【昭和の今日は何があった日?】7月18日──コマネチは、ギャグじゃなかった

「コマネチ」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるでしょうか。 私の場合、答えは決まっています。ビートたけしさんの、あのポーズです。がに股で腰を落とし、両手を股間の前でV字にして、「コマネチ!」。 白状しますと、私は本物のコマネチ選手の演技を見た記憶が、まったくありません。それどころか、当時はたけしさんのあのギャグの、何が面白いのかすらよく分かっていませんでした。 今日、昭和51年(1976年)7月18日は、そのナディア・コマネチが、オリンピック体操史上初の10点満点を出した日です。ギャグの元ネタとしてしか知らなかった「本物のコマネチ」に、この記事を書きながら迫ってみようと思います。 電光掲示板が表示できなかった「10.00」 昭和51年7月18日、モントリオールオリンピックの体操女子団体規定。ルーマニアの14歳、ナディア・コマネチは段違い平行棒の演技で、近代オリンピック史上誰も出したことのない点数を叩き出しました。 10点満点。 ところが、会場の電光掲示板に表示されたのは「1.00」という数字でした。掲示板には「10.00」を表示する設定がなかったのです。満点など出るはずがない。大会の運営側すら、そう考えていたということです。 観客は一瞬ざわつき、そして意味を理解した瞬間、大歓声に変わったといいます。 コマネチの快進撃はこれで終わりませんでした。この大会で彼女が出した10点満点は、合計7回。段違い平行棒と平均台で完璧な演技を続け、個人総合、段違い平行棒、平均台の3つの金メダルを獲得しました。細い手足で宙を舞う14歳のルーマニア人少女を、日本のメディアは「白い妖精」と呼びました。 そのとき私は7歳。その年の4月に小学校に入学したばかりの小学1年生で、初めての夏休みを目前に控えた頃です。 そして正直に申し上げます。モントリオールオリンピックの記憶が、何ひとつありません。中継を観た記憶もなければ、家のテレビにオリンピックが映っていた気配すら思い出せないのです。 無理もありません。当時の私は、まさに「昭和の子ども文化」のど真ん中にいました。学校が終わればランドセルを放り投げて、野球、メンコ、鬼ごっこ、缶けり、秘密基地づくり、虫取り、ザリガニ釣り。夏休みに入れば、朝6時半のラジオ体操に始まり、セミ取り、小学校のプール、昼はそうめんとスイカ、午後はまた友達と野球。おやつはアイスやカルピスで、夜は家族でドリフやウルトラマンの再放送を見て、9時には寝る。おもちゃ箱には超合金ロボットやミクロマン。そんな毎日です。 7歳の私にとって、オリンピックはまだ「大人たちが見ているもの」でした。地球の裏側で14歳の少女が歴史を塗り替えていたことなど、知る由もなかったのです。 私にとっての「コマネチ」は、ギャグだった 私が「コマネチ」という言葉を知ったのは、本物の演技からではありません。ビートたけしさんの、あの一発ギャグからでした。 調べてみると、あのギャグが生まれたのは1980年頃。ツービートが漫才ブームで大ブレイクしていた時期です。せんだみつおさんが楽屋のテレビでコマネチ選手のレオタード姿を見て、股間の前で両手をV字にして「コマネチ!」とやったのを、たけしさんが「それ、使ってもいいですか?」と買い取った――という誕生秘話が知られています(金額や経緯には諸説あるようです)。 1980年といえば、私は小学5年生。漫才ブームでツービートがテレビを席巻し、あのギャグが大流行した時期は、ちょうど小学校高学年から中学に上がる頃にあたります。 流行の勢いは、すさまじいものでした。学校の休み時間、校庭、下校途中。男の子たちは何かあるたびに「コマネチ!」と叫びながらポーズを決めていました。先生に「やめなさい!」と注意されても、しばらくするとまた誰かが始める。そんな光景が、当時の小学校では珍しくなかったのです。 そして白状しますと、私もまさにやっていました(笑)。 ただ、やっていた本人が言うのも変な話ですが、当時の私には、あのギャグの何が面白いのか、よく分かりませんでした。がに股で「コマネチ!」と叫ぶ。それだけです。オチもなければ、意味も分からない。周りの大人たちがなぜ笑うのか、不思議でした。 今にして思えば、当然だったのです。