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    <title>阪急ブレーブス on 昭和44年男</title>
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    <description>Recent content in 阪急ブレーブス on 昭和44年男</description>
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      <title>「世界の盗塁王」福本豊と、すりこぎ棒のバット──昭和の今日は何があった日？（6月3日）</title>
      <link>https://showa44man.com/posts/showa-june-03/</link>
      <pubDate>Tue, 02 Jun 2026 09:00:00 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;p&gt;6月3日。梅雨入りを目前にした、少し蒸し暑い季節だ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;カレンダーのこの一日には、子どものころの私がテレビ越しに見ていたはずの、二人のヒーローが並んでいる。ひとりは海を渡って日本人になった力士。もうひとりは、日本から「世界」へ駆け抜けた、小さな大選手だ。今日はとくに、後者の話をたっぷりさせてほしい。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;まずさらっとハワイのジェシーが日本人になった日&#34;&gt;まず、さらっと──ハワイの「ジェシー」が日本人になった日&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;1980年（昭和55年）の6月3日、大相撲の高見山が日本国籍を取得して帰化した。新しい名は「渡辺大五郎」。奥さんの姓と四股名を組み合わせた名前だった。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ハワイからやってきた、戦後初の外国出身力士。大きな体に低くしわがれた声、みんなが「ジェシー」と呼んでいた人だ。1972年の名古屋場所では、外国出身者として初めて幕内優勝も果たしている。新弟子のころ、あまりに厳しい股割りの稽古に「目から汗が出た」と漏らした逸話も忘れがたい。涙、とは言わず、汗だと言い張る。その不器用な強がりが、私は好きだった。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;大相撲の立ち合い（両国国技館）&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/sumo-japan.jpg&#34;&gt;
&lt;em&gt;大相撲の立ち合い。両国国技館で行われた2010年9月場所より。高見山が活躍した昭和の土俵にも、同じような熱気があった。（Photo: Gusjer / &lt;a href=&#34;https://creativecommons.org/licenses/by/2.0/&#34;&gt;CC BY 2.0&lt;/a&gt;）&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;国籍まで変えたのは、引退後に親方として相撲界に残るため。土俵を降りたあとも相撲とともに生きるために、生まれた国の国籍を手放したのだ。のちに東関親方として、同じハワイ出身の曙を横綱まで育て上げた。海を渡ってきた青年が、今度は次の世代を呼び寄せる。その長い橋のちょうど真ん中に、あの帰化の日はあったのだと思う。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;さて──ここからが、今日の本題だ。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;世界の盗塁王が生まれた日昭和58年1983年&#34;&gt;「世界の盗塁王」が生まれた日──昭和58年（1983年）&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;高見山の帰化から3年後、同じ6月3日。阪急ブレーブスの福本豊が、通算939個目の盗塁を決めて世界新記録を打ち立てた。それまでの記録は、メジャーリーグのルー・ブロックが持つ938盗塁。福本はそれをひとつ上回り、文字どおり「世界の盗塁王」になった。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;その日の記録達成には、いかにも福本らしい逸話が残っている。舞台は西武球場での西武戦。一回表、ブロックに並ぶ通算938個目をあっさり決めてタイ記録に追いつくと、新記録はもう目前だった。ところが試合は終盤、点差が大きく開いてしまう。福本は「記録のためだけに走った」と思われるのを嫌い、もう走らないと心に決めていたという。それなのに、相手の内野手がしつこく牽制を入れてくる。それで負けん気に火がついて、九回、つい三塁へ飛び出してしまった──。世界記録が、半ば本人の意に反して生まれてしまったというのが、なんとも可笑しい。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;プロ野球の試合（イチロー出場試合・シアトル2005年）&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/mlb-baseball-game.jpg&#34;&gt;
&lt;em&gt;プロ野球の試合のひとコマ（2005年シアトル、イチロー出場試合）。盗塁とは走者と捕手・内野手の緊張した駆け引きの果てに生まれるものだ。（Photo: Galaksiafervojo / &lt;a href=&#34;https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/&#34;&gt;CC BY-SA 3.0&lt;/a&gt;）&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;阪急は関西のパ・リーグの球団だから、東京の子どもだった私のテレビには、ふだんあまり映らない。それでも「世界新記録」という言葉だけは、ニュースでも学校でも、何度も耳に飛び込んできた。あの「世界」という二文字が、昭和の子どもにはとんでもなくまぶしかったのだ。あのころ、王貞治のホームランも「世界一」、福本の盗塁も「世界一」。アメリカという、はるか遠くの本場の記録を日本人が抜いていく──それは私たち少年にとって、ヒーローが怪獣を倒すのと同じくらい胸のすく出来事だった。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;でも、私にとっての福本豊は、成績の数字よりも、もっと不思議で、もっと忘れがたい三つの「伝説」とともにある。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;その一足に一億円の保険&#34;&gt;その一・足に一億円の保険&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;私たち昭和の野球少年のあいだでは、「福本の足には一億円の保険がかかっている」という話が、かなり有名だった。