【昭和の今日は何があった日?】7月6日──「本を読むなら、バットを振る」、サラダ記念日がわからなかった高3の夏

7月6日は「サラダ記念日」です。歌人・俵万智さんの第一歌集『サラダ記念日』の表題歌にちなんだ、いまではすっかりおなじみの記念日ですね。 けれど、白状します。この歌集が世に出た1987年(昭和62年)の夏、当時18歳・高校3年生だった私は、「サラダ記念日」という言葉の意味が、まったくわかっていませんでした。今日はその「わからなかった私」の話から、始めさせてください。 一冊で短歌を変えた歌集 『サラダ記念日』は、俵万智さんの第一歌集です。河出書房新社から1987年5月8日に刊行されました。作者の俵さんは1962年生まれ。当時は神奈川県立橋本高校で国語を教える先生で、まだ24歳の新人歌人でした。 俵さんは大阪府の生まれ。早稲田大学で歌人・佐佐木幸綱さんと出会って短歌を始め、卒業後は高校の先生をしながら作品を発表していました。1985年には「野球ゲーム」という一連で角川短歌賞の次席に選ばれるなど、口語短歌の期待の新星として、すでに名を知られはじめていた人です。 じつは、この歌集にはちょっとした裏話があります。もともとは角川書店から出す話もあったのですが、当時の社長・角川春樹さんが「短い詩の本は売れない」と反対したというのです。結局よそから出た一冊がミリオンセラーになり、角川さんはのちに「人生最大の失敗だった」と振り返ったと伝わっています。それほど、誰にも売れると予想できなかった一冊でした。 歌集の初版は、わずか8,000部。短歌の本など、数百部も刷れば十分という世界です。それがこの一冊は爆発的に売れ、最終的に280万部を超え、1987年度のベストセラーランキングで、あらゆる本を抑えて堂々の第1位に輝きました。歌集が売上のてっぺんに立つなど、前にも後にも例のない出来事です。 何がそんなに新しかったのか。俵さんは、それまで「難しくて格調高いもの」と思われていた短歌を、私たちが普段しゃべる言葉──口語で詠んでみせたのです。恋人が手料理をほめてくれた。ただそれだけの日常のひとこまを、五・七・五・七・七の三十一文字にすくい取る。「与謝野晶子以来の天才歌人」とまで言われました。 『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 刊行から2ヶ月後、本のなかで名づけられた「7月6日」を、現実のカレンダーで初めて迎えた日。朝日新聞の「天声人語」がこの歌を取り上げると、出版社には1日で約1,500本もの電話注文が殺到したそうです。その年の新語・流行語大賞では「新語部門・表現賞」に選ばれ、「記念日」という言葉そのものを世間に広めました。まさに、社会現象です。 「本を読むなら、バットを振る」 さて、その社会現象のまっただ中にいたはずの、18歳の私です。 1987年の夏、私は高校3年生。最後の夏の大会を目前に控えた、野球部の球児でした。来る日も来る日も、白球を追って土にまみれていました。 恥ずかしながら、当時の私には本を読む習慣がまるでなく、「本を読むなら、バットを振る」と、それはもう大まじめに思っていました(笑)。歌集どころか、活字そのものが、遠い世界の話でした。 それでも、『サラダ記念日』という本の名前や、俵万智さんというお名前は、なんとなく知ってはいました。テレビだったか、新聞だったか──どこで知ったのかは、いま思い出そうとしても、まるで思い出せません。ただ、はっきりしているのは、短歌そのものには、まったくの無関心だったということです。あの頃の私は、たぶん野球以外のことには、何ひとつ興味がわかなかったのだと思います。 よく覚えているのは、同級生の部員に一人、勉強のよくできる奴がいて、そいつが会話のなかで「〇〇だから〇月〇日は〇〇記念日な」なんて言い回しを、さらりと使っていたことです。仲間うちで流行っていたわけではありません。ただ、その頭のいい一人だけが、なぜか口にしていた。今になって、ふと思い出します。 正直に言うと、それを聞いても私は「はぁ?何、それ!」という感じで、何のことやらよくわかっていませんでした。私のまわりの仲間も、たぶん似たような温度感だったと思います。汗と土埃のグラウンドに、短歌なんてものが入り込んでくる隙間は、これっぽっちもなかったのです。 いま振り返ると、あの夏の自分について、一つだけ言い直しておきたいことがあります。さきほど、私は「野球のことしか考えていなかった」と書きました。けれど、正確には──「野球のことしか考えたくはなかった」。そう書くほうが、たぶん正しいのです。 当たり前のことですが、高校野球は、残りひと月ほどで終わりを迎える。それは自分でもわかっていました。終われば、卒業後の進路を考えなければならない。うちの家の経済状況で、大学進学なんて可能なのか。そもそも、今の自分の学力では、進学などお話にならないのではないか。──そんな思いは、頭の奥で、もくもくと湧いては来ていたのだと思います。 でも私は、そのどれ一つにも正面から向き合うことなく、ただ「野球」に逃げ込んでいました。白球を追いかけている間だけは、面倒なことを何も考えずにいられたからです。いまこの年になって振り返ると、あの夏のグラウンドには、そうやって逃げ込んでいた一人の自分が、確かにいたのだと思います。 