【昭和の今日は何があった日?】5月1日──ゴールデンウィークのど真ん中、あの昭和50年の春

今日は5月1日。ゴールデンウィークのど真ん中だ。 昭和の子どもにとって、この時期は一年でいちばん気持ちが浮き立つ季節だったと思う。学校は休み、外は暖かく、どこかに連れて行ってもらえるかもしれないという期待感。あの頃の5月の空気は、今でも体のどこかに染み付いている気がする。 今回は、5月1日という日付にまつわる昭和の出来事というよりも、「あの昭和50年の春」に生まれたものを3つ振り返ってみたい。昭和50年(1975年)──私が9歳になった年だ。 昭和50年(1975年)──「きのこの山」が生まれた年 今も売り続けているあの定番チョコ菓子、きのこの山が誕生したのは昭和50年のことだ。 チョコレートとサクサクのクラッカーを組み合わせた、きのこの形のお菓子。今では「きのこ派」か「たけのこ派」かの論争が毎年のように話題になるが、そのきのこ派の総本山がこの年に誕生した。 開発のきっかけは意外な話で、明治の小粒チョコ「アポロ」の生産ラインが余っていたことだったという。アポロの円錐形の型にチョコを流し込み、クラッカーの棒を刺してきのこの形を作った。今見ると可愛らしくて当たり前のデザインだが、当時はチョコレートといえば「板チョコ」が主流の時代だった。きのこの形のお菓子なんて奇妙だ、売れるわけがない──社内でそんな声もあったという。 しかし発売するや爆発的なヒットとなり、生産ラインをフル稼働しても追いつかないほどの人気になった。4年後には姉妹品「たけのこの里」も登場し、日本にチョコスナックという新しいジャンルが生まれた。 昭和50年の春、駄菓子屋の棚にあのきのこが初めて並んだ。 昭和50年(1975年)4月15日──「一休さん」が始まった日 **『一休さん』**の放送が始まったのも、昭和50年のこの春だ。 室町時代の実在の僧侶・一休宗純をモデルにしたアニメで、頓智(とんち)で難問を解いていく機転の利いた少年僧の物語だ。「そうだ!とんちだ!」と膝を打つあの感覚を、子どもながらに楽しんでいた記憶がある。 「このはし渡るべからず」と書いてある橋の前で、一休さんは「はし(端)ではなく真ん中を渡ればいい」と言って渡る。「屏風の虎を捕まえよ」と言われれば、「まず虎を屏風から出してください」と切り返す。とんちといえばこの番組、というくらい昭和の子どもたちの記憶に刻まれた作品だ。 一休さんは1982年まで7年間・全296話が放送される長寿アニメとなった。「ぽくぽくぽく……チーン」というおなじみのシーンは、今でも頭の中で鳴り響く。 昭和50年(1975年)4月15日──「ローソン」が生まれた日 もう一つ、昭和50年の春に生まれたものがある。 今も街のあちこちにある**コンビニエンスストア「ローソン」**だ。昭和50年4月15日、ダイエーローソンとして設立された。 今でこそコンビニは生活の一部だが、当時の日本にはまだほとんど存在していなかった。「いつでも買い物できる店」という概念自体が新しかった時代に、ローソンはその先駆けの一つとしてスタートした。 ちなみにセブンイレブンの1号店が日本に開いたのは昭和49年(1974年)のことで、ローソンはその翌年だ。昭和50年前後は、日本のコンビニ元年とも言える時期だった。 あの頃の子どもには「コンビニ」という言葉すらなかった。でも気がつけば、私たちの生活の中にそれは深く入り込んでいる。昭和50年の春に産声を上げた店が、今も全国に1万4000店以上ある。 おわりに 昭和50年(1975年)の春に生まれたものを3つ振り返った。 きのこの山、一休さん、そしてローソン。どれも今でも続いているというのが、なんとも感慨深い。あの年の春に生まれたものが、半世紀を超えて今も私たちの生活の中にある。 昭和50年、私は9歳だった。きのこの山を食べ、一休さんを見ながら、コンビニのない町で育っていた。あの春の空気と一緒に、この3つの誕生を覚えておきたいと思う。 ▼ 昭和の今日は何があった日?(前後の記事) ◀ 前の記事:【昭和の今日は何があった日?】4月30日──カードを集めたくて、スナックを買い続けた | 次の記事:【昭和の今日は何があった日?】5月2日──たいやきくんは、なぜ海に逃げたのか ▶

