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    <title>絶滅危惧種 on 昭和44年男</title>
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      <title>「トキ」という、少し寂しい言葉 ― 6月5日・環境の日に</title>
      <link>https://showa44man.com/posts/showa-june-05/</link>
      <pubDate>Fri, 05 Jun 2026 09:00:00 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;p&gt;六月五日は「環境の日」です。世界では「世界環境デー」と呼ばれています。一九七二年のこの日、スウェーデンのストックホルムで「国連人間環境会議」というものが開かれた。それにちなんで定められた日なのだそうです。……と書くと、ずいぶんとお堅い話に聞こえますね。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;正直に言えば、子どもの頃の私にとって「環境」などという言葉は、どこか遠い、大人の世界の言葉でした。学校で「公害」と一緒に教わったような、なんだか難しくて、自分の暮らしとはつながらない言葉。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;でも今日は、その「環境」という言葉が、私の中でずっと一羽の鳥と結びついている、という話をさせてください。トキの話です。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&#34;四十年前の小さな夕刊記事&#34;&gt;四十年前の、小さな夕刊記事&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;ちょうど四十年前、昭和六十一年の今日――一九八六年六月五日の新聞の夕刊に、小さな、けれどどこか胸の奥がしんとするような記事が載りました。見出しはこうです。「雌のアオ死ぬ 残るのは二羽」。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;アオというのは、佐渡で大切に守られていたトキの名前でした。鳥に一羽ずつ名前がついている。それだけでも、どれほど大事に、まるで家族のように見守られていたかが伝わってきます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;繁殖の望みが、また一つ消えた。残されたトキは、もう二羽だけ。一羽、また一羽と減っていく、その静かなカウントダウンの一コマだったのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;この時、私はもう十七歳になっていました。けれど、この夕刊の記事をリアルタイムで読んだ記憶は、実は私にはありません。私の「トキ」の記憶は、もっと前の、もっとぼんやりとしたところにあるのです。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&#34;テレビから流れてきたトキ&#34;&gt;テレビから流れてきた「トキ」&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;子どもの頃、夕方のテレビから、ときどき「トキ」という言葉が流れてきました。たいていはニュースの時間です。そして決まって、その後ろには「絶滅の危機」という言葉がくっついていました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;正直なところ、意味はよく分かっていませんでした。佐渡という島がどこにあるのかも知らない。ピンクがかった白い羽の鳥なんて、もちろん見たこともない。葛飾の、東京の二十三区でも東のいちばん端っこに住んでいた子どもにとって、トキはどこまでも縁のない存在でした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;ニッポニア・ニッポン（トキ）― 日本の名を冠した、この国で最も有名な鳥&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/toki-nipponia-nippon.png&#34;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;だから私の中のトキは、鳥というより「言葉」だったのです。「トキは佐渡に数羽だけいて、どうやら、もうすぐいなくなるらしい」。理解していたのは、それくらい。あとはただ、ぼんやりとした寂しさの気配だけが残りました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;夕飯前のあの時間、テレビでは六時五十分からドラえもんが始まる。明るくて、にぎやかで、楽しい。けれど、その前のニュースの時間にときおり顔を出す「トキ」という言葉だけは、なぜか少しうつむいた、ひんやりとした響きをしていました。同じ茶の間のテレビから流れてくるのに、まるで別の色をしている。子ども心にも、「これはあまり楽しい話ではないらしいぞ」という空気は、ちゃんと伝わってきたのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;あの頃、テレビからは「絶滅」という言葉が、いろいろな生きものの名前とくっついて、ときどき流れてきました。けれど不思議なもので、その多くは右から左へ抜けていったのに、「トキ」だけは、なぜか妙に耳に残りました。短くて、やわらかくて、口にしやすい名前だったからかもしれません。あるいは、ニュースを読む大人たちの声が、その言葉のときだけ、ほんの少し沈んで聞こえたからかもしれません。理屈ではなく、「大事なものが、手の届かないところで静かに終わろうとしている」という感じ。子どもは、案外そういう気配だけは、敏感に受け取ってしまうものです。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&#34;日本の日本という名の鳥&#34;&gt;「日本の日本」という名の鳥&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;大人になってから知ったことですが、トキの学名は「ニッポニア・ニッポン（Nipponia nippon）」というのだそうです。