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    <title>100円玉 on 昭和44年男</title>
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    <description>Recent content in 100円玉 on 昭和44年男</description>
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      <title>6月16日 ── 上級生の背中越しに、私はインベーダーを見ていた</title>
      <link>https://showa44man.com/posts/showa-june-16/</link>
      <pubDate>Tue, 16 Jun 2026 06:00:00 +0900</pubDate>
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      <description>&lt;p&gt;六月十六日。梅雨のただ中、長靴と傘がランドセルの相棒になる季節です。カレンダーの記念日欄を見ると、きょうは「和菓子の日」。そしてもうひとつ、私たちの世代にとっては見逃せない記念日が、そっと並んでいます——「スペースインベーダーの日」です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;昭和五十三年（一九七八年）の六月十六日、当時のタイトー本社ビルで、一台のテレビゲームの新作発表会が開かれました。その名は『スペースインベーダー』。開発したのは西角友宏さんという技術者です。画面の上から迫りくる宇宙人を、自分の操るビーム砲で迎え撃つ——いまでは当たり前の「自分で撃ち返せる」という双方向のおもしろさを、世に知らしめた一台でした。同年七月ごろから全国へ出荷されると、それはもう、文字どおり日本中を侵略していきます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;きょうは、その「侵略」を、いちばん下っ端の小学生として迎え撃った——いや、迎え撃てずに、ただ眺めていた私の話です。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&#34;イトーヨーカドーの踊り場の一台&#34;&gt;イトーヨーカドーの、踊り場の一台&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;記憶を掘り起こしてみます。私とインベーダーの最初の出会いは、よく語られる喫茶店のテーブル型の筐体ではありませんでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;イトーヨーカドーの、一階と二階をつなぐ階段。その中間にある踊り場に、立ったままプレーするタイプの大きな筐体が、ぽつんと一台、置かれていたのです。ブラウン管を上から覗き込む、背の高い箱型のやつです。喫茶店のテーブルに埋め込まれた、あの寝そべったような筐体を知ったのは、ずっとあとのことでした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;上から覗き込む、立ち型のインベーダー筐体。画面には五列に並んだ宇宙人と、こちらのビーム砲。（Photo: Scalleja / CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons）&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/space-invaders-cabinet2.jpg&#34;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;当時の私は小学三年生。正直に白状すると、一ゲームいくら、というあの金額は、三年生の小遣いではそうそう出せるものではありませんでした。けれど、興味のほうはバリバリにあったのです。だから私はどうしたか。プレーしている上級生のすぐ後ろに陣取って、画面を食い入るように見ていました。自分の百円玉ではない、誰かの一機が右へ左へ動くのを、まるで自分が動かしているような顔をして、ただ見ていたのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;あの、ズン、ズン、ズン、ズン……と地鳴りのように響く、インベーダーが一歩ずつ近づいてくる音。敵の数が減るほどにテンポが速くなって、こちらの鼓動まで一緒に速くなっていく、あの独特の音。五列に並んだ五十五匹の宇宙人と、ときおり画面の上をすーっと横切る赤い円盤（あれを撃ち落とすと点が高いのだと、上級生が教えてくれました）。踊り場の薄明かりの中でぼうっと光るその画面を、私はいったい何度、よそのお兄さんの肩越しに見上げたことでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;いま思えば、おかしな話です。そもそもイトーヨーカドーというのは、当時の私たちにとって、子どもだけで出入りしてはいけないことになっている場所でした。それなのに、私はちゃっかり行っちゃっているわけです。そして、後ろから覗かせてもらっていた上級生たち——彼らだって、しょせんは小学生です。それが何回も、何回も百円玉を投入していく。あの軍資金は、いったいどこから出ていたのか。