オロナミンCの日、その語呂合わせ
7月3日は「オロナミンCの日」なのだそうです。「オロナ(7)ミ(3)ンC」という、なんとも昭和らしい語呂合わせから、製造元の大塚製薬株式会社が制定した記念日とのこと。累計販売本数が300億本を突破したことを記念して定められたと聞けば、あの独特な甘さと炭酸の刺激が、いかに多くの日本人の記憶に染みついているかがわかります。

私が子供の頃には、すでに「あって当たり前」の飲み物でした。しかし調べてみると、オロナミンCの誕生は1965年(昭和40年)2月。私が生まれる4年前のことです。ちょうど高度経済成長のまっただ中、東京オリンピックの興奮も冷めやらぬ頃に、大正製薬の「リポビタンD」に対抗する形で世に送り出された商品だったそうです。
首都高速道路や東海道新幹線が開通し、日本中が「もっと速く、もっと元気に」と前のめりになっていた時代。そんな空気の中で「元気ハツラツ」を掲げる栄養ドリンクが生まれたのは、ある意味で必然だったのかもしれません。私が物心つく頃には、そうした高度成長の熱気はすでに一段落していましたが、オロナミンCという商品だけは、変わらぬ姿で駄菓子屋の片隅に鎮座していました。
「オロナ」+「ミンC」、名前の由来
オロナミンCという名前、実は大塚製薬の看板商品だった皮膚薬「オロナイン軟膏」の「オロナ」と、「ビタミンC」の「ミンC」を組み合わせたものだと知って、思わず膝を打ちました。子供の頃はそんなことを考えたこともなく、ただ「元気の出る飲み物」として棚に並んでいたわけですが、企業としては薬品のブランド力をうまく橋渡ししていたのですね。
発売当初、炭酸を含んでいることを理由に医薬品としては認められなかったそうです。当時の感覚では少々残念な判断にも思えますが、これが結果的に薬局以外の場所――駄菓子屋や商店、自動販売機――でも自由に売られる清涼飲料水としての普及を後押ししたというのですから、世の中は分からないものです。ライバルであった大正製薬の「リポビタンD」が医薬品として薬局を中心に売られていたのとは対照的に、オロナミンCは子供の生活圏である駄菓子屋にまで入り込んでくることができた。この違いが、私たち昭和の子供世代の記憶に、オロナミンCがより身近な存在として刻まれた理由のひとつかもしれません。

大村崑さんと、ホーロー看板の記憶
オロナミンCといえば、まず思い浮かぶのが大村崑さんの顔です。「うれしいとねぇ、めがねが落ちるんですよ!」という白黒テレビCMから始まり、やがて「元気ハツラツ!」の掛け声とともに、昭和40年代の茶の間にすっかり定着していきました。大村さんは発売当初からおよそ10年もの間CMに出演し続け、1970年の大阪万博の際には、気球に乗って「オロナミンCを飲んで万国博へ行こう!」と呼びかけるCMまで作られたというから驚きです。それだけ長く同じ顔が茶の間に映り続けたということは、それだけ多くの子供たちの記憶に、あの笑顔が刻み込まれたということでもあるのでしょう。
そういえば、家族それぞれが自分好みにオロナミンCをアレンジして飲む、という趣向のCMもあったように記憶しています。ミルクを入れて「オロナミンセーキ」にしたり、大人はウイスキーやジンを垂らしたり。中には、ほぐした卵黄を溶き入れて飲むという飲み方まであったような気がします。私自身は試したことがないのですが、本当だとしたら、今の感覚ではちょっと驚きの組み合わせです。当時の栄養ドリンクには、こうして「混ぜて自分流にする」という遊び心の文化があったのかもしれません。
そして忘れてはならないのが、街角のあちこちに掲げられていたホーロー看板です。大村崑さんの笑顔と一緒に、当時大塚製薬がスポンサーだった『黄金バット』『巨人の星』『天才バカボン』、あるいは『アタックNo.1』といった人気番組のキャラクターが隅に描かれた看板が、全国津々浦々の商店の壁に貼られていたそうです。
私の記憶でも、看板は本当にあちこちにありました。駄菓子屋やたばこ屋の軒先はもちろん、当時はまだ木製の電柱もあちこちに残っていて、そこにも貼られていたのを覚えています。学校への行き帰り、あるいは近所を自転車で走り回っているときに、ふと視界の端に大村崑さんの笑顔が飛び込んでくる。特に意識して見ていたわけではないのに、気がつけばあの独特な看板のデザインは、しっかりと記憶に焼き付いていました。
看板の中には『巨人の星』の星飛雄馬が隅に描かれたバージョンもあったそうで、後から知って「あの頃見ていたのは、もしかしたらそれだったのかもしれない」と、記憶を重ね合わせています。ただ、小学校低学年の頃はテレビCMや看板で目にするばかりで、実際に飲むことはありませんでした。オロナミンCはどこか「大人の飲み物」のような感じがしましたし、瓶もコーラよりひと回り小さかったので、駄菓子屋で選ぶ時にはつい大きいほうのコーラに手が伸びてしまう。子供心にも、量で選んでいたのかもしれません。今思えば、あの小さな瓶には大人の世界への憧れのようなものが詰まっていたのかもしれませんが、当時の私にはただ「ちょっと背伸びした飲み物」に見えていただけでした。
「小さな巨人」と、我が家の応援歌
私にとって特に感慨深いのは、1976年(昭和51年)からおよそ四半世紀にわたって、オロナミンCが読売ジャイアンツとタイアップしていたという事実です。CMの最後には「オロナミンCは小さな巨人です!」というフレーズが使われ、昭和58年頃までは大村崑さんが、それ以降は中畑清選手をはじめとする巨人軍の選手たちがこの台詞を口にしていたといいます。「Cパワーが、Gパワーになる」というキャッチコピーも使われていたそうで、ビタミンCの力が読売ジャイアンツ(G)の力になる、というダジャレのような発想も、なんとも昭和らしい大らかさを感じます。
私が物心つく頃には、すでにジャイアンツファンとしてラジオにかじりついていた身です(先日この欄でも書きましたが、夜のナイター中継を追いかける少年でした)。テレビでもラジオでも、巨人戦の合間に流れてくるオロナミンCのCMは、応援と一体になった風景の一部でした。看板やCMで繰り返し目にしていたあの飲み物が、まさか自分にとって「特別な一本」になるとは、当時は思ってもみませんでした。
小学5年生の夏、初めての一本
初めてオロナミンCを飲んだのは、小学5年生の夏休みのことでした。パートに出ていた母が、職場で6本入りパックをいただいてきたのです。長らく看板とCMの中だけの存在だったオロナミンCが、ついに我が家の食卓に並んだ瞬間、何とも言えぬ喜びがこみ上げてきました。それまで幾度となく看板やテレビの向こうに見ていた、あの小さな瓶が、今まさに自分の手の中にある――そう思うと、栓を抜く前から胸が高鳴っていたのを覚えています。「これがジャイアンツの選手たちが飲んでたやつかー」――そう思いながら王冠の栓を抜いて口に運んだ、あの瞬間は今でも鮮明に覚えています。