日本の、日本。これほど日本という国を背負わされた名前の鳥も、なかなかいないでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;その「日本の日本」が、なぜ消えていったのか。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;明治のころから、美しい羽や肉を目当てに、トキはさかんに捕られました。さらに戦後、田んぼに強い農薬がまかれるようになると、トキが食べていたドジョウやカエル、小さな生きものたちが姿を消していきます。餌そのものが、田んぼから失われていったのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そして、私が今回いちばん胸を打たれた一羽がいます。「能里（のり）」という名のトキです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;一九七〇年（昭和四十五年）の一月、本州で最後の一羽となっていたトキが、石川県の穴水町で捕獲されました。それが能里でした。これ以上、本州の野生で生き延びることはできない。せめて繁殖のためにと、佐渡へ移されることになったのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;移送に携わった地元の方が、のちにこう振り返っています。何としても無事に送り届け、長生きさせたい。そう祈るような気持ちで、車に同乗して県境まで運んだ、と。けれど能里は、翌年の春に死んでしまいました。そして解剖をしてみると、その小さな体には、農薬と水銀が残っていたといいます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;田んぼを追われた鳥の体に、田んぼの毒が残っていた。これほど切ない話が、あるでしょうか。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;その方は穴水町の生まれで、子どもの頃は、家のすぐそばの神社の境内から、毎日のようにトキが空を舞う姿を見上げていたそうです。ピンク色の羽がきれいで、身近で、大切な存在だった、と。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;つまり、ほんの一世代前には、トキは「あたりまえに空にいる鳥」だったのです。それが、私が子どもの頃には、もう「テレビの中の、消えかけた言葉」になっていた。たった数十年の間に、あたりまえに見上げていたものが、一羽ずつ、名前と寂しさだけを残して空から消えていった。そういうことだったのだと、今になって分かります。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&#34;カウントダウンのその先&#34;&gt;カウントダウンの、その先&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;一九八六年にアオが死んで、残るは二羽。あの夕刊が伝えた静かなカウントダウンは、その後も止まりませんでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;一九九五年（平成七年）には、ミドリという一羽が死にます。残されたのは、キンというトキ、ただ一羽だけ。日本で生まれた、最後のトキです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;佐渡のケージで晩年を過ごした「キン」― 日本産最後のトキ&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/toki-kin.jpg&#34;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そして二〇〇三年（平成十五年）の秋、そのキンも、佐渡のケージの中で静かに息を引き取りました。推定で三十六歳。鳥としては、たいへんな長寿だったといいます。新聞各紙は、大きな見出しで「日本産のトキは絶滅した」と報じました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;このときには、私もすっかり大人になり、自分の子どもを抱える父親になっていました。子どもの頃、夕方のテレビからぼんやりと受け取っていた「もうすぐいなくなる鳥」という言葉は、こうして、ついにいちばん寂しい場所まで行き着いてしまったのです。「危機」ではなく、「絶滅」。日本の空から、ニッポニア・ニッポンが、本当にいなくなった瞬間でした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これで終わっていたら、今日の話は、ただただ寂しいだけの話になっていたはずです。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&#34;そして今年のこと&#34;&gt;そして、今年のこと&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;ここからは、つい先日、私自身が初めて知って、思わず声が出てしまった話です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;二〇二六年五月三十一日、石川県の羽咋市で、トキが本州で初めて放鳥されました。空に放たれたのは八羽。秋篠宮ご夫妻も見守るなか、箱からいっせいに飛び立ったトキを、会場の七百人ほどの人たちが、拍手と歓声で見送ったといいます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;本州の空をトキが堂々と舞うのは、あの能里が捕らえられた一九七〇年以来、実に五十六年ぶりのことでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;考えてみてください。私がテレビの前で「もうすぐいなくなるらしい」と、ぼんやり寂しさだけを受け取っていた、あの鳥です。それが、半世紀を越えて、また本州の空に帰ってきた。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日本産のトキが絶滅したあと、希望をつないだのは、中国から贈られた一組のつがいでした。一九九九年（平成十一年）、「友友（ヨウヨウ）」と「洋洋（ヤンヤン）」という二羽が海を渡ってきて、佐渡で人工繁殖に成功します。