今日は6月30日。一年のちょうど真ん中、折り返しの日です。梅雨の重たい雲の下、それでも夏がもうそこまで来ているのを、肌のどこかで感じはじめる頃です。

この日は「トランジスタの日」でもあります。1948年(昭和23年)6月30日、アメリカのベル研究所で、三人の物理学者が生み出した小さな小さな部品が、はじめて世の中に公開されました。トランジスタです。

理科の授業に出てきそうな、なんだか難しい話に聞こえるかもしれません。けれども、この豆粒のような部品こそが、やがて昭和の子どもの手のひらに、ひとつの宝物を届けてくれることになります。トランジスタラジオです。


トランジスタという、小さな魔法

トランジスタが発明されるまで、ラジオの心臓部には「真空管」という、ガラスでできた電球のような部品が使われていました。だからラジオは大きくて、重くて、電源を入れてもすぐには鳴らず、温まるのをしばらく待たなければなりませんでした。茶の間にどっしりと置かれ、家族みんなで囲むもの。ラジオは「家具」だったのです。

爪の先ほどの小さな部品、トランジスタ。これが真空管に取って代わり、ラジオを「手のひら」へと連れ出した。(Photo: CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

ところがトランジスタは、爪の先ほどの大きさで、電気も食わず、衝撃にも強い。この小さな部品が真空管に取って代わったとき、ラジオは劇的に小さくなりました。

世界で最初のトランジスタラジオは、1954年にアメリカのリージェンシー社が発売しました。世界初の栄冠こそ譲りましたが、その翌年、日本でも快挙が起こります。1955年(昭和30年)、東京通信工業——のちのソニーが、「SONY」の名を冠した日本初のトランジスタラジオ「TR-55」を世に送り出したのです。

日本初のトランジスタラジオ、ソニー「TR-55」(1955年)。小さな箱の中に、新しい時代が詰まっていた。(Photo: CC0, via Wikimedia Commons)

当時の東京通信工業は、社員数が三百人にも満たない、まだ無名の小さな会社でした。井深大(いぶか・まさる)と盛田昭夫(もりた・あきお)という二人の創業者が、「自分たちの手でトランジスタを作り、それでラジオをこしらえる」という、無謀とも言われた目標に、まさに社運を賭けて挑んだのです。トランジスタでラジオを作るなど不可能だ——そんな声を一つひとつはねのけ、彼らは小さな箱の中に、新しい時代を詰め込みました。

さらに1957年(昭和32年)、ソニーは当時世界最小の「TR-63」を完成させます。「ポケッタブルラジオ」というキャッチコピーで売り出されたこの一台は、サラリーマンの月給ほどもする高級品でしたが、アメリカで飛ぶように売れ、「SONY」の名を世界中に知らしめました。やがてこの会社が、ウォークマンを生み、世界を代表する電機メーカーへと駆け上がっていくのですが、その出発点に、手のひらにのる一台のラジオがあったというのは、なんだか胸が熱くなる話ではありませんか。

このとき、ラジオの意味そのものが変わりました。家族でひとつを囲む「家具」から、一人ひとりが、聴きたいときに、聴きたい場所で耳を傾ける「自分だけの道具」へ。「トランジスタグラマー」なんて流行語まで生まれたほど、トランジスタは時代の合言葉になっていきました。

私が生まれる二十年以上も前の話です。けれども、この小さな魔法が、のちに私の少年時代の夜を、こっそりと彩ってくれることになるのです。


布団の中の、小さな実況中継

トランジスタラジオと聞いて、私の胸に最初に浮かんでくるのは、やっぱり野球のことです。

私の手にトランジスタラジオがやってきたのは、小学校三年生、九歳の誕生日プレゼントとしてでした。昭和53年(1978年)のことです。子どもの頃から無類の巨人ファンだった私にとって、これほどうれしい贈り物はありませんでした。

というのも、当時のテレビのナイター中継は、試合の終盤になると放送時間が来て、ぷつりと終わってしまうことがしょっちゅうあったのです。いちばんいいところで、画面がほかの番組に変わってしまう。あの悔しさといったらありませんでした。そんなとき、毎回活躍してくれたのが、誕生日にもらったこの小さなラジオでした。

布団に入って、そっとラジオのスイッチを入れる。イヤホンを耳に押し込む。テレビとちがって、映像はありません。それでも、ラジオから聞こえてくるアナウンサーの実況だけで、私の頭の中には、その試合の光景がはっきりと、まるで映像のように映し出されていたのです。打球の伸びも、走者の足も、ぜんぶ見えている気がしました。