April 30, 2026

【昭和の今日は何があった日?】4月30日──カードを集めたくて、スナックを買い続けた

今日は4月30日。ゴールデンウィークのど真ん中だ。 昭和の子どもにとって、この時期は「連休の中日」という感覚よりも、「外で遊びまくる日々の一つ」という感じだった。近所の空き地、駄菓子屋、公園──あの頃の春休みやGWの記憶が、なんとなく頭の中によみがえってくる。 そんな4月30日に、昭和40年代から64年のあいだ、何があったのか。今回は3つの出来事を振り返ってみた。 昭和46年(1971年)──「仮面ライダースナック」という、社会問題 4月30日ぴったりの話ではないが、昭和46年(1971年)の4月に起きた出来事として欠かせないものがある。 仮面ライダースナックだ。 4月3日に仮面ライダーの放送が始まると、カルビーは「仮面ライダースナック」を発売した。1袋20円のスナック菓子に、仮面ライダーカードが1枚封入されていた。カードの裏には怪人の能力や弱点、ストーリーの解説が書いてあって、集めれば集めるほど仮面ライダーの世界が広がっていく。 子どもたちは夢中になった。 問題は、カードを手に入れた後のスナックだ。 当時の子どもたちは、カードだけ抜いてスナックを捨てていた。ゴミ箱に、道ばたに、スナックだけが山積みになっていく光景が全国で続出した。「食べ物を粗末にしている」と大人たちは怒った。これが社会問題として報じられ、カルビーはスナックの量を増やしたり、「残さず食べましょう」と呼びかけたりと、いろいろな対応を迫られた。 でも子どもにとっては、スナックよりカードのほうが大切だったのだ。当たり前だ。 この「カード付き菓子」の仕組みは、後のビックリマンチョコや現代の食玩・トレーディングカードゲームへと受け継がれていく。仮面ライダースナックは、日本のおまけ文化の原点の一つと言えるかもしれない。 昭和50年(1975年)4月30日──テレビの前で、大人が固まっていた日 これは子ども目線ではなく、大人の話だ。 昭和50年のこの日、ベトナム戦争が終結した。 北ベトナム軍の戦車が南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン市)の大統領官邸に突入し、南ベトナム政府が崩壊した。アメリカ大使館の屋上からヘリコプターで逃げ出す人たちの映像は、世界中に衝撃を与えた。 日本では、NHKがこの日の正午前に速報を流し、夜には特別番組を編成した。 ベトナム戦争は1965年ごろから日本でも反戦運動と結びついて語られ続けてきた戦争だ。昭和40年代の子どもたちにとっても、学校でも家でも「ベトナム」という言葉は時々耳に入っていたはずだ。何かが起きているらしい、遠い国で戦争をしているらしい──そんな漠然とした感覚。 この日、テレビの前で大人たちが真剣な顔をしていたのを、当時の子どもたちは覚えているだろうか。私にとっても、大人がニュースを見て黙り込んでいるのを横目で眺めていた記憶がある。 戦争が終わったのに、なぜ大人たちはあんな顔をしていたのだろう。長い時間が経った今なら、少しわかる気がする。 昭和46年(1971年)──変身ブームと、あの春の空気 仮面ライダーが放送を始めたこの春、昭和46年の4月は子どもたちにとって特別な季節だった。 仮面ライダーが始まる少し前、同じく昭和46年の4月には『帰ってきたウルトラマン』も放送開始していた。怪獣ブームが再びやってきて、「変身」というキーワードが街中に溢れていた時代だ。 「変身!」と叫んで両腕を広げるポーズは、翌年以降に登場する仮面ライダー2号・一文字隼人から生まれた。だが昭和46年の春、まだそのポーズも生まれる前から、子どもたちは自転車にまたがって風を切り、どこかのバッタの怪人を倒しに行くつもりでいた。 カードを集め、スナックを捨て、変身ポーズの真似をして、ちょっと怖いけど目が離せなかったあのヒーロー。 昭和46年の4月30日は、そんなブームの真っ只中にあった。 おわりに 4月30日という日に、私が知らなかった昭和の断片がここにある。 カードのためにスナックを買い続けた子どもたち。テレビの前で黙り込んでいた大人たち。変身ブームの熱気の中にいたあの春。 どれも、昭和という時代のリアルな一コマだ。 あなたの記憶の4月30日と、どこかで交差してくれたら嬉しい。 ▼ 昭和の今日は何があった日?(前後の記事) ◀ 前の記事:【昭和の今日は何があった日?】4月29日──天皇誕生日のこの日、あの黒と白のゲームが生まれた | 次の記事:【昭和の今日は何があった日?】5月1日──ゴールデンウィークのど真ん中、あの昭和50年の春 ▶