最初に生まれたヒナには「優優（ユウユウ）」という名がつきました。そこから一羽、また一羽と数が増え、二〇〇八年にはついに佐渡で放鳥が始まります。今、日本の空を舞うトキは、みなこの中国生まれのつがいの子孫なのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そうして佐渡でこつこつと数が積み上がり、二〇二四年の暮れには、野生のトキは推定五百七十六羽にまでなりました。今年の三月には、絶滅危惧のランクも一段、引き下げられたそうです。そして能登では、このトキの放鳥が、地震からの「復興のシンボル」として位置づけられている。傷ついた土地に、希望の鳥が帰ってくる。そういう物語になっているのです。地元には「のとっきー」という応援キャラクターまで生まれて、子どもたちと一緒に放鳥を見守ったと聞きます。さらに来年度には、島根県の出雲でも放鳥が予定されているそうです。トキの空は、これから少しずつ広がっていく。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;先日、私はこのブログでパンダの話を書きました。あちらは「今、日本に一頭もいなくなってしまった」という、少し寂しい話でした。けれど今日のトキは、ちょうどその逆です。「五十六年ぶりに、帰ってきた」という話なのですから。同じ週に、こんなに対照的な二羽（一頭と一羽、ですね）の話を書くことになるとは、思ってもみませんでした。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&#34;トキという言葉のその後&#34;&gt;「トキ」という言葉の、その後&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;子どもの頃、私のテレビから流れてきた「トキ」は、いつも少しうつむいた、寂しい言葉でした。「絶滅の危機」「もうすぐいなくなる鳥」。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それが、半世紀を越えた今、能登の青空を堂々と舞っています。私の子どもたちや、さらにその先の世代にとって、「トキ」はもう、寂しい言葉ではないのかもしれません。むしろ「帰ってきた鳥」「守りきった鳥」として、明るい響きで耳に入ってくるのでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;言葉の響きは、時代とともに変わっていくものなのですね。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;六月五日の「環境の日」と聞いても、子どもの頃の私なら、やっぱりピンとこなかったと思います。けれど今は、少しだけ分かる気がします。環境を守るというのは、難しい理屈の話である前に、「あたりまえに空にいた鳥を、もう一度あたりまえに空へ戻す」という、それくらい具体的で、それくらい気の長い営みなのだと。能里を県境まで運んだ人も、田んぼの農薬を減らした佐渡や能登の農家の人たちも、半世紀をかけて、その地道な仕事を続けてきたのでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;あなたのテレビからも、あの頃、「トキ」という言葉は、どこか寂しい響きで流れてきませんでしたか。そして今、その同じ言葉が、青空を飛んでいくのです。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&#34;もう一つのトキ&#34;&gt;もう一つの「トキ」&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;最後に、もう少しだけ、私自身の話をさせてください。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;実をいうと、私にとって「トキ」という言葉は、ニュースの中だけのものではありませんでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;私の母は、昭和十三年の生まれで、今年で八十八歳になります。新潟県の生まれ。そして、名を「トキ子」というのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;佐渡島の出身というわけではありませんし、名前の由来を、私は母の口から聞いたことがありません。トキ子という名は、あの時代の女の子に、わりとよくつけられた名前でもありました。だから、あの鳥にちなんだものなのかどうか、本当のところは分かりません。聞いておけばよかったと思うのですが、こういうことは、たいてい聞きそびれたまま、時間だけが過ぎてしまうものですね。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それでも――新潟に生まれた、トキ子。もしかしたら、生まれ故郷の空に、まだトキがあたりまえに舞っていた最後の時代に、その美しい鳥にあやかって名づけられたのかもしれない。そう想像すると、私の中で、ニュースの「トキ」と、母の「トキ子」が、そっと一本の線でつながるのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;その母は今、病と闘いながら、入院しています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;新潟の隣、能登の空に、五十六年ぶりにトキが帰ってきた。私はこのニュースを、何より母に伝えたいと思いました。お母さん、あなたと同じ名前の鳥が、半世紀をこえて、またこの国の空を飛んでいるよ、と。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;絶滅したとまで言われた鳥が、それでもあきらめずに守られて、こうして帰ってきました。その同じ名を持つ母にも、どうかもう少しだけ、こちらの空の下にいてほしい。「トキ子」という名前に、私はもう一度、力を貸してもらいたいのです。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;em&gt;▼ 昭和の今日は何があった日？（前後の記事）&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
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