味は想像していたよりもずっと不思議なものでした。すっぱくて、シュワシュワしていて、どこか薬っぽい感じもする。そして何より驚いたのは、飲んだ後のオシッコが真っ黄色になっていたことです(笑)。ビタミンB2の色だと知ったのはずっと後のことで、当時は「これはとんでもない飲み物なんだ」と、変な意味で衝撃を受けたのを覚えています。
後になって知ったのですが、これは私だけの体験ではなく、当時オロナミンCやリポビタンDといったビタミン飲料を飲んだ子供たちの多くが同じように驚いていたのだそうです。今なら「ああ、ビタミンB2ね」と笑って済ませられますが、あの頃は誰も教えてくれない、ちょっとした発見でした。テレビの向こうの大村崑さんも巨人軍の選手たちも、まさか子供たちがこんなところで盛り上がっているとは思ってもいなかったでしょう。
今も変わらぬ「元気ハツラツ」
あれから半世紀近くが経ち、オロナミンCは今も店頭に並び続けています。CMキャラクターは時代とともに移り変わり、令和の今では仮面ライダーとタイアップするなど、姿を変えながらも生き続けている。あの木製の電柱も、駄菓子屋の軒先も、今の街並みからはほとんど姿を消してしまいましたが、瓶のデザインや「元気ハツラツ」という言葉だけは、驚くほど当時のまま残っています。
私も令和の今、たまにオロナミンCを手に取ることがありますが、そのたびに、あの小学5年生の夏休みの記憶がよみがえってきます。母が職場からもらってきた6本入りパック、初めて栓を抜いた時の高鳴り、そして誰にも教わらなかった「発見」の驚き。変わらないのは、あの甘酸っぱい味と炭酸の刺激、そして子供の頃の胸の高鳴りなのかもしれません。
皆さんは、オロナミンCにまつわる思い出はありますか。あの看板を、あのCMを、あの味を、今も覚えていらっしゃいますか。
暑さが本番を迎えるこの季節。あの「元気ハツラツ」を、久しぶりに一本いかがでしょう。半世紀変わらないあの味は、飲んだ瞬間、あなたを子どもの頃のあの夏へ連れ戻してくれるはずです。箱で冷やしておけば、夏バテ気味の毎日の、ささやかな相棒になります。
このブログ「昭和の今日は何があった日?」では、昭和四十年から六十四年(一九六五〜一九八九年)の出来事を、当時子どもだった私の目線で、日々つづっています。あなたの「昭和のあの日」の記憶も、よろしければコメントで教えてください。
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