昭和の今日は何があった日? ~5月27日~ドラゴンクエストの日、伝説はこうして始まった

5月27日。 この日付を聞いて、ピンと来る人はきっと「あの音楽」が頭の中で鳴り出す。 ダダダン、ダダダダダン――。 あの壮大な序曲とともに、画面に浮かぶ「ドラゴンクエスト」の文字。昭和61年(1986年)5月27日、この日はのちに「ドラゴンクエストの日」と呼ばれることになる記念日だった。 私は当時、高校2年生だった。 グラウンドにいた。泥まみれで、ボールを追いかけていた。 球児には関係のない話、だったはずが 昭和61年5月27日。私は17歳の高校球児として、日々の練習に明け暮れていた。5月といえば夏の地方大会を前に、チームがいちばん張り詰めてくる時期だ。朝練に始まり、放課後も日が暮れるまでグラウンドに残る。帰り道は足が棒のようで、家に着いたら飯を食って風呂に入ってすぐ眠る。そんな生活の中で、ファミコンが入り込む余地はどこにもなかった。 明治神宮球場で行われる高校野球。あの頃の私も、こんな眩しい夏の空の下でボールを追いかけていた。(Photo: DX Broadrec / CC BY-SA 3.0) だから「ドラゴンクエスト」が発売されたこの日のことを、私はリアルタイムでは知らない。同級生の中にも野球部以外の友人はいて、後から「あのゲームすごいよ」と聞かされた記憶があるような、ないような。それくらい遠い世界の話だった。 でも今、あの日のことを調べてみると、同じ5月27日という日に、まったく別の青春が交差していたのだと気づく。 「今、新しい伝説が生まれようとしている」 キャッチコピーは、そう謳っていた。 発売したのはエニックス(現・スクウェア・エニックス)。プラットフォームは任天堂のファミリーコンピュータ。プレイヤー自身が勇者となり、広大な世界を歩き回りながら魔王を倒す――いわゆるロールプレイングゲームというジャンルを、日本の子どもたちに初めて届けた作品だった。 任天堂ファミリーコンピュータ(HVC-001)。昭和58年(1983年)に発売され、日本中の子ども部屋を変えた。(Photo: Rama / CC BY-SA 2.0 FR) シナリオを書いたのは堀井雄二。「週刊少年ジャンプ」でゲームコーナー「ファミコン神拳」を担当していたライターあがりの男だ。キャラクターデザインには『ドラゴンボール』『Dr.スランプ』で一世を風靡していた鳥山明。音楽はすぎやまこういち。後に堀井自身が「奇跡のメンバーだった」と述懐する顔ぶれが、一本のカセットに詰まっていた。 発売当初、売り上げは芳しくなかったという。それが口コミでじわじわと広がり、最終的に約150万本にまで膨らんでいく。テレビゲームソフトが「社会現象」という言葉で語られた、初めての瞬間に近いものだったかもしれない。 あの頃、甲子園が消えた年 高校野球の話を少しさせてほしい。 昭和61年というのは、甲子園を知る人間には特別な意味を持つ年だ。前の年、昭和60年の夏、PL学園の桑田真澄と清原和博――KKコンビと呼ばれた二人が、涙をのんで甲子園を去った。1年生の夏から3年連続で甲子園の土を踏んだ二人が卒業し、あの二人がいなくなった甲子園は、なんとなく空洞になったように感じた。 私たちのような高校球児にとって、桑田と清原は神様みたいな存在だった。テレビの中で見る甲子園は遠くて眩しくて、ああいう選手になりたいという気持ちと、自分とは違う世界の話だという諦めが、いつも胸の中で混ざっていた。 昭和61年の夏の甲子園は天理(奈良)が優勝した。しかしその夏を目指して、全国3800校以上の球児たちが地方の土を踏んでいた。私もその中の一人だった。グラウンドに転がるボールを、まるで命がけで追いかけていた。 二つの「伝説」が生まれた年 ドラゴンクエストが生まれた日、私はバットを振っていた。 それは単なるすれ違いではなく、あの頃の昭和という時代が持っていた、ある種の豊かさだったのかもしれない。画面の中で勇者が剣を抜く子どもたちがいた。グラウンドで泥に塗れながらノックを受ける子どもたちがいた。誰かの青春は誰かの知らないところで静かに燃えていた。 「ふっかつのじゅもん」を紙に書き留めて、書き間違えて、また最初からやり直した子どもたちの話を今になって聞くと、妙に懐かしい気持ちになる。私はやり直すたびに素振りをしていた。同じ時代に、同じように何度も何度も繰り返した者同士として、どこかで通じるものがある気がして。 あの音楽がある限り すぎやまこういちは2021年に90歳で亡くなった。鳥山明も2024年に逝ってしまった。堀井雄二だけが今も筆をとり続けている。 三人がともに作り上げたあの「序曲」は、いまも世界中の耳に残っている。コンサートホールでオーケストラが演奏し、お客さんがスタンディングオベーションを送る。昭和61年の5月27日に生まれた音楽が、令和の今も鳴り続けている。 あの日、グラウンドにいた私には聞こえなかった音楽が、こうして何十年も経ってから耳の中で鳴っている。不思議な話だと思う。 あなたは、初めてドラゴンクエストを遊んだのはいつ頃でしたか? あわせて読みたい:アルプススタンドの千羽鶴に込められた思いを、親の目線で書きました▼ 千羽鶴に込められた思い――甲子園を目指す高校野球を「親の目線」で見て気づいたこと ▶ 日付から探す:「昭和の今日は何があった日?」記事一覧 ▼ 昭和の今日は何があった日?(前後の記事) ◀ 前の記事:昭和の今日は何があった日? ―5月26日― | 次の記事:昭和の今日は何があった日? ~5月28日~ ▶