その証拠に、と言ってはなんですが、いまでも私は当時の巨人の打順をそらで言えます。1番センター柴田、2番サード高田、3番レフト張本、4番ファースト王、5番セカンドのシピン、6番ライト淡口、7番ショート河埜、8番キャッチャー吉田、9番ピッチャー堀内……(笑)。ほら、こうしてすらすら出てくる。布団の中で毎晩のように聞いていた名前は、半世紀近くたった今も、しっかりと私の体に染みついているのです。

そうしてラジオで知った試合の続きは、翌朝の学校での、またとない自慢の種でもありました。「ゆうべの試合、王さん打ったぞ」「堀内、最後まで投げきった」。テレビの中継が終わったあとの展開を知っているのは、布団の中でこっそりラジオを握りしめていた者だけ。教室でそれを得意げに話すのは、子どもなりの、ちょっとした誇りだったのです。あの頃の巨人は、私たち少年にとって、まぎれもないヒーローでした。


「聴く」から「する」へ

そんなふうに、布団の中でラジオの野球にのめり込んでいた少年も、中学、高校と進むうちに、ラジオを手にする時間は少しずつ減っていきました。

理由は、いたって単純です。野球部の活動に、すっかり夢中になっていたからです。

考えてみれば、これはちょっと面白い変化でした。小学生の私は、ラジオの実況を聴きながら、見えないグラウンドを頭の中に思い描く「聴く側」の子どもでした。それが気づけば、自分自身がそのグラウンドに立ち、白球を追いかける「する側」になっていたのです。耳をすませて憧れていた世界に、いつのまにか、自分の足で踏み込んでいた。

イヤホンから流れてくる誰かの実況ではなく、自分のスパイクが土を蹴る音、バットが芯でボールをとらえる音。私にとっての夏の音は、そうやって少しずつ、入れ替わっていったのでした。


茅の輪をくぐって、もう半分

さて、6月30日に話を戻しましょう。

この日は、昔から各地の神社で「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」が行われる日でもあります。一年の前半でたまった穢れを祓い落とし、残り半年を無事に過ごせるよう願う、古くからの神事です。神社によっては、茅(ちがや)で編んだ大きな輪が境内に設えられ、人々はそれをくぐって身を清めます。「茅の輪くぐり」です。

「夏越の大祓」に境内へ設えられる茅の輪。これをくぐって半年の穢れを祓い、残り半年の無事を願う。(Photo: CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons)

正直に告白すると、子どもの頃の私は、こんな神事があることなど、まるで知りませんでした。6月30日が一年の折り返しだということも、半年の穢れを祓う日だということも、すっかり大人になってから知ったことばかりです。

当時の私にとっての6月30日は、ただただ「夏休みが、もうすぐそこまで来ている日」。それ以上でも、それ以下でもありませんでした。一学期の終わりが近づくこの時期の、あのそわそわとした高揚感だけは、今でもはっきりと思い出せます。

それでも、こうして大人になって暦を眺めてみると、6月30日というのは不思議な日だと思います。一年のちょうど真ん中。半分が終わって、半分が残っている。あの頃の私の心は、茅の輪のことなど露知らず、もうすっかり、ラジオから聞こえてくる夏の音のほうへ飛んでいっていたのでしょう。


おわりに

あの「ポケッタブルラジオ」から数えて七十年近く。今、私たちは一人一台、手のひらにのる小さな箱を持ち歩いています。スマートフォンです。あれもまた、トランジスタという小さな部品の、はるか遠い子孫なのだと思うと、少し不思議な気持ちになります。

今では、どんな球場の試合も、手のひらの画面で映像つきで観られるようになりました。便利になったものです。けれども、あのモノラルのスピーカーから流れる実況に耳をすませ、見えないグラウンドを頭の中で必死に描いていた、あの時間。映像がないからこそ、想像することそのものが、楽しみの大きな一部だったように思うのです。アナウンサーの声色ひとつで、ホームランの大きさも、内野ゴロの惜しさも、ぜんぶ自分の頭の中でふくらませていた。あれはあれで、ぜいたくな野球の楽しみ方でした。

バスのハンドルを握る今も、私の運転席にはいつも何かの音が流れています。形は変わっても、声と一緒に時間を過ごすという習慣だけは、あの布団の中の夜から、ずっと変わっていないのかもしれません。

一年の折り返しの日。あなたにとって、あの小さなラジオから流れていたのは、どんな音でしたか。


あの頃の「手のひらの相棒」は、令和のいまも姿を変えて生き続けています。なかでも、手回しとソーラーで充電でき、いざというときスマホの充電もできる防災ラジオは、ひとつ備えておくと心強いものです。枕元のナイター中継に、そして梅雨明けから本番を迎える台風・地震への備えに。

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このブログ「昭和の今日は何があった日?」では、昭和四十年から六十四年(一九六五〜一九八九年)の出来事を、当時子どもだった私の目線で、日々つづっています。あなたの「昭和のあの日」の記憶も、よろしければコメントで教えてください。


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