今日は7月1日。本格的な夏が、すぐそこまで来ています。

この日は、昭和生まれの二つの「もの」が、今も私たちのそばで生きている記念日でもあります。一つは、世界の音楽の聴き方を変えてしまった小さな箱。もう一つは、半世紀ものあいだ、頑として姿を変えなかった一本のアイス。

1979年(昭和54年)7月1日、ソニーが初代ウォークマン「TPS-L2」を発売しました。そして7月1日は、「井村屋あずきバーの日」でもあります。

奇しくも同じ日に重なった、この二つ。片方は時代に合わせて何度も生まれ変わりながら、もう片方は何ひとつ変えないまま、令和の今日まで生き延びてきました。今日はこの二つの「生き残り方」の話を、私の昭和の記憶とともに書いてみたいと思います。


「再生専用機なんて売れない」──その反対を押し切って

ウォークマンが生まれたきっかけは、ソニーの創業者の一人・井深大さんの、ちょっとした「わがまま」でした。

1979年発売の初代ウォークマン「TPS-L2」。ブルージーンズをイメージしたメタリックブルーの小さな箱が、音楽を「持ち歩く」時代を開いた。(Photo: Anna Gerdén / CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

井深さんは出張のたびに、当時のソニー製の小型テープレコーダー「TC-D5」(通称カセットデンスケ)を担いで、飛行機の中で音楽を聴いていました。けれどこれが、約1.7キロもある代物。重くてかなわない。そこで「すでにある小型テープレコーダー『プレスマン』から録音機能を外して、再生だけでいいからステレオで聴けるものを作ってくれ」と注文を出します。

ところが社内の反応は冷ややかでした。「録音機は売れる。でも、再生しかできない機械なんて、いったい誰が買うんだ」。当時の常識では、録音できないテーププレーヤーなど、商品として考えられなかったのです。その反対を押し切ったのが、もう一人の創業者・盛田昭夫さんでした。

こうして1979年7月1日、初代ウォークマン「TPS-L2」が世に出ます。標準価格は33,000円。本体の色は、若者のブルージーンズをイメージしたメタリックブルー。ヘッドホン端子が二つ付いていて、友達や恋人と同じ音楽を分け合える。発売当初は新聞も雑誌もさほど大きく扱いませんでしたが、ヘッドホンで音楽を持ち歩く若者たちの口コミから火がつき、やがて日本中へ、そして世界へと広がっていきました。

「ウォークマン」という言葉は、のちに『広辞苑』や『オックスフォード英語辞典』にも載るほど、携帯音楽プレーヤーそのものの代名詞になっていきます。家の中で「聴く」ものだった音楽が、外へ「持ち出す」ものになった──ウォークマンの登場は、昭和の「音」の歴史の、大きな曲がり角でした。


十歳の私の相棒は、ラジオだった

ここで正直に告白します。1979年、ウォークマンが世に出たとき、私は小学校四年生、十歳でした。けれど当時の私は、ウォークマンという存在をまったく知りませんでした。

先日この欄でも書きましたが、あの頃の私の相棒は、一台の携帯ラジオだったのです。布団にもぐってナイターに耳を澄ませ、好きな番組に周波数を合わせる。音楽を「持ち歩く」なんて発想は、十歳の私の世界には、まだどこにもありませんでした。

私がウォークマンをはっきり意識したのは、それからずっとあと、高校に入学してからのことでした。


高校生の私と、アイワの「ウォークマン」

高校生になると、まわりの友達が次々とヘッドホンで音楽を聴くようになっていました。電車やバスの中でヘッドホンをしている姿は、昭和60年前後にはすっかりおなじみの光景です。私もどうしても欲しくなって、親に頼みました。

ただ──実際に買ってもらったのは、ソニーのウォークマンではありませんでした。少しだけ値段の安かった、アイワの携帯カセットプレーヤーだったのです。

本当はウォークマンが欲しかった。でも、子どもながらに、少しでも家計の負担を軽くしたくて、つい親に遠慮してしまったんですね。今思えば微笑ましい見栄ですが、当時の私には精いっぱいの気づかいでした。

もっとも、当時はその手の携帯カセットプレーヤーを、メーカーがどこであろうと、みんなまとめて「ウォークマン」と呼んでいました。だから私のアイワも、私にとっては立派な「ウォークマン」。先ほどの『広辞苑』の話ではありませんが、商品名が一つの時代の合言葉になっていた、よき時代でした。


一本のテープに、時間ごと詰め込んで

あの頃、音楽を聴くというのは、今よりずっと手間のかかる、けれど豊かな道のりでした。私の場合、その流れはだいたいこんな具合です。

TDK、Sony、maxell——昭和のカセットテープたち。一本ごとに、誰かの「俺のベスト」が刻まれていた。(Photo: CC0, via Wikimedia Commons)

まず、家にはミニコンポがありました。レコードプレーヤー、アンプ、カセットデッキが一体になった、あの憧れの一式です。金曜日にレコード店で新譜を買ってきては、歌詞カードを眺めながら、まず家でレコードをじっくりと聴く。

