【昭和の今日は何があった日?】7月14日──リカちゃんは、葛飾の子だった

7月14日、あの人形が生まれたとされる日 7月14日は、「リカちゃん人形」が発売された日とされています。1967年、昭和42年のことでした。ただ、正直に書いておくと、発売日には諸説あります。7月4日という説も、7月1日という説もあって、「今日は何の日」を紹介するメディアの中には、この7月14日を発売日として挙げているものがある、というのが正確なところです。ですから今日は、日付そのものよりも、この人形が生まれた昭和という時代と、私の家にあった一体のリカちゃんの話をさせてください。 そもそも私は、リカちゃんが発売された1967年には、まだこの世にいません。私が生まれたのは、その2年後の昭和44年、1969年の4月です。ですから、発売の瞬間を覚えているはずもありません。それでも私は、リカちゃんという名前を聞くと、はっきりと思い出す光景があります。我が家の畳の上に転がっていた、あの小さな人形。あれは私のものではありませんでした。妹のものでした。 タカラトミー本社(葛飾区立石)のショーウィンドウに並ぶ、いまのリカちゃんたち。ペットサロンにケーキショップ——時代は変わっても、女の子の憧れをぎゅっと詰め込む芸は健在だ バービーに負けない、日本の女の子のための人形 リカちゃんが生まれた背景には、一つの悔しさがあったといいます。昭和40年代のはじめ、着せ替え人形の売り場に並んでいたのは、アメリカ生まれのバービーをはじめとする、外国の顔をした人形たちでした。手足が長く、大人びていて、日本の子どもにとっては少し遠い存在です。 そこで玩具メーカーのタカラは、日本の女の子が本当に身近に感じられる人形を作ろうと考えました。まず、大きさ。当時すでに人気だった海外の人形に合わせてドールハウスを作ると、日本の狭い住宅には置き場所がなく、子どもが持ち運ぶこともできません。そこで人形そのものを、女の子の手のひらにすっぽり収まる身長21センチに設計しました。顔立ちは、当時の少女たちが夢中になっていた少女漫画のヒロインそのもの。大きな瞳に、星がひとつ。広告のイラストは漫画家の牧美也子さんが手がけました。 名前もよく考えられていました。「リカ」という響きは、日本人でも外国人でも通じるように選ばれたもの。少女漫画雑誌「りぼん」の誌上で名前を公募した、ということになっていますが、実際にはタカラ側が決めた名前だったといいます。本名は香山リカ。設定では小学5年生で、フランス人の音楽家のお父さんと、日本人でデザイナーのお母さんを持つ女の子でした。狭い日本の家に暮らす女の子が、人形を通して外国や華やかな世界を夢見られるように——そんな願いが、細やかな設定の一つひとつに込められていたのです。 この作戦は見事に当たりました。発売からわずか2年後の1969年、ちょうど私が生まれた年に、リカちゃんは日本国内の売り上げでバービーを追い抜きます。それ以来、リカちゃんは長く「着せ替え人形の女王」として君臨していくことになります。 面白いエピソードがあります。デビューした年、タカラに一本の電話がかかってきたそうです。「リカちゃんはいますか?」と、女の子からの電話でした。受けた女子社員が、子どもの夢を壊してはいけないと「こんにちは、私がリカよ」と応じたところ、その子は大喜び。リカちゃんとお話しできるという噂は口コミで広がり、やがて専用回線が敷かれて、翌1968年には「リカちゃん電話」が正式に開設されました。その声を長く担当したのは、のちにアニメ「アルプスの少女ハイジ」のハイジ役でおなじみになる杉山佳寿子さん。1997年まで、実に30年にわたって、リカちゃんは電話の向こうで女の子たちの話し相手をつとめたのです。人形が、ただの人形ではなく、女の子にとっての「お友だち」だった。その手の込みようには、今さらながら感心してしまいます。 「タカラ」は、葛飾の会社だった さて、ここからが、私にとって一番驚いた話です。このリカちゃんを生んだタカラという会社は、いったいどこにあったのか。調べてみて、思わず声が出ました。葛飾区です。私が生まれ育った、あの葛飾でした。 タカラの源流は、昭和30年、葛飾区の本田宝木塚町、今の宝町に生まれた小さなビニール工業所にさかのぼります。「タカラ」という社名も、この創業の地名からとられたものだそうです。その後、本社は青戸に移り、日本中の子どもを夢中にさせた数々のおもちゃを世に送り出していきました。空気でふくらむダッコちゃん、着せ替え人形のリカちゃん、家族で遊んだ人生ゲーム、手のひらでキュルッと走るチョロQ。そのどれもが、葛飾生まれだったのです。 とりわけ、リカちゃんより前の1960年に大ヒットした「ダッコちゃん」は、社会現象と呼べるほどの騒ぎを起こしました。腕にぶら下がる、あの黒くて愛らしいビニール人形です。一時は月に1000万個も作られたというのですから、当時の熱狂ぶりがしのばれます。ビニールを加工するその技術の蓄積があったからこそ、のちにリカちゃんという着せ替え人形が生まれた——そう考えると、葛飾の町工場が積み上げてきたものの厚みが見えてきます。 しかも、話はそれだけでは終わりません。のちの2006年、タカラは同じ葛飾の立石にあったトミーという会社と合併し、タカラトミーになります。トミーもまた、プラレールやトミカをつくってきた、葛飾を代表するおもちゃメーカーでした。