当時は「すごいなあ」と思って見ていましたが、いざ自分が親の立場になって考えてみると、よくもまあ、と苦笑いするしかありません。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&#34;百円玉が日本から消えた夏&#34;&gt;百円玉が、日本から消えた夏&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;私が踊り場で指をくわえて見ていたころ、世の中では、とんでもないことが起きていました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それまでのテレビゲームといえば、画面の壁をボールで崩していく『ブロック崩し』のようなものが主流でした。ところがインベーダーは、向こうから攻めてくる。こちらが撃つ。撃ち返される。やられる——。腕を上げれば上げるほど長く生き延びられて、もっとやりたくなる。この「上達していく手応え」と「迎え撃つ緊張感」こそが、それまでのゲームにはなかった魔力でした。喫茶店でコーヒー一杯の値段で何十分も粘る大人が続出し、社会問題のように語られたほどです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;『スペースインベーダー』の人気は、喫茶店にテーブル型の筐体を持ち込ませ、やがてゲーム機ばかりを並べた「ゲーム喫茶」や、店員すらいない二十四時間営業の「インベーダーハウス」まで生み出していきます。コーヒーを飲む店だったはずの喫茶店が、いつのまにかテーブルという卓上が光る箱に置き換わっている。そんな光景が、日本中に広がっていきました。「インベーダー」は、その年の流行語になりました。なかでも語り草になっているのが、百円玉の話です。あまりに多くの百円玉がゲーム機の中に吸い込まれていったため、世間で百円硬貨が足りなくなり、日本銀行がふだんの三倍ほどの量を世に送り出した——そんな記事が新聞に載るほどだったといいます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;img alt=&#34;喫茶店のテーブル型筐体。コーヒー一杯で何十分も粘る大人が続出した、あの「ゲーム喫茶」の風景。（Photo: Tomomarusan / CC BY 2.5, via Wikimedia Commons）&#34; loading=&#34;lazy&#34; src=&#34;https://showa44man.com/images/space-invaders-cabinet.jpg&#34;&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そんな熱狂のなかで、高得点を狙うつわものたちが編み出したのが、攻略法の元祖とも呼ばれる「名古屋撃ち」でした。インベーダーが最下段の一歩手前まで攻め込んでくると、なぜか敵の弾が自分のビーム砲をすり抜けて当たらない——もとはゲームの不具合（バグ）だったその仕様を逆手に取り、ぎりぎりまで引きつけて撃ちまくる、という技です。名前の由来は「名古屋で広まったから」とも、「あと一段で〝終わり〟、それと〝尾張（名古屋）〟をかけた」とも言われますが、本当のところは、いまもって誰も知らないのだそうです。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&#34;三十円十円ようやく私の番が来た&#34;&gt;三十円、十円。ようやく私の番が来た&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;さて、踊り場で見ているだけだった私にも、ちゃんと順番が回ってくる日が来ます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;世の中に次々と新しいゲームが登場すると、インベーダーは少しずつ「古いゲーム」になっていきました。すると、あれほど強気だったプレー代が、一気に下がりはじめるのです。五十円、三十円、そしてついには十円なんていう値札まで現れました。そうした型落ちの筐体を、倉庫のような建物に所狭しと並べた——いわゆる倉庫型のゲームセンターが、あちこちにできました。薄暗くて、どこか秘密基地めいていて、子どもにはほんの少しだけ背伸びが必要な場所。それでも十円玉一枚で遊べるとなれば、私たちにとっては立派な天国でした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そこで、ようやく私にも、遊ぶことができるようになったのです。十円玉を握りしめて。あの踊り場の上級生たちが百円玉を惜しげもなく入れていた、その同じゲームを、私は数年遅れの十円で、心ゆくまで撃ちました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;もちろん、後ろから見て覚えた攻略法も、ここぞとばかりに使いました。敵が最下段の一歩手前まで降りてきたところを、端から順に狙い撃つ「名古屋撃ち」。そしてもうひとつ、群れの真ん中の列を一気に撃ち抜く技——私たちの界隈では、これを「新宿撃ち」と呼んでいました。ところがあとで知ったのですが、同じこの技、地域によっては「京都撃ち」とも「中央突破」とも呼ばれていたそうです。携帯電話もインターネットもない時代、攻略法は友だちから友だちへと口づてに伝わり、その途中で、町ごとに勝手な名前がついていったのです。同じ撃ち方なのに、隣の町では別の名前で呼ばれている。いま思えば、それもまた、ずいぶんのんびりとした、いい時代の話です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;背伸びして眺めていた憧れに、自分の指で、やっと追いついた瞬間でした。数年越しの片想いが、十円玉一枚でようやく実った——そんな気分だったように思います。&lt;/p&gt;
