昭和の今日は何があった日? ~5月28日~

5月28日、昭和に刻まれた三つの記憶 5月も終わりに近づいた28日。この日付には、昭和という時代の厚みを感じさせる出来事がいくつも重なっている。 縄文の巨人、山の奥で目を覚ます――昭和41年(1966年) まず昭和41年のこの日から始めたい。 屋久島の標高1,300メートル、高塚山の南斜面で、一人の役場職員が巨木に辿り着いた。旧上屋久町の観光課に勤める岩川貞次さん、42歳。古老から「山の奥に化け物みたいな杉がある」と聞かされ、その伝承を確かめるために深い森をかき分けてきたのだった。 そこに立っていたのは、胸の高さで周囲16メートルを超える、人類の記憶をはるかに遡るような杉の木だった。岩川さんはその姿に圧倒され、自分の名前「岩」の字を取って「大岩杉」と名付けた。 後に「縄文杉」と呼ばれるようになるこの木の推定樹齢は、7,200年とも2,170年とも言われる。どちらにせよ、弥生時代どころか縄文の昔から、その島で風雨をやり過ごしてきたことになる。 屋久島の縄文杉。胸高周囲16.4メートル、推定樹齢2000〜7200年。昭和41年5月28日に現代人が初めて「発見」した。(Photo: Chris 73 / CC BY-SA 3.0) 私が生まれたのは昭和40年代。縄文杉が「発見」されたのはその直前だった。発見後しばらくは世間にもほとんど知られることなく、登山ブームで一般に広まるのはずっと先のことだ。私が子どもだった頃、縄文杉という言葉を耳にした記憶はほとんどない。だが今思えば、私が公園で草野球をしたり、近所の駄菓子屋でアイスを買ったりしていたあの頃も、屋久島の奥深くでは縄文杉がただ静かにそこに立っていたのだ。 人間の営みとはまったく別の時間軸で生きている木がある。そう知るだけで、昭和という時代も、自分の子どもの頃も、ずいぶんと小さく、そしてかけがえのないものに見えてくる。 ヘルメットが宙を舞った日――昭和55年(1980年)5月28日 昭和55年のこの日、川崎球場は異様な熱気に包まれていた。 ロッテ・オリオンズの張本勲が、プロ野球史上初となる通算3000本安打の大台に、あと2本まで迫っていたのだ。 この年、張本は40歳。かつて首位打者を7度も獲得した「安打製造機」も、いまや選手生活の最終盤にいた。巨人を離れ、ロッテに移籍したのはただ一つの目的のため――3000本安打を達成すること。 阪急ブレーブス戦の第1打席で1本を積み重ね2998本。第2、第3打席は凡退。迎えた6回裏、第4打席。マウンドには、速球で名を馳せた山口高志が立っていた。張本はマウンドを見つめながら読んでいた。「記録がかかった場面で、山口もかわすピッチングはしないだろう。初球は甘く来る」。 初球だった。真ん中高めへの速球。張本のバットがうなりを上げた。打った瞬間に分かる、文句なしの当たりだった。打球はライトスタンドの照明塔を直撃して大きく弾んだ。3000本安打、それもホームランでの達成だった。 張本はヘルメットを力いっぱい宙に投げ上げ、自身も飛び上がった。ベンチが総出で駆け寄り、花火が15発打ち上げられ、黄金のくす玉が割れた。スタンドからは色とりどりのテープが舞い降りた。 そしてスタンドには、故郷・広島から母が来ていた。野球には詳しくない母だったが、3000本まで残り10本となったとき、白い丸を10個書いて1本ずつ塗りつぶしていたという。試合後、張本は母の手を取り、グラウンドへ連れ出した。 川崎球場のライトスタンド(1989年撮影)。昭和55年5月28日、この球場で張本勲が3000本安打をホームランで達成した。(Photo: Yasuoyamada / CC BY-SA 3.0) 私はあのとき小学5年生。野球が好きで、公園でよく素振りをしていた。王貞治の一本足打法を真似ることもあったが、巨人時代の張本勲の打撃フォームもよく真似ていた。あの独特の構え、広角に弾き返すしなやかなスイング。子どもが公園でコピーしたくなる、そういう「形」を持っている打者だった。 だから張本がロッテに移籍したと聞いたとき、正直「なぜ?」という気持ちがあった。巨人のユニフォームが似合いすぎていたからだ。移籍の理由が3000本安打への執念だったと知ったのは、もう少し後のことだ。そして迎えたこの5月28日、40歳の張本が現役でスタンドにホームランを叩き込んだ。いま思えば、40歳でプロの球場に立ち続けていること自体が、すでに常人の域を超えた話だった。 3085本という通算安打数は、いまも日本プロ野球の最多記録として破られていない。 教授とボウイとたけしが同じ画面にいた――昭和58年(1983年)5月28日 昭和58年、同じ5月28日に、まったく別の衝撃が日本の映画館を揺るがしていた。 大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』の公開初日だった。 出演者の顔ぶれを見ると、当時の中学・高校生たちがどれほど興奮したか想像できる。デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし。世界的ロックスター、YMOの「教授」、漫才の天才。三人とも役者が本業ではない。 私は昭和58年に14歳、中学2年生だった。YMOの音楽はラジオから流れてきていたし、ビートたけしは「THE MANZAI」や「オレたちひょうきん族」で笑いの頂点にいた時期だ。「その二人が、デヴィッド・ボウイと同じ戦争映画に出る」という情報が流れた時の、あの不思議な感覚は今も覚えている。 舞台は第二次世界大戦中のジャワ島、日本軍の捕虜収容所。坂本龍一が日本軍将校ヨノイ大尉を演じ、ボウイが捕虜の英国将校セリアズを演じた。ビートたけしは、独特の存在感で下士官ハラを演じた。 坂本龍一が手がけた映画音楽は、映像と同時代の語り草となった。「Merry Christmas Mr. Lawrence」のあのメロディは、映画を観ていない人の耳にも届いた。 坂本龍一。『戦場のメリークリスマス』で俳優・作曲家として世界に名を刻み、2023年に71歳で逝去した。(Photo: Ryota Nakanishi / CC BY-SA 3.0) 大島渚監督はかつてこう言った。「ボウイやタケシやサカモトが私を選んでくれたおかげで完成した。そのことは日本のみならず世界の驚異だった」と。 5月28日という日付に、あの映画の初日が重なっていたとは、長い間知らなかった。昭和58年の私はまだ、そこまで映画情報を丁寧に追いかけていなかった。だが今こうして振り返ると、あの夏の前、初夏の空気の中であの映画が産声を上げたことが、妙に腑に落ちる気がする。 昭和の5月28日、三つの層 縄文杉の発見、張本の3000本安打、戦場のメリークリスマスの公開。 一つは人間の時間を超えた木の話。一つは人間が血と汗で刻んだ数字の話。もう一つは、時代のアイコンたちが一つのスクリーンに集った話。 昭和という時代は、こんなふうに何層にも重なっている。あなたの5月28日の記憶には、どんなものがありますか。 ▼ 昭和の今日は何があった日?(前後の記事) ◀ 前の記事:昭和の今日は何があった日? ~5月27日~ドラゴンクエストの日、伝説はこうして始まった | 次の記事:5月29日——昭和が生んだ声と、千年の都を走った地下鉄 ▶

May 27, 2026