あれはコマネチ選手のハイレグレオタードの、際どいラインを模したポーズでした。つまり、大人たちが「なんとなく思っているけど口に出せないこと」を、たけしさんが堂々とやってのけたところに面白さがあった。子どもに分かるはずがありません。あれは大人のギャグだったのです。 本物を知らないまま、ギャグだけを知っている。しかもそのギャグの意味も分かっていない。当時の私にとって「コマネチ」とは、そういう不思議な言葉でした。 調べて知った、本物のコマネチ さて、五十半ばを過ぎた今、あらためて本物のナディア・コマネチを調べてみました。そして、驚きの連続でした。 まず、彼女はモントリオールの前に、日本で10点満点を出していました。1976年、来日して出場した中日カップで、跳馬と段違い平行棒で満点を記録しているのです。オリンピック史上初の10点満点の「予告編」は、日本で上映されていたことになります。 そして映像です。段違い平行棒の演技を、今はインターネットで簡単に見ることができます。見てみました。棒から棒へ、体が吸い付くように移動し、一切のよどみなく回転し、ぴたりと着地する。素人の私が見ても、これは何かが違うと分かります。審判が満点をつけたくなる気持ちが、半世紀近く経った映像からでも伝わってきました。 彼女の人生も、演技と同じくらい波乱に満ちていました。モントリオールの4年後、モスクワオリンピックでも金メダルを獲得。しかし当時のルーマニアはチャウシェスク独裁政権下にあり、国民的英雄となった彼女の生活は、自由とはほど遠いものだったといいます。そして昭和が終わる1989年、彼女は祖国を脱出して亡命します。その直後、ルーマニアでは革命が起き、独裁政権は崩壊しました。 「白い妖精」と呼ばれた少女は、妖精どころか、激動の20世紀を生き抜いた一人の人間でした。 ギャグと本人の、後日談 ところで、ギャグと本人をめぐっては、愉快な後日談があります。 たけしさん本人が後年テレビ番組で語ったところによると、あの一発芸について、コマネチさん本人に肖像権使用料として200万円を支払ったことがあるのだそうです。最初は承諾を得ずに使っていたところ、本人に「気がつかれて」しまった。たけしさんいわく「オレは『ネチコマ』に直したんだけど」――このあたりの顛末も、いかにもたけしさんらしい話です。 子どもたちが校庭で真似するほどの国民的ギャグになったのですから、ご本人の耳に届かないはずがありません。地球の裏側の14歳の完璧な演技が、数年後に日本の校庭でがに股のポーズになり、やがて本人への使用料支払いにまで発展する。こんな国際交流は、後にも先にもないのではないでしょうか。 ギャグの向こう側にいた人 こうして調べ終えて、あらためて思います。 7歳の夏、私が虫捕りだの何だのに夢中になっていたその瞬間、地球の裏側では14歳の少女が完璧な演技をしていた。その名前は、数年後に日本のお茶の間で一発ギャグになり、演技を見たこともない小学生の耳にまで届いた。そして意味の分からないままそのギャグを眺めていた小学生が、50年後にようやく本物の演技を見て、腰を抜かしている。 「コマネチ」という五文字は、ずいぶん長い旅をして私のところに届いたわけです。 たけしさんのギャグを入り口に本物へたどり着く。順番は逆かもしれませんが、こういう昭和の知り方も、あっていいのではないでしょうか。 みなさんは「コマネチ」と聞いて、何を思い浮かべますか? 本物の演技をリアルタイムでご覧になった方がいらっしゃいましたら、ぜひその衝撃を教えてください。 50年遅れで「本物のコマネチ」に出会った私が、次に手に取ったのがこの一冊です。10点満点の少女は、その後の人生で何を学び、何を伝えたいのか。完璧の裏にあった努力と、亡命を経てなお前を向く言葉の数々。スポーツをする子や孫を持つ方への贈り物にも、じつはとても良い本です。 コマネチ 若きアスリートへの手紙(新装版)ナディア・コマネチ著/鈴木淑美訳。10点満点の「白い妖精」本人が、努力と人生について綴った一冊 Amazonで見る › 【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。 ▼ 昭和の今日は何があった日?(前後の記事) ◀ 前の記事:【7月17日】江夏豊、9者連続奪三振。私が生まれた2年後の「見ていない伝説」 | 次の記事:(近日公開)

July 18, 2026