April 29, 2026

【昭和の今日は何があった日?】4月29日──天皇誕生日のこの日、あの黒と白のゲームが生まれた

今日は4月29日。 今は「昭和の日」と呼ばれているこの祝日、昭和の時代には「天皇誕生日」という名前だった。学校は休みで、街全体がどこかお祝いムードに包まれていた、あの春の日。 ゴールデンウィークの始まりでもあって、子どもにとっては嬉しくてたまらない一日だった。 そんな4月29日という日に、昭和40年代から64年のあいだ、いったい何が起きていたのか。今回は、私自身が「知らなかった」と驚いた出来事を3つ、掘り起こしてみた。 昭和48年(1973年)4月29日──黒と白のゲームが、この日に生まれた オセロの盤と石(出典:Wikimedia Commons / パブリックドメイン) 「オセロ」が発売されたのは、昭和48年のこの日だ。 黒と白のコマを置いて、相手のコマを挟んでひっくり返す。ルールはシンプルなのに、一手ごとに形勢がガラリとひっくり返る。あの独特の緊張感は、子どもの頃に家族や友達と何度も経験したはずだ。 発売したのは株式会社ツクダ。発明したのは茨城県水戸市出身の長谷川五郎さんという人物で、なんと牛乳びんのフタを改造してコマの試作品を作り、玩具メーカーに売り込んだのが始まりだという。 企画段階でメーカー側が検討していた名前は、前年に中国から贈られて日本中の人気者になっていたジャイアントパンダにちなんで「ランランとカンカン」が有力候補だったそうだ。 なるほど、昭和48年はパンダ旋風が巻き起こっていた年でもあった。もしその名前になっていたら、今ごろどうなっていただろうか。 「覚えるのは1分、極めるのは一生」。そのキャッチコピーのとおり、オセロは今も世界中で愛されているボードゲームだ。あの黒と白は、昭和48年の4月29日に産声を上げた。 昭和60年(1985年)4月29日──「皇帝」が、五冠に輝いた日 競馬の話を一つ。 昭和60年のこの日、シンボリルドルフが天皇賞(春)を制して、史上2頭目となる「五冠馬」に輝いた。 シンボリルドルフは、前年の昭和59年に史上初の無敗での三冠を達成した名馬だ。皐月賞、ダービー、菊花賞をすべて勝って、そのまま有馬記念も制した。翌年も日経賞を圧勝し、そして迎えたこの天皇賞(春)でも、もう一頭の三冠馬・ミスターシービーの奇襲を冷静にかわして優勝。表彰式で騎手の岡部幸雄が高々と5本指を掲げた映像は、競馬ファンなら知っている名シーンだ。 「競馬に絶対はない」というのがこの世界の常識だが、この馬には絶対があると言われた。のちに「皇帝」「七冠馬」と呼ばれるシンボリルドルフの、その五冠目の勝利がこの日だった。 4月29日は天皇誕生日。そして「天皇賞」という名のレースが行われる日。まるで誂えたような一致だと思った。 昭和52年(1977年)4月29日──19歳の大学生が、日本一になった スポーツをもう一つ。 全日本柔道選手権大会は毎年4月29日、東京の日本武道館で開かれていた。体重の区別なし、体格も年齢も関係なく、すべての選手が同じ畳の上で戦う。日本最高峰の一本勝負だ。 昭和52年のこの日、一人の大学2年生が日本中を驚かせた。 山下泰裕、19歳。 決勝でオリンピック銅メダリストを判定で制し、史上最年少での優勝を果たした。まだ大学の授業を受けているような年齢で、日本一の称号を手にしたのだ。それまで「怪童」と呼ばれていたこの青年は、この日から「怪物」と呼ばれるようになった。 その後の山下泰裕はご存知のとおり。全日本選手権9連覇、ロサンゼルスオリンピック金メダル、公式戦203連勝。2019年にはギネス世界記録にも認定されている。 おわりに 昭和40〜64年の4月29日には、こんな出来事があった。 牛乳びんのフタから生まれたオセロ。5本指を高く掲げた騎手。19歳で日本一になった怪物。 どれもあの「天皇誕生日」という祝日の空気の中で起きた出来事だ。昭和を生きた私たちにとって、4月29日はそういう日だった。 あなたの記憶の中の4月29日と、ここで書いた出来事が、どこかで交差してくれたら嬉しい。 ▼ 昭和の今日は何があった日?(前後の記事) 次の記事:【昭和の今日は何があった日?】4月30日──カードを集めたくて、スナックを買い続けた ▶

April 29, 2026