【昭和の今日は何があった日?】7月11日──私より9か月早く生まれた、あの雑誌のこと

7月11日。今のカレンダーでは「セブン-イレブンの日」なのだそうです。数字の並びそのままで、なんとも分かりやすい記念日です。 でも、昭和44年生まれの私にとって、この日付にはもっと大事な「誕生日」があります。 昭和43年(1968年)7月11日、『少年ジャンプ』創刊。私が生まれる、わずか9か月ほど前のことです。 昭和43年といえば、3億円事件が起き、川端康成さんがノーベル文学賞を受賞し、メキシコ五輪に日本中が沸いた年です。そんな騒がしい一年の、夏の入り口。のちに日本一となる漫画雑誌は、世間にほとんど気づかれることもなく、ひっそりと生まれました。 のちに「黄金期」と呼ばれる時代のジャンプを、教室で、部活の行き帰りで、夢中になって読むことになる人間としては、この雑誌が自分よりほんの少しだけ先輩だという事実に、妙な親近感を覚えるのです。 最後発の、持たざる挑戦者 意外に思われるかもしれませんが、ジャンプは少年週刊誌の世界では完全な「後発組」でした。 『週刊少年マガジン』と『週刊少年サンデー』の創刊は昭和34年(1959年)。ジャンプが生まれた昭和43年には、両誌はすでに9年の歴史を持ち、少年たちの心をがっちりつかんでいる王者でした。マガジンには「巨人の星」と「あしたのジョー」が並び、まさに絶頂期。手塚治虫をはじめとする人気作家たちは先行誌との結びつきが強く、後発の集英社が有名作家の看板に頼ることはできません。 そこで編集部が選んだ道が、「新人主義」でした。 名のある作家を呼べないのなら、無名の新人を自分たちの手で見つけて、自分たちの手で育てる。せっかく育てた才能を他誌に取られないよう、作家とは専属契約を結ぶ。そして、どの作品を続けてどの作品を終わらせるかは、編集者の思い入れではなく、毎週の読者アンケートの結果で決める。 人気が出なければ、容赦なく打ち切り。新人にとっては恐ろしく厳しい仕組みですが、裏を返せば、実績のない新人にも看板作家とまったく同じ土俵が用意されているということです。誌面の中で「友情・努力・勝利」を描く雑誌が、誌面の外でも実力勝負を貫いていたわけで、持たざる者の雑誌らしい、実に思い切ったルールでした。 このアンケート至上主義は、その後も一貫してジャンプの背骨であり続けます。毎週ハガキで届く読者の声が、次の号の運命を決める。子どもだった私たちが何気なく書いて出したアンケートが、実は日本一の漫画雑誌の編集会議に直結していたのだと思うと、なかなか痛快な話です。 創刊時の発行部数は10万5000部。当時のマガジンやサンデーには遠く及ばない数字です。しかも最初は週刊ですらなく、第2・第4木曜日に発売される月2回刊でした。創刊号に並んだのは、永井豪さんの「ハレンチ学園」、梅本さちおさんの「くじら大吾」など、8本の連載。この年のうちには本宮ひろ志さんの「男一匹ガキ大将」も始まります。のちの大出世を、このときはまだ誰も知りません。 そしてもうひとつ。創刊に先立って編集部が行った読者調査で、少年たちの心に最も響く言葉として挙がったのが、「友情」「努力」「勝利」だったといいます。あの有名な三大原則は、偉い編集者が机の上で考えた理念ではなく、当時の少年たち自身の声から生まれたものだったのです。 「週刊」ジャンプは、私と同い年 創刊の翌年、昭和44年(1969年)10月、ジャンプは週刊化され、誌名も『週刊少年ジャンプ』に変わりました。 昭和44年。つまり「週刊少年ジャンプ」は、私と同い年ということになります。 同じ年に生まれて、同じ時代の空気を吸って育った。そう考えると、のちに私があれほどジャンプに夢中になったのも、当然のことだったのかもしれません。 週刊化されたジャンプは、そこから一気に駆け上がっていきます。「男一匹ガキ大将」や「ハレンチ学園」が爆発的な人気を呼び、創刊からわずか3年ほどで発行部数は100万部を突破したといいます。特に「ハレンチ学園」は、テレビドラマ化までされる社会現象になった一方で、PTAや教育関係者からは猛烈な批判を浴びました。「子どもに読ませたくない」と大人が眉をひそめる雑誌ほど、子どもは読みたくなるものです。いつの時代も、この法則だけは変わりません。 そして昭和50年代に入ると、ジャンプの誌面には私たちの世代の「顔」が次々に現れます。昭和51年(1976年)には「こちら葛飾区亀有公園前派出所」、スーパーカーブームの火付け役「サーキットの狼」もこのころ。私が小遣いを握りしめて駄菓子屋に通っていたあの時代、ジャンプは着々と、私たちを迎え撃つ準備を整えていたのでした。 教室のジャンプ、私のジャンプ 私のジャンプ時代は、小学校の終わりから高校にかけての昭和56年〜60年(1981〜85年)ごろです。 いま思い出しても、ため息が出るような顔ぶれです。「キン肉マン」「Dr.スランプ」「キャプテン翼」「キャッツ♡アイ」、昭和58年からは「北斗の拳」。テレビをつければアラレちゃんが「んちゃ!」と挨拶し、駄菓子屋の店先のガチャガチャからは、キン消し――キン肉マン消しゴムが出てくる。ジャンプの漫画が誌面を飛び出して、テレビにも、おもちゃ屋にも、文房具にもあふれていた時代でした。 