次に、そのレコードをカセットテープへダビングします。TDK、maxell、AXIA、ソニー──60分や90分のテープを用意して、レコードからカセットデッキへ録音していく。A面とB面それぞれの収録時間を計算しながら曲順を考えるのも、楽しみの一つでした。曲と曲のあいだは一時停止(PAUSE)ボタンを駆使して、余計な無音が入らないように録る。今でいうプレイリスト作り、いや、それ以上に手のかかる作業です。

そうして仕上げた一本を、翌朝プレーヤーに入れて持ち出す。私は通学のとき、イヤホンを耳に差し込んで自転車を走らせていました。

こうして誰もが、自分だけの「マイベストテープ」を作っていました。お気に入りの曲だけを集めた、いわば「俺のベスト」です。私のまわりでよく顔をそろえていたのは、サザンオールスターズ、中森明菜、チェッカーズ、そして松田聖子。一本のテープが、その人の音楽の好みをそのまま映す名刺のようなものでした。

テープ選びにもこだわりがありました。一番普及していたノーマル(TYPE I)、高音がきれいで人気だったクローム(TYPE II)、最高音質だけれど値の張ったメタル(TYPE IV)。高校生のお小遣いでメタルはなかなか手が出ませんが、少し奮発してクロームを買った友達が「やっぱり音がいい!」と得意げにしていたのを、今でも笑って思い出します。

そして、カセットならではの「あるある」も数えきれません。電池が切れかかると、再生の音程がだんだん下がってきて、「そろそろ電池交換だな」と気づく。早送りと巻き戻しを繰り返すうちにテープが伸びたり、デッキの中で絡まったり。引き出してしまったテープを、鉛筆をリール穴に差し込んでカリカリと手で巻き直す──あの作業は、昭和のカセット世代に共通の思い出ではないでしょうか。


あずきバー──「変わらない」を選んだ一本

さて、ここで7月1日のもう一つの主役、井村屋の「あずきバー」に触れておきましょう。

あずきバーが生まれたのは1973年(昭和48年)。アイス市場が大手乳業メーカーの牙城だった当時、和菓子屋の井村屋はなかなか食い込めずにいました。頭を抱える開発担当者に、初代社長の井村二郎さんが言ったそうです。「うちには、あずきがあるやろ」

その一言から、「ぜんざいをそのまま凍らせる」という発想で生まれたのが、あずきバーでした。1本30円。あずき、砂糖、水あめ、塩──たった四つの材料だけで、乳製品も添加物も使わない。だからこそ、あの歯が立たないほどの硬さが生まれました。のちに「世界一硬いアイス」とまで呼ばれるあの食感は、ごまかしのきかない素材へのこだわりの、裏返しでもあったのです。

私が四歳のときに世に出たあずきバーは、私が大人になっても、こうして年を重ねた今も、まったく同じ顔をして冷凍ケースに並んでいます。半世紀ものあいだ、ほとんど何ひとつ変えずに。


令和の今、二つの昭和を並べてみる

面白いのは、この二つの「昭和生まれ」が、まったく逆の生き方で令和まで生き残ったことです。

ウォークマンは、変わり続けることで生き残りました。カセットから始まり、CD、MD、メモリースティック……と、時代の記録媒体が変わるたびに姿を変え、カセット式は2010年にひっそりと国内販売を終えました。それでも「ウォークマン」という名前は、今もソニーのポータブルプレーヤーとして、ハイレゾ音源を聴ける最新機種にまで受け継がれています。中身を何度も入れ替えながら、名前と「音楽を持ち歩く」という志だけは、捨てなかったのです。

いっぽうのあずきバーは、変わらないことで生き残りました。材料は今もあの四つだけ。あの硬さも変わらない(むしろ昔より硬くなった、とも言われます)。そして2021年度には、年間の販売本数が3億本を突破しました。何も変えなかったからこそ、世代を超えて愛され続けている。

進化することで生き延びたウォークマン。変わらないことで生き延びたあずきバー。正反対の二つが、奇しくも同じ7月1日を記念日に持ち、令和の今日も、私たちのすぐそばにいます。

今はスマートフォン一台で、何千万曲でもすぐに聴ける時代です。便利になったものだと、心から思います。けれど、あの頃の私たちには、自分で時間をかけて作り上げた一本のカセットテープに、特別な愛着がありました。あれは、音楽そのものだけでなく、そのテープを編んだ時間も、買いに行った金曜日の高揚も、自転車を漕いだ通学路の風景も──ぜんぶ一緒に持ち歩いていた時代だったのだと思います。

現役のバス運転士として毎日ハンドルを握る私の、すぐ手の届くところにも、この二つはまだ生きています。コンビニの冷凍ケースに並ぶあずきバー。そして、形を変えながらも鳴り続けるウォークマンの遺伝子。

変わることで生き残るもの。変わらないことで生き残るもの。あなたの暮らしのそばにも、昭和生まれのまま、今も静かに生き続けている「もの」が、ありませんか。


そして今日、7月1日。半世紀、何ひとつ変えなかったあの一本を、久しぶりに齧ってみるのはいかがでしょう。あの歯が立たないほどの硬さも、ほろりと崩れるあずきの素朴な甘さも、子どもの頃のあの夏と、まったく同じ味のままです。

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このブログ「昭和の今日は何があった日?」では、昭和四十年から六十四年(一九六五〜一九八九年)の出来事を、当時子どもだった私の目線で、日々つづっています。あなたの「昭和のあの日」の記憶も、よろしければコメントで教えてください。


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