電子音が鳴り出した、そんな夏です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;サザンの故郷・茅ヶ崎の海。夕暮れに富士山が浮かぶ湘南の景色は、彼らの音楽そのものだ。（Photo: Makoto_Lab / CC BY 4.0, via Wikimedia Commons）&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/chigasaki-twilight.jpg&#34;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;テレビの中の「スター」とは、ああいうきらびやかな人たちのことだ。子どもの私は、そう思い込んでいました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そこへ、短パン姿で、上半身裸で、何を言っているのかわからない歌を早口でまくしたてる男たちが現れたのです。きれいでもなければ、決めの振り付けもない。スターのお手本からは、まるで外れている。だから私は、「何だ、この騒がしいバンドは!?」と思ったわけです。今になって思えば、その「外れている感じ」「異物感」こそが、サザンの正体だったのですが。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;勝手にシンドバッドというふざけた名前&#34;&gt;「勝手にシンドバッド」という、ふざけた名前&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;あとから知ったことですが、サザンと『ザ・ベストテン』は、同じ昭和五十三年生まれの「同期」でした。番組が始まったのが一月十九日、サザンのデビューが六月二十五日。新しい時代の音楽と、それを映す新しい番組が、同じ年に並んで走り出していたのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そして、あの「ふざけた感じ」には、ちゃんと理由がありました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「勝手にシンドバッド」という曲名。これは前の年に大ヒットした、沢田研二さんの「勝手にしやがれ」と、ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」を、くっつけたような名前なのです。当時の大人も子どもも、「なんだそのタイトルは」「コミックバンドか?」と思いました。私がピンク・レディーや沢田研二と比べて「違う」と感じたのは、ある意味あたりまえだったのかもしれません。彼らはその二つの大ヒット曲を、わざとごちゃ混ぜにしたような名前で登場してきたのですから。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;桑田佳祐さんの、あの早口で巻き舌の歌い方も、当時は賛否両論でした。日本語をわざと英語っぽく崩して、転がすように歌う。だから歌詞が聞き取れない。——のちに別の歌番組では、あまりに歌詞が聞き取れないため、画面に歌詞のテロップを出したと言われています。今ではどんな歌番組でも当たり前になった「歌詞テロップ」は、このあたりが始まりだったとも言われているのです。つまり、「歌詞が入ってこない」と思っていたのは、私だけではありませんでした。日本中が、そう思っていたのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;今でこそ信じられませんが、昭和五十年代の半ばごろまで、日本では「日本語はロックに乗らない」と、本気で考えられていた時代がありました。英語ならまだしも、日本語であの強いビートに歌詞を乗せるのは無理だ、と。ところが桑田さんは、日本語を英語のように崩し、まくしたてることで、その「常識」をあっさり壊してしまいました。私が「何を歌っているのかわからない」と感じたあの歌い方こそ、実は日本の歌の歴史を変えてしまった発明だったのです。もちろん、子どもの私にそんなことが分かるはずもありません。ただ、「騒がしいな」と思っていただけでした。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;目立ちたがり屋の芸人です&#34;&gt;「目立ちたがり屋の芸人です」&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;スポットライトに登場したサザンは、見た目からして強烈でした。メンバーはジョギング用の短パン姿。桑田さんにいたっては上半身裸。司会の黒柳徹子さんが「アーティストになりたいの?」とたずねると、桑田さんはこう答えたといいます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;strong&gt;「いいえ、目立ちたがり屋の芸人で～す!」&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;（のちに桑田さん自身が「あれは台本だった」と明かしていますが、その照れ隠しのような感じまで含めて、いかにもサザンらしいエピソードだと思います。）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ちなみに、あの中継で大盛り上がりに見えた観客は、実は桑田さんたちが知り合いをかき集めた、いわば「サクラ」だったと、のちに本人が打ち明けています。今ではすっかり伝説になっているあの熱狂も、そんな手づくりの舞台裏から始まっていたのです。背伸びと勢いだけで世間にぶつかっていく——そのなりふりかまわなさが、かえって時代の空気を変えてしまったのですから、おもしろいものです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;この「事件」のような登場で、サザンの名前は一気に広まりました。九月二十一日には『ザ・ベストテン』に九位で初ランクイン。最高四位、オリコンでは三位まで上がり、新人とは思えない好スタートを切ります。「何だ、この騒がしいバンドは」とぽかんとしていた私の知らないうちに、彼らはどんどん駆け上がっていったのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そして翌昭和五十四年、「いとしのエリー」が世に出ます。あの早口でふざけたバンドが、こんなにせつなく、こんなにまっすぐなバラードを歌うのか——世間の見る目は、ここで一変しました。コミックバンドだ、キワモノだと言っていた人たちが、一斉に黙り込んだのです。「一発屋」どころではない。サザンは、本物でした。