つまり葛飾は、リカちゃんもプラレールも生み出した、まぎれもない「おもちゃのまち」だったのです。 葛飾区立石・タカラトミー本社の屋上看板。夏空に、あの青いロゴがよく映える 青戸も立石も、私の育った高砂と同じ葛飾区。京成線でつながる、ほんのご近所です。私が線路脇の家で、来る日も来る日も電車を見上げていたあの頃。同じ葛飾のどこかの工場では、たくさんのリカちゃんが生まれ、日本中の女の子のもとへと旅立っていたことになります。自分の遊んでいた街が、日本の子どもの夢をつくっていた——そう思うと、なんだか胸のあたりがくすぐったくなります。 妹のクリスマスと、ピンクの箱 我が家にリカちゃんがやってきたのは、あるクリスマスのことでした。妹が、プレゼントにリカちゃん人形と、着せ替え用のドレスを買ってもらったのです。そして妹は、それだけでは飽き足らなかったのでしょう。年が明けると、もらったばかりのお年玉を握りしめて、着せ替え用のドレスをさらに買い足していました。クリスマスにもらった人形のために、自分のお年玉をつぎ込む。今思えば、あれこそがタカラの狙いどおりの遊び方だったわけですが、当時の妹は、ただただ夢中だったのだと思います。 男の子だった私にとって、リカちゃんは完全な別世界でした。触ってみたいとも、うらやましいとも、思ったことは一度もありません。ピンク色のドレスや小さな靴は、同じ子ども部屋の中にありながら、まるで違う国の出来事のようでした。 なにしろ私には私で、夢中になっているものがあったのです。私もクリスマスプレゼントに買ってもらった記憶があります。「変身サイボーグ1号」と、確かキカイダーの着せ替えスーツでした。変身サイボーグ1号というのは、透明なボディの中に銀色のメカが透けて見える人形で、そこにウルトラマンや仮面ライダーといったテレビヒーローの「変身セット」を着せて遊ぶおもちゃです。仮面ライダーに始まる変身ブームの真っただ中、昭和47年に発売されて大ヒットしました。私はキカイダーのスーツを着せては脱がせ、着せては脱がせ、飽きることなく遊んだものです。 ——と、ここまで書いて、お気づきでしょうか。妹はリカちゃんにドレスを着せ、私はサイボーグにキカイダーのスーツを着せていた。やっていることは、まったく同じです。しかも、この変身サイボーグ1号を作っていたのは、どこの会社か。タカラです。リカちゃんと同じ、あの葛飾のタカラなのです。互いに「別世界」だと思い込んでいた兄と妹は、実は同じ葛飾生まれの着せ替え人形で、同じ遊びをしていたのでした。四十数年越しにこの事実に気づいたときは、思わず笑ってしまいました。 6000万体の、それぞれの物語 リカちゃんは、その後も時代に合わせて少しずつ顔立ちや設定を変えながら、令和の今日まで愛され続けています。これまでに世に送り出された数は、累計で6000万体を超えるといいます。6000万人の女の子が、それぞれのリカちゃんと、それぞれの物語を紡いできたということです。 そして、生みの親であるタカラトミーは、今もなお葛飾区立石に本社を構えています。おもちゃのまちの伝統は、令和になっても途切れていません。妹がクリスマスに抱きしめたあのリカちゃんも、そのうちの一体でした。名前も、フランス人のパパも、小学5年生という設定も、あの小さな体にぎゅっと詰まった夢も——すべては、私のご近所で生まれたものだったのです。 本社1階のショーウィンドウ。ベイブレードにポケモン、南葛SCのキャプテン翼まで——葛飾生まれの会社は、今も子どもたちの真ん中にいる 今になって思うことがあります。当時、私の身の回りにあったおもちゃは、意外と身近なところで生まれて、日本中へと広がっていたのですね。トミーのミニカー「トミカ」は立石。タカラのリカちゃんや変身サイボーグ、ミクロマンは青戸。そして、あのモンチッチを生んだセキグチも、西新小岩の会社です。調べてみれば、モンチッチが誕生したのは1974年、私が5歳のときのこと。線路脇で電車ばかり見上げていた葛飾の少年は、知らないうちに、日本中の子どもの宝物が生まれる場所のど真ん中で育っていたのでした。 みなさんの子ども時代、きょうだいや友だちが夢中になっていた「自分とは違う世界のおもちゃ」には、どんなものがありましたか。そして、そのおもちゃがどこで生まれたものだったか、考えてみたことはあるでしょうか。案外、みなさんのすぐ近くだったかもしれませんよ。 妹があの日抱きしめていたリカちゃんは、今も形を変えて、おもちゃ売り場の真ん中にいます。ドレスや小物のそろった定番のギフトセットは、お子さんやお孫さんへの贈り物にちょうどいい一箱。あの頃、妹や姉がリカちゃんに夢中だった——そんな方は、パッケージを眺めるだけでも、きっと何かを思い出すはずです。 リカちゃん ドール LD-01 だいすきリカちゃん ギフトセット(タカラトミー)ドレスや小物一式がそろった定番の入門セット。誕生から半世紀を超えて、いまも売り場の真ん中に Amazonで見る › 【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。 ▼ 昭和の今日は何があった日?(前後の記事) ◀ 前の記事:【7月13日】少女Aが生まれた日、中森明菜と中学一年生の私 | 次の記事:(近日公開)

July 14, 2026