9月29日 ── 真っ白に燃え尽きたジョーと、泥だらけのユニフォーム|昭和の今日は何があった日?
今日は9月29日です。 「ク(9)リー(2)ニング(9)」と読んで、クリーニングの日。昭和57年(1982年)に、全国のクリーニング店の組合でつくる連合会が定めた記念日です。明後日の10月1日は衣替え。夏物をしまって冬物を出す、季節の入り口に置かれた日でもあります。 実はこの日付には、もうひとつ昭和の出来事があります。昭和46年(1971年)9月29日、アニメ『あしたのジョー』が最終回を迎えました。 クリーニングとボクシングアニメ。何の関係もなさそうな二つですが、私の中では「真っ白」という言葉でつながっています。 昭和57年、クリーニングの日が生まれた年 クリーニングの日を定めたのは、全国クリーニング環境衛生同業組合連合会(現在の全国クリーニング生活衛生同業組合連合会)です。消費者にもっとクリーニングを利用してもらうこと、そして店の側も技術を磨いていくこと。その二つを目的に設けられました。 昭和57年といえば、私は13歳。4月に中学に入学し、野球部に入った年です。 公立の中学でしたが、練習はハードで、伝統的に強い学校でした。グラウンドを走り回り、ノックの打球に飛び込み、スライディングをくり返す毎日です。 ユニフォームは、帽子から靴下まで、すべて白でした。公式戦用のユニフォームも、それとは別にありました。その真っ白なユニフォームが、毎日あっという間に泥だらけになります。 洗ってくれたのは母です。細かいやり方までは覚えていませんが、ブラシでこすり、つけ置きをして、洗う槽と脱水する槽が並んだ二槽式の洗濯機で洗ってくれていました。どれだけ泥だらけにして帰っても、ユニフォームはいつもきれいに洗濯されていました。 クリーニング屋に出したことは、ありません。クリーニングの日が生まれた年、私のユニフォームの白は、店ではなく、家の洗濯機のそばで取り戻されていたのです。 衣替えと、町のクリーニング屋 昭和の学校では、10月1日の衣替えを境に、夏服から冬の制服へと一斉に切り替わりました。 クリーニングの店は、戦後ずっと増え続けてきました。昭和40年代以降は町の店にもドライクリーニングの設備が入り、やがて、預かった洗濯物を工場でまとめて仕上げる「取次店」のチェーンが登場します。 私の記憶でも、町のあちこちに個人のクリーニング店がありました。高砂の線路沿いの家は駅のそばだったせいか、あちらのほうが店は多かったように思います。 とはいえ、私がクリーニング屋のお世話になるようになったのは、中学に入って制服を着るようになってからです。父はスーツを着て働く仕事ではなかったので、ワイシャツや背広を店に出すこともなく、クリーニングとは無縁でした。店にお願いするのは、もっぱら学生服です。 中学の制服はブレザーでした(高校は学ランです)。ときどき自分でクリーニング店へ出しに行き、仕上がったものを取りに行きました。戻ってきたブレザーは、薄いビニールのカバーをかぶって、針金のハンガーに掛かっています。いまでも「クリーニング」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、あのビニールのカバーと針金のハンガーです。 泥だらけのユニフォームは家で母が洗い、ブレザーは町の店が仕上げる。中学生の私の服は、そんなふうに分担されていました。 昭和46年9月29日、ジョーの最終回 ここで、話を11年前に戻します。 『あしたのジョー』は、高森朝雄(梶原一騎)さん原作、ちばてつやさん作画のボクシング漫画です。東京の下町、泪橋を渡った先のドヤ街にふらりと現れた少年・矢吹丈が、元ボクサーの丹下段平と出会い、宿命のライバル・力石徹と拳を交えていく物語です。 『週刊少年マガジン』での連載は、社会現象になっていました。作中で力石徹が死んだときには、その死を悼むファンの声に押されて、現実に葬儀が開かれたほどです。 アニメはフジテレビ系で昭和45年4月1日に始まり、毎週水曜の夜7時に放送されました。そして昭和46年9月29日、第79話「燃えろ!遠く輝ける明日よ!」で最終回を迎えます。 最終回は、世界ランカーのカーロス・リベラとの死闘でした。ロープ際の奇策は二度は通じず、ジョーは強烈なアッパーでリングの外まで吹き飛ばされます。