いま、あの夏の「はぁ?」がわかる あれから39年。57歳になった私は、ようやく、あの夏の「はぁ?」の正体がわかるようになりました。せっかくなので、当時の私にも通じるように、かみ砕いて書いてみます。 なぜ、たった一冊の歌集が280万部も売れたのか。答えは、俵さんが短歌を「自分たちの言葉」に取り戻してくれたからです。かしこまった言葉づかいではなく、友だちと話すみたいなことばで、恋やごはんや、なんでもない一日を歌にしていい。そう教えてくれたのです。 それまで短歌といえば、年配の人の趣味か、教科書の中の古めかしいもの、というイメージでした。それを俵さんは、同じ時代を生きる若者のことばで歌ってみせた。だからこそ、ふだん短歌に縁のなかった若い世代、とりわけ同世代の女性たちの心を、一気につかんだのです。 そしてもう一つ、大きな発明がありました。それは「記念日」という考え方です。特別な日というのは、誰かに決めてもらうものではなく、自分の気持ちひとつで名づけていいものなんだ──。じつは「7月6日」という日付も、その日に何かが起きたわけではなく、恋のイメージが強い七夕(7日)のあえて前日を選び、「なんでもない日こそ記念日にしたい」という思いから決められたものだそうです。 だから、たくさんの人が「それなら私も」と動きました。出版社が募った投稿短歌は、なんと20万首にも上ったといいます。みんなが自分の言葉で、自分の記念日を詠みはじめたのです。 熱は、本の外へもあふれ出しました。「〇〇記念日」という言い回しは巷にあふれ、スポーツ新聞の見出しにまで躍り、パロディ本や英語の対訳版、テレビドラマまで生まれたといいます。──そう考えると、あの頭のいい同級生が「〇〇記念日な」と口にしていたのも、けっして気取った特別なことではなかったのですね。彼はただ、その夏の世の中の空気を、そのまましゃべっていただけだったのです。 そして──ここが私にとっての、いちばんの発見でした。あの表題歌が生まれたきっかけは、じつはサラダではなく、お弁当に入れたカレー味の唐揚げだったこと。しかもその一首は、お弁当を持って“野球を見に行った日”に思いついたものだというのです。俵さんが歌人として注目されるきっかけになった作品の題名も、「野球ゲーム」でした。 世間が短歌に沸いていたあの夏、グラウンドにいた私はまったく知らなかったけれど。「サラダ記念日」は、私が大好きな野球場の空気のなかから生まれた歌でもあったのです。なんだ、ちゃんと地続きだったんじゃないか──39年越しに、そう思いました。 それぞれの「記念日」 こうして背景を知ってみると、短歌にまるで興味のなかったあの頃の私にも、確かに"記念日"はあったのだと気づきます。 そう、最後の夏の大会です。勝っても負けても、あの一日は、間違いなく私の人生の記念日でした。記念日は自分で名づけていいものだと俵さんが言うのなら、私にとっての「サラダ記念日」は、あの土のグラウンドの上に、ちゃんとあったのです。バットを振っていた私は、私なりのやり方で、ひと夏の記念日を刻んでいたのだと思います。 それは、進路の不安から逃げ込んだ先だったのかもしれません。それでも、あれほど夢中で逃げ込める場所があったこと自体、いま思えば、とても幸せなことでした。あの夏の自分を、責める気にはなりません。むしろ「よく最後まで白球を追いかけたな」と、そっと声をかけてやりたいくらいです。 令和のいま、私たちは毎日のようにスマホで「いいね」を押しています。「この味がいいね」の"いいね"が、時代を越えて別の意味を持つようになったのも、なんだか面白いものです。俵さんご自身、後年になって「いいねの元祖ですね」と言われる、と語っていました。たった一つの「いいね」で幸せになれる──そんな歌だったと知ると、あの頃「はぁ?」と首をかしげていた自分が、少しかわいく思えてきます。 「はぁ?何、それ!」だったあの一首の背景を、こうして39年越しに知って、静かに腑に落ちる。これもまた、遅れてやってきた、私だけの小さな記念日なのかもしれません。 あなたには、誰かに決められたのではなく、自分で「これは記念日だ」と思えた一日がありますか。そして1987年の夏、あなたは「サラダ記念日」を、どんなふうに聞いていましたか。よかったら、コメントで聞かせてください。 あの夏、私が「はぁ?」と首をかしげた一冊。39年越しにページを開いてみると、かしこまらない言葉で日常のきらめきをすくい取る、その心地よさに驚かされます。若い日に読み逃した方も、あの頃むさぼり読んだ方も。この機会に、あなたの「サラダ記念日」を探しに。 サラダ記念日(河出文庫)俵万智。短歌を“自分たちの言葉”に取り戻した、280万部の不朽の第一歌集 Amazonで見る › このブログ「昭和の今日は何があった日?」では、昭和四十年から六十四年(一九六五〜一九八九年)の出来事を、当時子どもだった私の目線で、日々つづっています。あなたの「昭和のあの日」の記憶も、よろしければコメントで教えてください。 ▼ 昭和の今日は何があった日?(前後の記事) ◀ 前の記事:【7月5日】センターコートに立った日本人、沢松和子のウィンブルドン制覇 | 次の記事:(近日公開)

July 6, 2026