May 27, 2026

千羽鶴に込められた思い――甲子園を目指す高校野球を「親の目線」で見て気づいたこと

**【2026年夏 追記】**今年もまた、甲子園の季節がやってきました。地方大会を勝ち抜いたチームの数だけ、敗れて鶴を託したチームがある——アルプススタンドの千羽鶴を見かけたら、この記事のことを思い出していただけたらうれしいです。 こどもの日の朝、夫婦でせっせと鶴を折る 5月5日、こどもの日。 わが家のリビングテーブルには、色とりどりの折り紙が広がっている。妻と私、ふたりで黙々と鶴を折り続ける。これが今年もはじまった。 「文字鶴」という。折る前の紙に一文字ずつ言葉を書き込み、そのまま鶴に仕上げていく。書く言葉はだいたい決まっている。「必勝」「全力」、そして怪我なく無事に戦い抜いてほしいという祈りを込めた言葉たち。一羽折るたびに、息子のことを思う。 息子は高校野球部の2年生だ。 夏の甲子園へ向けて、各地で熱戦が始まる 「全国高等学校野球選手権大会」、通称・夏の甲子園。 その出場をかけた地方大会が、これから全国各地ではじまっていく。どのチームも、この舞台に立つためだけに冬を越え、春を駆け抜けてきた。球児たちの練習はもちろん、それを支える保護者会も動き出す。お茶当番、遠征の送迎、応援の段取り……そのなかでも毎年欠かせないのが、この千羽鶴(文字鶴)づくりだ。 学校によって多少の違いはあるが、どこも気合いは同じ。1000羽、ひとつひとつ手で折る。 負けたチームから、勝ったチームへ 高校野球の大会を見ていると、こんな場面に出会うことがある。 試合に敗れたチームの千羽鶴が、勝ったチームに手渡される光景だ。 決まったルールがあるわけではないし、すべての試合で見られるものでもない。でも、大会を通じて「あ、またそういう場面があったな」と思うことが、親になってから確かに増えた。 「うちはここで終わりになったけど、あとはよろしく頼む」という、言葉にならない引き継ぎ。負けた悔しさと、勝者への期待と、これまで戦ってきたすべてへの敬意が、鶴のなかに凝縮されている。 大会が終盤を迎えるころ、勝ち進んできたチームのそばには、いくつもの学校から集まった千羽鶴が積み重なっていることがある。それはもう、そのチームだけのものではない。脱落していったたくさんのチームの「思い」がそこに乗り移っている。 「親になって」はじめて見えた景色 高校野球は、もともと好きだった。テレビ中継もよく見ていたし、名勝負もいくつか記憶している。でも正直なところ、選手たちの「向こう側」まで想像することは、あまりなかったと思う。 息子が野球部に入り、保護者として関わるようになってから、見え方がまったく変わった。 グラウンドで戦っている子どもたちの後ろには、折り紙と格闘している親たちがいる。早朝から弁当を作り、炎天下で旗を振っている家族がいる。ひとつのアウト、ひとつのヒットに、いくつもの人生が重なっている。 「一戦ごとに強くなる」の本当の意味 高校野球の解説でよく耳にする言葉がある。 「このチームは一戦一戦勝ち進むたびに、強くなってきましたね」 以前はその言葉を、選手たちの成長や経験値の話として聞いていた。でも今は、少し違う解釈が加わっている。 勝ち進むたびに、その肩に乗ってくるものが増えていく。負けたチームの鶴、脱落した仲間たちの思い、遠くから見守る家族の祈り。それを受け取るたびに、選手たちは「自分たちだけのため」ではなくなっていく。背負うものが増えることが、人を強くすることがある。 高校野球が「特別」な理由 多くの人が高校野球に夢中になるのは、なぜだろう。 プロ野球より技術は劣る。ミスも多い。それでも目が離せない。 きっと多くの人が、グラウンドの向こう側にあるものを直感的に感じ取っているからだと思う。解説者の言葉や、スタンドの応援、ベンチの涙。その断片から、「このチームにはなにかある」と感じる。それが高校野球の磁力だ。 千羽鶴に込められた思い、そして時に見かける「負けたチームから勝ったチームへの鶴の受け渡し」。そういった「見えないもの」が確かにそこにある。 親になってはじめて、私はその「見えないもの」の重さを、少しだけ知ることができた気がしている。 今年も、いくつもの鶴を折り終える前に、夏がやってくる。 息子よ、怪我なく、全力で。 それだけでいい。 わが家で毎年使っているのは、この定番の千羽鶴用折り紙です。7.5cm角の小さな紙に「必勝」「全力」と書き込んで折ると、ちょうど文字が鶴の羽に乗ります。20色1000枚入りでプラケース付き。保護者会でまとめて折るときも、家族で少しずつ折るときも、これひとつで足ります。 トーヨー 折り紙 千羽鶴用 プラケース付き 7.5cm角 20色 1000枚入千羽鶴づくりの定番。20色×1000枚のセットで、文字鶴にちょうどいい7.5cm角。ケース付きで保管や持ち運びにも便利 Amazonで見る › これから千羽鶴を作る方へ:折り紙の枚数、書く言葉、糸の通し方まで、実際の手順をまとめました▼ 甲子園の千羽鶴、どう作る?──高校野球の「文字鶴」の作り方・書く言葉・渡し方 あわせて読みたい:野球にまつわる昭和の記憶はこちら▼ 【7月28日】ロサンゼルスの朝、空を人が飛んだ──五輪野球、日本が初代王者になった夏 6月10日──時を計る日に、手作りの時計と夜の高速バスを思う 野球少年の帽子、どう洗ってる?キャップウォッシャーで型崩れなし

May 4, 2026