【昭和の今日は何があった日?】7月17日──江夏豊、9者連続奪三振。私が生まれた2年後の「見ていない伝説」

7月も半ばを過ぎると、プロ野球はオールスターの季節です。子どもの頃、この「夢の球宴」という響きに、どれだけ胸を躍らせたことでしょう。 昭和46年(1971年)7月17日。西宮球場で行われたオールスターゲーム第1戦で、阪神タイガースの江夏豊投手が、パ・リーグの強打者9人から9者連続奪三振という前人未到の記録を打ち立てました。 このとき私は2歳。当然、記憶にございません。それどころか、江夏投手が阪神のエースとして君臨した時代そのものを、私はこの目で見ていないのです。私が物心ついて野球に夢中になった頃、江夏はもう別の顔をした投手になっていました。 だから今回は、いつもと少し勝手が違います。「あの頃こうだった」と思い出を語るのではなく、野球少年だった私が後から知った伝説の正体に、記事を書きながらあらためて迫ってみたいと思うのです。 前半戦6勝9敗のエースが、なぜ伝説を作れたのか 調べてみて驚いたのは、この年の江夏が絶不調だったということです。 オールスター前の成績は6勝9敗、防御率3.12。昭和43年(1968年)にシーズン401奪三振という、今なお破られない日本記録を打ち立てた剛腕が、「何でか知らんが、今年はコントロールが悪いねん」とぼやくありさま。それでも、7月9日に発表されたファン投票では、セ・リーグ投手部門の1位。負け越しのエースを、ファンは見捨てていなかったのです。 そこにスポーツ紙の記者が挑発を仕掛けます。「ようそんな成績で出てきたな。ちょっとお客さんが喜ぶようなことをやってみな」。江夏の答えは明快でした。自分がお客さんを喜ばせるとしたら、三振しかない——。 江夏は取材に対して「9人全部、三振にとったるワ」と宣言します。ところがこの前代未聞の予告、当のスポーツ紙では冗談扱いされ、紙面の片隅にわずか一行で片付けられたそうです。無理もありません。当時はメジャーリーグでも達成されたことのない記録だったのですから。 昭和46年7月17日、西宮の夜 迎えた第1戦。マスクをかぶったのは、盟友・田淵幸一でした。この年の田淵は病気の影響でほとんど捕手として出場しておらず、シーズン中には一度も組まれていなかった「黄金バッテリー」が、この夜、球宴の舞台で復活したのです。 1回裏、先頭のロッテ・有藤通世から空振り三振。続く西鉄・基満男、阪急・長池徳二も連続で仕留めます。江夏が9人の中で最も警戒したのは、32試合連続安打を記録していた長池でした。この打席にだけ、江夏はその春に自ら編み出したばかりの「落ちる球」を1球だけ投じたと後に語っています。 2回にはロッテ・江藤慎一、近鉄・土井正博、西鉄・東田正義を三者三振。しかもこの回、江夏は打席でも阪急・米田哲也のカーブを右翼スタンドへ運び、3点本塁打まで放っているのです。投げては伝説、打ってはホームランです。 そして3回。後に江夏は、このときの球場が「不気味なほど静かだった」と振り返っています。阪急・阪本敏三が見逃し三振、岡村浩二が空振り三振で、ついに8者連続。 9人目の打者は、阪急の若き強打者・加藤秀司でした。3球目、加藤の打球がバックネット方向に高く上がります。マスクを投げ捨てて追おうとした田淵に向かって、江夏が叫びました。 「追うなっ!」 捕られてしまえば記録は「8者連続」で終わり——と語られがちな場面ですが、後年の江夏自身の弁によれば、本音は「一刻も早くこの緊迫感から逃れたかった」から、なのだそうです。伝説の裏にあった生身の述懐に、私はかえって痺れました。 次の1球。江夏はストライクゾーンのど真ん中に速球を投げ込み、加藤はフルスイングで空を切りました。9者連続奪三振、達成。西宮球場は大歓声に包まれ、江夏は両手を挙げて満面の笑みを浮かべたといいます。 ちなみにこの記念すべきウイニングボールは、現存していません。記録達成を把握していなかった田淵が、三振のコールと同時に観客席へ投げ入れてしまったからだそうです。 伝説は15でようやく止まった この夜の物語には続きがあります。江夏の後を受けた4人の投手が無安打リレーを完成させ、オールスター史上初の継投ノーヒットノーランまで達成してしまうのです。 さらに江夏自身、前年のオールスターでも5者連続奪三振を記録していたため、この時点で通算14者連続。後楽園球場での第3戦にも登板し、最初の打者から三振を奪って15連続まで記録を伸ばします。 これを止めたのが、南海の野村克也でした。バットを極端に短く持って打席に立ち、初球をたたいて二塁ゴロ。「パ・リーグで育った者として、連続だけはなんとしても止めたかった」という野村のコメントがまた、この時代のオールスターが真剣勝負だったことを物語っています。 そして昭和59年(1984年)。今度は巨人の江川卓が球宴で8者連続奪三振まで到達し、あと一人というところで大石大二郎に二塁ゴロを打たれ、大記録に届きませんでした。 この試合のことは、はっきり覚えています。私は中学3年生。最後の夏の大会は6月のうちに地区大会で敗退してしまい、野球部を引退して高校受験に向けた勉強モードに本格的に切り替えていた頃でした。それでも、この年のオールスターはリアルタイムでテレビ観戦していました。 巨人ファンの私は、江川が連続奪三振を4つ、5つ、6つと積み重ねていくたびに、テレビの前で「よし!」