今日は、正直に告白するところから始めたいと思います。

1976年(昭和51年)7月9日、静岡県の大井川鉄道が、日本で初めて蒸気機関車の動態保存運転を開始しました。今回この日のことを調べるまで、私はこの出来事をまったく知りませんでした。記憶がないどころか、知識としても持っていなかったのです。

当時、私は小学1年生。京成高砂駅のすぐ近く、線路沿いの家で育った私は、毎日のように電車を眺めて暮らす鉄道少年でした。それなのに、この歴史的な出来事を知らずに57歳まで来てしまった。だから今日の記事は、いつもと少し違います。読者のみなさんと一緒に、私自身が初めて知る物語です。

昭和50年12月14日、蒸気が消えた

まず、大井川鉄道の話の前に、その半年前まで時計を戻す必要があります。

1975年(昭和50年)12月14日、北海道の室蘭本線で、国鉄最後のSL定期旅客列車が走りました。室蘭発岩見沢行きの225列車。牽引したのはC57形135号機で、「さよならSL」と書かれた特製のヘッドマークが掲げられていたそうです。

この日の室蘭駅には、前日の夜から徹夜で並んだ人たちがいて、改札が始まった朝7時半には約2000人が乗車券を買い求めたといいます。ふだんは客車5両の列車がこの日は8両に増結され、満員の乗客を乗せて、定刻より1時間14分も遅れて終点の岩見沢に着きました。遅れの理由は、沿線に詰めかけた人の波だったのでしょう。1872年の新橋〜横浜間開業から103年。日本の鉄道を支え続けた蒸気機関車が、日常の風景から姿を消した瞬間でした。

構内の入換用として最後まで働いていたSLも、翌1976年3月、北海道の追分機関区で火を落とします。これで国鉄から、動くSLは一両もいなくなりました。

背景にあったのは、国鉄の「動力近代化計画」です。電化とディーゼル化を進め、燃費が悪く煙で乗客や沿線を悩ませるSLを全廃するという方針でした。高度経済成長のなか、速く大量に運ぶことが鉄道に求められた時代です。合理化としては当然の流れでした。

ただ、皮肉なことに、SLは消えると決まった瞬間から、かつてないほど愛され始めます。消えゆくSLを追いかけて全国の路線に人々が押し寄せた「SLブーム」は、ちょうど昭和40年から50年までの10年間。鉄道ファンだけでなく、老若男女が有名撮影地に集まり、最後の雄姿をフィルムに焼きつけようとしました。1972年(昭和47年)の鉄道開業100年には、京都に梅小路蒸気機関車館(現在の京都鉄道博物館)が開館し、SLを産業文化財として保存する動きも始まっています。当時の時刻表には「今やSLは、走る交通機関から、見る交通機関に変わった」という趣旨のことばが載ったそうです。

人は、なくなるとわかったときに初めて、そのものの価値に気づくのかもしれません。

その半年後、静岡の茶畑を蒸気が走った

そして1976年7月9日。国鉄からSLが完全に消えて、わずか4か月後のことです。

大井川鐵道のC11形。1976年7月9日、日本で初めての本線上SL動態保存運転が、ここから始まった。(Photo: CC BY 2.0, via Wikimedia Commons)

静岡県の大井川鉄道が、大井川本線の金谷〜千頭間、約40キロでSL急行「かわね路号」の運転を始めました。日本で初めての、本線上でのSLの動態保存運転です。「動態保存」とは、博物館に静かに展示するのではなく、動く状態のまま保存すること。つまり、火を入れ、蒸気を上げ、客を乗せて走らせ続けるということです。

牽引したのはC11形227号機。1942年(昭和17年)9月製造のタンク式機関車で、戦時設計に切り替わる直前に造られた、造りの良い一両だそうです。時速85キロで走れる優れた性能を持ちながら、動力近代化の波のなかで職を失い、前年の1975年11月に北海道の標津線から大井川鉄道へやってきました。国鉄最後のSLたちが働いた北海道から、一両の機関車が静岡へ渡り、そこで再び命を吹き込まれた——調べていて、この事実に胸が熱くなりました。

もうひとつ知って驚いたのは、当時の大井川鉄道が、決して余裕のある会社ではなかったことです。昭和40年代から50年代にかけて、沿線の過疎化と人口流出で利用者は減り続け、事業の柱だった貨物輸送も落ち込み、たび重なる災害復旧に資金を注ぎ込まなければならない。経営の先行きが見通せない時期だったといいます。

そのどん底で選んだのが、「消えゆくものにこそ価値がある」という道でした。全国が捨てたものを、あえて拾い上げて走らせ、沿線の外からお客さんを呼び込む。世の中が新しさへ一直線に走っていた昭和51年に、これは相当に思い切った、常識はずれの決断だったはずです。しかし運行開始と同時に全国から乗車の申し込みが殺到し、やがて「SLといえば大井川」と呼ばれるまでになりました。捨て身の賭けは、見事に当たったのです。

跨線橋の上の私は、知らなかった

さて、そのころの私です。

小学1年生の私は、京成高砂駅のそばの跨線橋の上から、飽きもせず電車を眺めていました。高砂の検車区に並ぶ車両たち、踏切を駆け抜けていくスカイライナー。私の世界は、電車でできていました。