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;調べてみると、これは1972年（昭和47年）のこと。シーズン盗塁記録の更新へ快走していた福本の「足」に、阪急が一億円の保険をかけたという。当時の球界では破格の金額で、大きな話題になった。もっとも、本人が一億円を受け取るという単純な話ではなく、球団側のリスク対策と話題づくりの意味合いも強かったらしい。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;考えてみれば、1972年といえば私はまだ3歳。リアルタイムで知っていたはずもない。それでも、少し大きくなった私の耳に、この「一億円の足」の伝説はしっかり届いていた。人間の足に一億円──子どもにとって、それは盗塁の数字よりもずっと具体的で、ずっと夢のある話だった。校庭で足の速い子に「お前の足、一億円な」とからかうのが、しばらく流行ったりもした。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;その二サラブレッドと競走した男&#34;&gt;その二・サラブレッドと競走した男&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;もっとすごい話がある。福本は、馬と走ったのだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;1983年（昭和58年）、西宮球場で行われたイベントで、阪急の選手たちがサラブレッドと短距離走で競走した。面白いのは、福本さん自身が後年、「最初は断った」と語っていること。ところがバンプ・ウィルスが出場を承諾したものだから、球団社長に頼まれ、結局は出場することになったそうだ。当時すでに35歳、盗塁王の大ベテランと、サラブレッドを競走させてしまうという発想自体が、いかにも昭和のプロ野球イベントらしい。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;実はこのイベント、中学生だった私はかなりワクワクしながら見ていた記憶がある。……ところが情けないことに、競走の距離も、福本が勝ったのか負けたのかも、まったく覚えていないのだ。あんなに胸を躍らせたのに。覚えているのは「世界の盗塁王が、本物の馬と走るらしい」という、あの開始前の高揚感だけ。今となっては、それで十分な気もしている。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;その三すりこぎ棒のようなバット&#34;&gt;その三・すりこぎ棒のようなバット&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;そして、これがいちばん意外な話かもしれない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;いまのファンは「盗塁王といえば、軽いバットでコンパクトに当てる選手」と思い込みがちだ。ところが福本は、まるで逆だった。本人の証言によれば、初期は940グラム台、その後はなんと1060〜1080グラムという超重量級のバットを使っていた。太くて、まるで「すりこぎ棒」のような形。周囲はその姿から「つちのこバット」とも呼んだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;バットを構えるバッター&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/baseball-swing.jpg&#34;&gt;
&lt;em&gt;バットを力いっぱい振り切るバッター。福本豊の「すりこぎ棒」バットも、この振り切る姿勢が原点だった。（Photo: Danny Meyer, U.S. Air Force / パブリックドメイン）&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;持ち方も独特で、グリップエンドを数センチ余らせて、短く持って振った。だから、あの重いバットでも自在に操れたのだ。体が小さく非力だった福本は、その重さを逆に味方につけ、速い球にも力負けしなくなったのだという。決して大きくない体で通算208本塁打を放った秘密は、このあたりにありそうだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そもそも福本は、入団当初まったく期待されていなかった。小柄で非力な体つきを見て、周囲は「こんな選手を獲って可哀想や」とまで陰口を叩いたという。その彼に、名将・西本幸雄監督は「振り切れ」と教えた。非力な男が長打力を身につけるための逆転の発想だ。重いバットを短く持つあの独特の打ち方は、監督の教えと本人の工夫が出会ったところに生まれた答えだったのだろう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;足だけの人ではなかった。頭と工夫の人だった。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;h2 id=&#34;立ちションもできんようになる&#34;&gt;立ちションもできんようになる&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;最後にもうひとつ。世界記録のあと、福本は国民栄誉賞の打診を受けながら、「そんな偉い賞をもらったら、立ちションもできんようになる」と言って断ってしまった。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;世界一になった人が、まじめな顔でそんなことを言う。足に一億円、馬と競走、すりこぎ棒のバット──どのエピソードにも、肩の力が抜けた可笑しみと、人を食ったような愛嬌がある。私が福本豊をいつまでも好きなのは、たぶんその飄々とした感じのせいだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;思えば6月3日は、不思議な日だ。ハワイ生まれの大男が線を越えて日本人になり、大阪生まれの小男が線の向こうの世界記録を越えていった。向きはまるで逆なのに、どちらも「日本」と「世界」のあいだにある一本の線を、自分の体ひとつでまたいでみせた。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;記録は、いつか抜かれる。実際、939という世界記録も、のちにメジャーのリッキー・ヘンダーソンが1406まで大きく塗り替えた。それでも、ブラウン管の前で「世界一だ」とワクワクした昭和の少年の胸の高鳴りは、誰にも抜かれない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;あなたの記憶の中の福本豊は、足の速さですか。それとも、すりこぎ棒のバットですか。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「昭和の今日は何があった日？」は、昭和40〜64年（1965〜1989年）の出来事を、子ども目線で振り返るシリーズです。&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;em&gt;▼ 昭和の今日は何があった日？（前後の記事）&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
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