「しゃー!」と叫んでいました。すると、同じタイミングで、あちらこちらの家から同じような叫び声が聞こえてくるのです。当時はまだエアコンを入れず、窓を開けて扇風機、という家が多かったのですね(笑)。 そして9人目の打者・大石大二郎がセカンドゴロを打ったその瞬間。今度は「あぁ……」というため息が、方々の窓から同時に聞こえてきました。江夏の記録の偉大さを、私は町内中のため息で思い知ったのです。 「江夏の21球」——確かに観たはずの記憶 冒頭に書いたとおり、私は阪神のエース・江夏を知りません。私が野球に夢中になった昭和50年代、江夏はすでに広島や日本ハムで「優勝請負人」と呼ばれる抑えの切り札になっていました。そして、その抑え投手・江夏の頂点というべき瞬間について、私にはひとつ、鮮明な記憶が「ありました」。過去形で書く理由は、のちほど。 昭和54年(1979年)11月4日、日本シリーズ第7戦、大阪球場。広島が4対3と1点リードで迎えた9回裏。ここから始まる21球が、後に「江夏の21球」と呼ばれる伝説になります。 先頭の羽田耕一にセンター前ヒットを許すと、盗塁と捕手の悪送球で無死三塁。アーノルドに四球、さらに盗塁と平野光泰への四球で、あっという間に無死満塁です。大阪球場は大歓声。近鉄ファンは、球団初の日本一を目前と信じていたはずです。 しかし、ここからが江夏の真骨頂でした。まず代打・佐々木恭介を三振。続く石渡茂の打席で近鉄ベンチはスクイズを仕掛けますが、江夏はその気配を察知し、とっさにボールを高く外します。石渡のバットは空を切り、本塁へ突っ込んだ三塁走者は捕手・水沼四郎にタッチアウト。野球史に残る「スクイズ外し」です。そして21球目、膝元へ鋭く落ちる変化球に石渡のバットがもう一度空を切って、試合終了。広島東洋カープ、球団創設以来初の日本一が決まりました。 実は私、この最後の場面を、小学校の教室で観た——という鮮明な記憶が、長いことありました。教室に備え付けられていたテレビで、クラスのみんなと一緒に『江夏の21球』を目撃した。小学4年生。大興奮だった。個人的には近鉄を応援していたのに、終わってみたら江夏が抑えたことをめっちゃ喜んでいて、自分でもわけがわからないことになっていた——そういう記憶です。 ところが今回、記事を書くために調べてみて、驚きました。昭和54年11月4日は、日曜日なのです。学校があるはずのない日でした。 どうやら私の記憶は、別の試合か、別の日の出来事と混ざってしまっているようです。40年以上、疑いもせずに「教室で観た」と信じ込んでいたのに。記憶とは、なんとあてにならないものでしょう。それでもあの大興奮の手触りだけは、今も確かに体のどこかに残っているのです。 「勝負師」——敵なら最悪、味方なら最強 野球少年だった私にとって、江夏豊は一言でいえば「勝負師」でした。敵に回したら、これほど嫌な相手はいない。でも味方にしたら、これ以上ないほど心強い。巨人ファンの私は、ほとんどの期間、江夏を「敵」として見ていたわけですが、それでもあの背中には痺れるものがありました。 そしてもうひとつ、強く記憶に残っているのが晩年の姿です。昭和60年(1985年)、36歳の江夏は海を渡り、ミルウォーキー・ブルワーズのキャンプにマイナー契約で参加して、メジャーの舞台を目指しました。今でこそ多くの日本人投手が当たり前のようにメジャーへ挑戦していますが、当時としては前代未聞のことです。私はその挑戦を報じるニュースに、いつも注目していました。結果的にメンバー入りは叶わず、江夏はそのままユニフォームを脱ぐことになります。それでも、全盛期の江夏であれば十分に活躍できたはずだと、今なら確信を持って言えます。 見ていない伝説と、あてにならない記憶 阪神のエース・江夏を、私はついにこの目で見ることがありませんでした。抑え投手・江夏の頂点は、確かに目撃したはずなのに、その記憶は場所ごとあやふやになっていました。それでも、江夏の記録に江川が挑んだ夜の、町内中の叫び声とため息だけは、今もはっきり耳に残っています。伝説というのは、正確な記録と、あてにならない記憶と、その両方でできているのかもしれません。 半世紀以上たった今も、球宴での9者連続奪三振は破られていません。もう先発投手が3イニングを投げることすらない現代のオールスターでは、永遠に破られないのでしょう。 皆さんには、この目で見ていないのになぜか鮮明に語れる伝説や、確かに見たはずなのにつじつまの合わない記憶はありますか? この記事の後半に書いた1979年日本シリーズの9回裏を、一球ずつ、投手と打者と両ベンチの心理まで踏み込んで描き切ったのが、スポーツノンフィクションの金字塔と呼ばれるこの一篇です。「スクイズ外し」の21球が、なぜ伝説になったのか。私のあやふやな記憶を補って余りある、正確で、それでいて胸の熱くなる記録です。 江夏の21球(角川新書)山際淳司。1979年日本シリーズ第7戦9回裏を描いた不朽の名作ノンフィクション。「スローカーブを、もう一球」も収録 Amazonで見る › 【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。 ▼ 昭和の今日は何があった日?(前後の記事) ◀ 前の記事:【7月16日】私が生まれた年、人類は月へ向かった | 次の記事:(近日公開)

July 17, 2026