でも、そこに蒸気機関車はいませんでした。東京の下町で生まれ育った私にとって、SLは最初から「絵本と図鑑の中のもの」だったのです。デゴイチという言葉は知っていても、それが目の前を走る姿は見たことがない。大人たちが夢中になったSLブームも、終わってから知った話です。

考えてみれば、私たちの世代は不思議な世代です。本物の蒸気機関車が走る姿を知らないのに、あのシルエットだけは、なぜか目に焼きついている。1978年(昭和53年)にテレビ放送が始まった『銀河鉄道999』のおかげでしょう。小学3年生だった私は、毎週欠かさず観ていました。『宇宙戦艦ヤマト』にも夢中でしたから、私の宇宙は、戦艦と機関車でできていたことになります。それにしても、宇宙を旅する列車が、最新型の宇宙船ではなく、あえて蒸気機関車の姿をしていたというのは、今思えば示唆的です。乗ったこともないSLの汽笛に、郷愁のようなものを感じていた——あれは、SLブームを駆け抜けた大人たちの想いが、アニメというかたちで子どもの世代に手渡された瞬間だったのかもしれません。

同じ1976年、葛飾では『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の連載が始まっています。宅急便が生まれたのもこの年です。私の身の回りの昭和51年は、新しいものが次々と生まれる年でした。その同じ年に、遠い静岡で「古いものを守り抜く」決断がされていたことを、跨線橋の上の少年は知る由もありませんでした。

半世紀、走り続けている

驚くべきことに、あのC11形227号機は、今も大井川鐵道の現役機関車です。

大井川鉄道が始めた動態保存は、その後、全国に広がりました。今、各地で週末や夏休みに走っているSLの観光列車は、すべてこの1976年7月9日が原点だと言っていい。そして大井川鐵道自身は、きかんしゃトーマス号の運行でお子さんたちにも愛される鉄道になり、2025年に創立100周年を迎えました。

面白いのは、この鉄道が守っているのはSLだけではないことです。ふだんの普通列車として走っているのも、南海電鉄や東急電鉄などから譲り受けた古い電車たち。よその鉄道で役目を終えた車両が、大井川のほとりで第二、第三の人生を送っているのです。駅舎も昭和のまま残されていて、戦前戦中を舞台にしたドラマや映画のロケ地にもなっているそうです。鉄道会社まるごとが、動く昭和なのですね。

55歳の夏、デゴイチの前に立った

じつは私が初めて本物のデゴイチの前に立ったのは、つい一昨年、55歳の夏のことです。

D51形481号機。図鑑の中でしか知らなかったデゴイチが、目の前にいた。福井・今庄にて。

2024年8月、次男の中学野球の全国大会で福井県を訪れました。宿泊したのは今庄の宿。その敷地に、黒く堂々とした蒸気機関車が展示されていたのです。D51形481号機。1940年(昭和15年)製造、主に中国地方で活躍した機関車だそうです。今庄はかつて北陸本線最大の難所「杉津越え」を控えた鉄道の町で、急勾配に挑む列車を後押しする補機のSLたちが活躍した土地。その歴史を伝えるために、このデゴイチが誘致され、保存されているのだと知りました。

図鑑の中でしか知らなかったデゴイチが、目の前にいる。動輪は私の背丈に届きそうなほど大きく、真正面から見上げると、黒い鉄のかたまりがこちらを見下ろしてくるようでした。息子の野球のために来た町で、まさか半世紀越しの対面を果たすとは。野球と鉄道——私の人生の二本柱が、思いがけない場所で交差した夏でした。

横から見た、D51 481の堂々たる姿。80年以上前に造られた鉄のかたまりが、静かに余生を送っている。

私は今、路線バスの運転士として働いています。だからでしょうか、機械を「動く状態で保ち続ける」ことの重みが、少しだけわかる気がするのです。80年以上前に造られた機関車を今日も走らせるためには、部品ひとつひとつを手の感触で調整し、経験と勘を次の世代に口伝えで引き継いでいくしかない。今庄のデゴイチのように静かに余生を送る機関車も尊いけれど、展示するより、走らせ続けるほうが、何倍も難しいのです。

半世紀前、小さな私が跨線橋から電車を見上げていたあの日も、静岡の茶畑の中を蒸気機関車が走っていた。そのことを57歳になって初めて知り、いつか金谷駅から「かわね路号」に乗ってみたいという、新しい夢がひとつ増えました。知らなかったことを知るのは、いくつになっても嬉しいものですね。

みなさんは、蒸気機関車に乗ったことがありますか。あの汽笛を、聞いたことがありますか。


黒く輝く動輪、白い蒸気、力強い汽笛——。デゴイチをはじめ、日本を走った蒸気機関車たちの雄姿を、豊富な写真で味わえる一冊です。あの頃SLブームを追いかけた方にも、『銀河鉄道999』で汽笛に憧れた世代にも、そしてお孫さんへの一冊にも。ページをめくれば、乗ったことのない汽車の郷愁が、また胸に立ちのぼります。

蒸気機関車大図鑑 SLのすべてがわかる
金盛正樹ほか。デゴイチから大井川のかわね路号まで、写真で楽しむSLの世界
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このブログ「昭和の今日は何があった日?」では、昭和四十年から六十四年(一九六五〜一九八九年)の出来事を、当時子どもだった私の目線で、日々つづっています。あなたの「昭和のあの日」の記憶も、よろしければコメントで教えてください。


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