そして忘れてはいけない、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」。 こち亀は、私の中では不動の「サブ」でした。お目当ての看板作品ではない。でも、毎週必ず読む。読まないと一週間が締まらない。同じ葛飾区の話ということもあって、両さんの騒がしさには、どこか近所の匂いがありました。ちなみにこち亀の連載開始は創刊から8年後の昭和51年。そこから平成28年(2016年)に200巻で幕を下ろすまで、40年間一度も休載しなかったというのですから、両さんはやはり只者ではありません。 私のジャンプの買い方は、少し特別でした。 近所の駄菓子屋が雑誌も売っていて、毎週必ず買う私の分を、ちゃんと取っておいてくれていたのです。それだけではありません。本当はダメだったと思うのですが、発売日の前日の夕方に、こっそりそれを買わせてもらっていました。「誰にも言っちゃだめだよ」と口止めされて(笑)。 今の言葉でいえば「フラゲ」というやつです。日本中の誰よりも先に新しい号を開いているような気分は、子どもにとって、ちょっとした宝物でした。 読む順番は、お目当ての漫画を真っ先に読む派でした。北斗の拳、キャプテン翼、よろしくメカドック、キン肉マン。楽しみを最後に取っておくなんて器用なことは、とてもできなかったのです。 ちょうど私が中学生だった昭和59年(1984年)ごろ、ジャンプの発行部数は400万部を突破しています。10万5000部で生まれた雑誌が、16年で約40倍。発売日の教室のあちこちにジャンプが載っていたあの光景を思えば、この数字には実感しかありません。 考えてみれば、この黄金期を支えた作家たちの多くが、例の「新人主義」で発掘された人たちでした。「Dr.スランプ」の鳥山明さんも、投稿から見いだされた新人のひとりです。創刊のときに蒔かれた種が、十数年の歳月を経て、ちょうど私たちの世代の目の前で一斉に花開いた。そう考えると、なんとも幸運な巡り合わせだったと思います。 そういえば当時の私は野球部で、「友情・努力・勝利」は誌面の中だけでなく、グラウンドの上の言葉でもありました。キャプテン翼は確かに大人気でした。それでも、私のまわりではまだまだ野球が主流派で、サッカー一筋という友達はいませんでした。そもそも、わが中学校にはサッカー部がなかったのです。翼くんがどれだけ「ボールは友達」と言っても、放課後の私たちが追いかけていたのは白球のほうでした。 653万部の頂点と、その先 ジャンプの部数はその後も伸び続け、平成7年(1995年)の新年合併号では653万部という、雑誌の歴史でも空前の記録を打ち立てます。ただ、それはもう平成の話。私のジャンプはやはり、昭和50年代の、あの少しざらついた紙の手触りとともにあります。 653万部という数字を、少し考えてみてください。当時の日本の人口はおよそ1億2500万人。単純計算で、国民の20人にひとりが同じ週に同じ雑誌を手にしていたことになります。ひとつの物語を、日本中の少年(と、元少年)が同じ週に読んで、月曜日の教室や職場で語り合う。そんな時代が、確かにあったのです。 令和の今、紙のジャンプの部数はピーク時の6分の1ほどになったと聞きます。子どもたちの世代は、漫画をスマホのアプリで読みます。「少年ジャンプ+」で新作を追いかけ、単行本は電子書籍で買う。教室の机にどさっと雑誌を置いて回し読みする、あの光景はもうないのでしょう。 でも、と思うのです。 「ONE PIECE」も「鬼滅の刃」も、たどっていけば同じ一冊の雑誌です。余談ですが、あの「ONE PIECE」でさえ、連載が決まるまでに編集部の会議で3度落とされたといいます。世界的な作品になる卵であっても、例外なく同じ土俵で勝負させる。創刊のときに決めた「新人と実力勝負」の仕組みを、半世紀たっても曲げていないのだとすれば、それはそれで大した頑固さです。 読者の声に耳を澄まし、無名の新人を発掘し、友情と努力と勝利を描く。昭和43年7月11日に10万5000部で産声を上げた仕組みが、形を変えながら、58年後の今も動き続けている。そう考えると、ちょっと胸が熱くなりませんか。 私より9か月だけ早く生まれた「先輩」は、まだまだ現役のようです。 あなたは何派でしたか。ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオン。毎週、発売日が待ち遠しかった漫画は何でしたか? 私にとってのジャンプは、看板作品と並んで、いつも「こち亀」がありました。同じ葛飾区の話で、両さんの騒がしさには近所の匂いがあった。40年・全200巻、一度も休載しなかった伝説の第1巻を開くと、昭和の下町の空気がそのまま立ちのぼってきます。孫と一緒に「じいちゃんの町の漫画だぞ」と読むのも、また一興です。 こちら葛飾区亀有公園前派出所 1(集英社文庫コミック版)秋本治/集英社。すべてはここから始まった、両さん最初の一冊。昭和の葛飾がまるごと詰まっている Amazonで見る › 「昭和の今日は何があった日?」は、昭和40年〜64年のできごとを、ひとつひとつ掘り起こしていく連載です。 ▼ 昭和の今日は何があった日?(前後の記事) ◀ 前の記事:【7月10日】怪獣ブームより先に、あの男は生まれていた | 次の記事:(近日公開) ...

July 11, 2026