その年の暮れには、さっそくNHK紅白歌合戦に初出場。あの「騒がしいバンド」は、わずか一年あまりで、日本を代表する歌い手の仲間入りを果たしていました。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;それでも虜になるのに時間はかからなかった&#34;&gt;それでも、虜になるのに時間はかからなかった&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;あれだけ「何だこれは」と思っておきながら、私がサザンの虜になるのに、そう時間はかかりませんでした。気がつけば友だちと、あの「いま何時?」「そうね、だいたいね」の掛け合いを、意味もなく日常会話にはさんでは、ふざけ合っていたのです。あんなに「騒がしい」と感じていた曲の言葉が、いつのまにか自分たちの口ぐせになっていました。子どもというのは、現金なものです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そこからのサザンは、ご存じのとおりです。昭和から平成へ、出る曲、出る曲が、そのまま時代の景色になっていきました。「チャコの海岸物語」「ミス・ブランニュー・デイ」「希望の轍」「エロティカ・セブン」「愛の言霊」——私は、全部聴きました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そしてとくに心に残っているのが、平成十二年（二〇〇〇年）の「TSUNAMI」です。サザン自身の最大のヒットとなり、その年のレコード大賞にも輝いたこの曲は、本当に良かった。あの「騒がしいバンド」が、こんなに深く、こんなに大きな歌を届けるようになるとは——木曜の夜、テレビの前で首をかしげていたあの小学生には、想像もできないことでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「勝手にシンドバッド」から「いとしのエリー」まで、あの夏に始まった物語のはじまりは、一枚のベスト盤でまとめて聴くことができます。アルバムの一曲目は、もちろん、あの「騒がしい」デビュー曲です。&lt;/p&gt;
&lt;div class=&#34;amz-box&#34;&gt;
  &lt;div class=&#34;amz-box-body&#34;&gt;
    &lt;div class=&#34;amz-box-title&#34;&gt;サザンオールスターズ ベストアルバム「海のYeah!!」&lt;/div&gt;&lt;div class=&#34;amz-box-note&#34;&gt;一曲目は「勝手にシンドバッド」。デビューから20年の代表曲を網羅した決定盤（2枚組）&lt;/div&gt;
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  &lt;/div&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;おわりに違和感は新しさのサイン&#34;&gt;おわりに──「違和感」は、新しさのサイン&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;令和のいま、サザンオールスターズは押しも押されもせぬ国民的バンドです。夏が来るたび、どこかで桑田さんの声が流れている。「勝手にシンドバッド」は、もう「騒がしい新人の曲」ではなく、日本の夏の定番のひとつになりました。あの夏、テレビの前で首をかしげていた小学生は、まさかこのバンドの歌を、その後何十年も聴き続けることになるとは、思ってもいませんでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;茅ヶ崎の「サザンビーチ」と、沖に浮かぶ烏帽子岩。夏が来るたび、どこかで桑田さんの声が流れている。（Photo: Goki / CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons）&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/southern-beach-chigasaki.jpg&#34;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;振り返ってみると、あの夜の私の「何だ、この騒がしいバンドは!?」という違和感こそ、新しい時代の入り口だったのだと思います。子どもの耳が「変だ」「わからない」と感じるものの中にこそ、本物の新しさが隠れている。きれいに整ったものよりも、意味のわからない「ラララ～♪」のほうが、何十年も残っていく。音楽というのは、本当に不思議なものです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;今でも、ときどきテレビでお姿を拝見し、歌声を聴くことがあります。あの頃と比べても、声はまったく色褪せていない。それどころか、とても素敵に年を重ねてこられたなあ、と画面の前でしみじみ思うのです。木曜の夜に「何だこれは」と思った相手と、こうして何十年も同じ時間を生きてきた。そう考えると、ちょっと誇らしいような、くすぐったいような気持ちになります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;皆さんが初めてサザンオールスターズを知ったのは、どの曲、どの場面でしたか。そして——最初は「何だこれは」と思ったのに、いつのまにか大好きになっていた歌は、ありませんか。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;em&gt;このシリーズ「昭和の今日は何があった日？」では、昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線で振り返っています。&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;em&gt;▼ 昭和の今日は何があった日？（前後の記事）&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;◀ 前の記事：&lt;a href=&#34;https://showa44man.com/posts/showa-june-24/&#34;&gt;6月24日 ── 父と観た「空飛ぶ円盤」、家で描き続けた円盤の絵&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</description>
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