リングに戻ったジョーに、カーロスは小細工抜きの勝負を持ちかけ、二人は足を止めて打ち合います。この一戦の終わりとともに、アニメも幕を下ろしました。 ただ、この最終回は、物語の結末ではありませんでした。アニメが原作の連載に追いついてしまったのです。原作で最後の相手となるホセ・メンドーサは、名前が出てきただけでした。 このとき私は2歳5か月。本放送の記憶は、さすがにありません。 私がジョーを知ったのは、夕方の再放送でした。初めて見て興味を持ち、そこから見るようになったのです。 友だちとは、ジョーの戦い方をまねしました。両腕をだらりと下げたノーガードで相手を誘い、打ってきたところにクロスカウンター。もちろん、スローモーションです。尾藤イサオさんが歌うオープニングの主題歌も、声の感じを似せて歌っていました(笑)。 真っ白に燃え尽きた日 物語の本当の結末をアニメで描いたのは、それから9年後に始まった『あしたのジョー2』です。 日本テレビ系で昭和55年10月13日に始まり、毎週月曜の夜7時。原作の最後、ホセ・メンドーサとの世界タイトルマッチまでを描き切り、昭和56年8月31日に最終回を迎えました。最終ラウンドまで戦い抜き、判定で敗れたジョーが、コーナーの椅子に座ったまま、満足げな笑みを浮かべて真っ白に燃え尽きる。あのラストシーンです。 最終回が放送された昭和56年8月31日は、小学6年生の夏休みの、最後の日でした。 もっとも、ジョー2をリアルタイムで見ていたのは、ときどきだったと思います。全話を通して見たのは、おそらく後の再放送でした。 真っ白に燃え尽きたジョーを見て、私は「死」を思いました。 アニメの最終回も、ジョーの死を思わせる演出で終わっています。ただ、最後のエンディングの絵は、ジョーが旅立っていくような一枚に差し替えられていて、見る人によって受け取り方が分かれるつくりになっていました。子どもの私が受け取ったのは、「死」のほうだったわけです。 ジョーの舞台になった泪橋は、いまは橋ではありません。川が埋め立てられて明治通りが通り、台東区と荒川区の境にある交差点に、名前だけが残っています。 バスの乗務で通ることはありませんが、私用では、泪橋の交差点や南千住のあたりを何度も通っています。そのたびに、自然と「ジョー」を思い出します。 ジョーの翌年に、中学へ ジョーが真っ白に燃え尽きた翌年の春、私は中学生になり、帽子から靴下まで真っ白なユニフォームに袖を通しました。そしてその年の秋、9月29日がクリーニングの日になりました。 ジョーの白は、燃え尽きて、もう戻らない白でした。私のユニフォームの白は、母が毎日取り戻してくれる白でした。泥だらけになって帰っても、次の日にはまた白くなっている。そしてまた、泥だらけになりに行くのです。 減っていく町のクリーニング屋 全国のクリーニングの店は、平成9年ごろをピークに減り始めました。増え続けてきた取次店も、平成10年の約11万6千軒をピークに減少に転じます。令和6年度には、全国の施設数が、無店舗の取次店を含めても7万軒を割り込みました。 私の身のまわりを見ても、個人のクリーニング店が減ったのは明らかです。身近でクリーニング店を営んでいた友人も、近年、店をたたみました。 逆に、コインランドリーは増えている気がします。クリーニング店が減った分をコインランドリーが埋めている、という面もあるにはあるのでしょう。ただ私は、それとは別に、民泊を利用する海外からの旅行者や、一人暮らしの若い人を当て込んだ「投資」として、コインランドリーの開業が増えているのではないかと見ています。たぶん、その投資を勧めるセールスも盛んなのでしょう。 わが家も、洗濯物をクリーニングに出すことはほとんどなくなりました。ワイシャツは形状記憶の素材でアイロンがいりませんし、そもそもいまの仕事の制服では、ワイシャツを着なくなりました。 泥を落とす側になって そんなわが家でも、子どもたちの野球のユニフォームだけは、ひと手間かけて洗っています。 まず、WASHBOYというバケツ型の小さな洗濯機で、ポールという洗剤を使って下洗いをします。それからドラム式の洗濯機で洗い、ほとんど乾燥まで仕上げてしまいます。 ブラシとつけ置きが、バケツ型の洗濯機とポールに。二槽式が、乾燥までこなすドラム式に。道具はすっかり変わりましたが、まず下洗いで泥を落とすところから始めるのは、あの頃の母と同じです。 ...