&lt;h2 id=&#34;令和の子どもは見ているだけの時間を知らない&#34;&gt;令和の子どもは、「見ているだけの時間」を知らない&lt;/h2&gt;
&lt;p&gt;時代は変わりました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;いまの子どもたちは、ゲームをするのに、お金を握りしめて家を出る必要がありません。スマートフォンの中に、家庭用ゲーム機の中に、無数のゲームが入っていて、その多くは、始めるだけならお金もかからない。上級生の背中越しに覗き込む必要も、十円玉が貯まるのを待つ必要も、ないのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それは間違いなく、豊かで、いい時代です。私だって、もし子どもの頃にそんな環境があったら、諸手を挙げて喜んだことでしょう。けれど、と私はつい思ってしまうのです。あの、一ゲームが出せなくて、ただ見ていた時間。誰かのプレーを食い入るように見つめて、技を盗んで、いつか自分も、と焦がれていたあの時間。あれはあれで、悪くないものだったな、と。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;欲しいものがすぐ手に入らない。だから、よその上級生の背中越しに憧れ、十円玉が貯まるのをじりじりと待つ。手が届かないからこそ、あの踊り場の小さな画面の光は、あんなにもまぶしく見えたのかもしれません。いまの子どもたちには、あの「待っているあいだの時間」だけは、もう手に入らない宝物なのかもしれない——そんなことを、つい考えてしまうのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;現に、わが家でもゲームに夢中になっている子どもを見て、私はつい「ゲームばっかりやって……」と、口では文句を言ってしまいます。ところが内心はどうかというと、「わかるわかる」と全力でうなずいている自分がいる。それどころか、母親が渋い顔で様子をうかがっているのに気づくと、心の中でこっそり「おい、ママの目があるんだから、もっと上手くやれ」と、すっかり子どもの肩を持っている始末です。叱る側に回ったはずなのに、気持ちのほうは、あの踊り場で背伸びをしていた頃から一歩も動いていない。我ながら、おかしくなってしまいます（笑）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;考えてみれば、子どもだけで入ってはいけないイトーヨーカドーに、ちゃっかり忍び込んでいたのも私でした。親の目を盗んで何かに夢中になる——それはどうやら、いつの時代も変わらない、子どもの特権のようです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そういえば、あの「名古屋撃ち」を含む歴代のスペースインベーダーは、いまではNintendo Switchで、いつでも好きなだけ遊べます。十円玉も、上級生の背中も、もう要りません。あの頃の自分に教えてやったら、目を丸くするでしょうね。&lt;/p&gt;
&lt;div class=&#34;amz-box&#34;&gt;
  &lt;div class=&#34;amz-box-body&#34;&gt;
    &lt;div class=&#34;amz-box-title&#34;&gt;スペースインベーダー インヴィンシブルコレクション - Switch&lt;/div&gt;&lt;div class=&#34;amz-box-note&#34;&gt;タイトー／1978年のオリジナルから歴代作品まで収録&lt;/div&gt;
    &lt;a class=&#34;amz-box-btn&#34; href=&#34;https://www.amazon.co.jp/dp/B07V3PHCYC?tag=showa44man22-22&#34; target=&#34;_blank&#34; rel=&#34;nofollow sponsored noopener&#34;&gt;Amazonで見る ›&lt;/a&gt;
  &lt;/div&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;あなたが初めてインベーダーに出会ったのは、どこの台でしたか。喫茶店のテーブルでしたか、駄菓子屋の店先でしたか、それとも私のように、デパートの踊り場あたりでしたか。一ゲーム、いくらでしたか。よかったら、あなたの「最初の一台」の思い出も、聞かせてください。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;em&gt;この「昭和の今日は何があった日？」シリーズでは、昭和四十年から六十四年までの出来事を、当時子どもだった私の目線で綴っています。同じ時代を生きた方の「あの頃」の思い出やコメントも、ぜひお待ちしています。&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
&lt;hr&gt;
&lt;p&gt;&lt;em&gt;▼ 昭和の今日は何があった日？（前後の記事）&lt;/em&gt;&lt;/p&gt;
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