夏の朝、ニュースはいつも同じ事件を伝えていた
1976年、昭和51年の夏。私は7歳、小学1年生になったばかりでした。
我が家の朝は、いつも決まった風景でした。母は台所で朝食の支度をしていて、父と私と妹の三人は、正座の姿勢で箸を動かす。そのかたわらで、テレビはNHKのニュースを流している——それが、あの頃の我が家の朝でした。

正座した子どもの耳に、大人の世界の言葉が、意味もわからないまま流れ込んできます。「為替相場は、1ドル297円」。「丸紅ルートが……」。父も母も、それらについて何か話すわけではありません。ニュースはただ、朝の食卓の空気の一部として、そこに流れているだけでした。
そんな数々の言葉のなかで、なぜか私の耳に、くっきりと残ったものがあります。「ロッキード事件」。カタカナのその名前を、当時の私は、毎朝のように聞いていました。アナウンサーが繰り返し、繰り返し、その言葉を口にしていたのです。
7歳の子どもに、事件の中身などわかるはずもありません。それでも、ひとつだけ、はっきりとわかっていたことがあります。これは、政治家がお金をもらって悪いことをした事件なのだ、ということです。
「政治家が、お金で」——それだけはわかった
不思議なもので、あの言葉の“中身”を、私はその後もずっと、ちゃんとは知らないまま大人になりました。
ロッキードとは何なのか。誰が、誰から、いくらもらったのか。なぜあれほど大きな騒ぎになったのか。断片的な言葉——「田中角栄」「5億円」「記憶にございません」——は覚えているのに、それらがどうつながるのかは、ぼんやりしたままだったのです。
だから今日は、あの夏の朝に毎日聞いていた言葉の中身を、大人になった自分の目で、ひとつずつ確かめてみようと思います。
事件の正体は、一機の旅客機だった
ロッキード事件とは、アメリカの航空機メーカー・ロッキード社が、自社の飛行機を各国に売り込むため、政財界の要人に賄賂をばらまいた、国際的な汚職事件です。日本にわたった工作資金は、総額30億円を超えたといわれます。
そもそもロッキード社は、戦闘機など軍用機を得意とするメーカーでした。ところが旅客機の分野では、ボーイングなどの強豪に押されて苦戦を強いられていた。なんとしても自社機を売りたい——その焦りが、世界各国での大がかりな贈賄工作につながっていったのです。賄賂を受け取ったとされる要人の名は、オランダやイタリアなど、日本以外の国々でも取り沙汰されました。まさに世界を揺るがすスキャンダルであり、日本はその最大の“市場”のひとつだったのです。
事の発端は、日本ではなくアメリカでした。1976年2月、アメリカ議会の委員会が開いた公聴会で、ロッキード社の副会長が「日本の政界に金を渡した」と証言したのです。海の向こうでのたった一言が、やがて日本列島を揺るがすことになりました。
当時の首相・三木武夫は、この疑惑の徹底究明を国民に約束します。東京地検特捜部は、警視庁や国税庁とも手を組んだ異例の合同捜査に乗り出しました。同じ自民党の、しかも最大の実力者であるはずの田中角栄に、身内の政権の側から捜査のメスが入っていく——そんな張り詰めた空気のなかで、事件は動いていったのです。

日本での舞台になったのは、全日空——ANAの旅客機選びでした。当時、全日空は新しい大型旅客機の選定を進めており、最終的にロッキード社製の「トライスター」の導入を決めます。この機種選びこそが、のちに“便宜”として問題視されることになりました。その選定の裏で、ロッキード社は商社の丸紅を窓口に、さらに「政商」と呼ばれた小佐野賢治や、右翼の大物・児玉誉士夫といった人物を通じて、日本の中枢へと金を流していきました。その金の流れの先に名前が挙がったのが——時の前首相、田中角栄だったのです。
ここで問われたのが、「受託収賄」という罪でした。政治家がその立場を使って特定の企業に有利なように取り計らい、その見返りに金を受け取る——それがこの罪の中身です。全日空が、どの会社の旅客機を選ぶのか。ただそれだけのことに、これほどの金額と、これほどの権力が動いていた。子どもだった私が「政治家がお金で悪いことをした」と受け取っていたのは、つきつめれば、こういうことだったのです。
「今太閤」の逮捕
田中角栄という政治家を、少し紹介しておきます。

新潟の農村に生まれ、学歴は高等小学校まで。それでも一代でのし上がり、54歳の若さで総理大臣にのぼりつめた人物です。「日本列島改造論」を掲げて全国に道路や鉄道を通し、庶民の出であることから「今太閤」と呼ばれました。まさに立志伝中の宰相です。1972年に首相となって日中国交正常化を成し遂げますが、金脈問題への批判を受け、1974年に退陣していました。
その田中が、ロッキード社から丸紅を通じて5億円を受け取り、全日空にトライスター導入の便宜を図った——という容疑で、1976年7月27日、東京地検特捜部に逮捕されます。罪状は受託収賄と、外国為替管理法違反。総理大臣を務めた大物政治家が、しかも現職の国会議員のまま逮捕される。それは日本じゅうを震え上がらせる、衝撃的なできごとでした。東京・目白の田中邸の前にはカメラマンが群がり、その様子はテレビで生中継されました。逮捕を受けて田中は自民党を離党しますが、それでも日本じゅうが、連日この事件にくぎづけになりました。私が毎朝聞いていた「ロッキード事件」とは、まさにこの一連の騒動のことだったのです。
「記憶にございません」と「ピーナッツ」
この事件は、いくつもの流行語を残しました。
ひとつは「記憶にございません」。逮捕に先立つ2月の証人喚問で、事件の鍵を握るとされた小佐野賢治が、質問のたびにこの言葉を繰り返したのです。嘘をつけば偽証罪に問われる。かといって本当のことは言いたくない。その狭間で編み出された絶妙な逃げ口上は、たちまちその年の流行語になりました。そして半世紀近くたった今も、追い詰められた政治家が国会でしばしば口にする——おなじみの言葉として、生き続けています。
もっとも、事件のいちばんの核心にいたとされた児玉誉士夫は、証人喚問が決まったとたんに「病気」を理由に、公の場に姿を見せませんでした。テレビ中継された喚問の場を国民が固唾をのんで見守るなか、肝心の口ほど、重く閉ざされていたのです。
もうひとつは「ピーナッツ」。賄賂の領収書に、金額を隠すための隠語として書かれていた言葉で、「1ピーナッツ」が100万円を意味しました。抗議のデモ隊が、関係者の事務所にピーナッツの粒を投げつけた、という逸話まで残っています。
裁判は、答えの出ないまま終わった
驚くべきことに、田中角栄は逮捕されても失脚しませんでした。その年の12月の総選挙では、地元・新潟でトップ当選を果たします。逮捕されたばかりの政治家に、有権者が誰よりも多くの票を入れたのです。雪深い新潟の人々にとって、田中は、自分たちの郷里に道路や鉄道を引いてくれた恩人でした。中央の政界で何を言われようと、暮らしをよくしてくれた「おらが先生」を、地元は見捨てなかったのです。田中はその後も「闇将軍」と呼ばれ、政界に絶大な影響力を持ち続けました。
裁判は、長い長い年月に及びました。その途中の1981年には、田中の秘書だった榎本敏夫の元妻が、法廷で検察側の証人に立ち、5億円の授受を裏づける証言を行っています。身内からの決定的なひと言に世間はどよめき、彼女が会見で口にした「ハチの一刺し」という言葉もまた、この事件が生んだ流行語のひとつになりました。そして1983年、一審の東京地裁は、田中に懲役4年・追徴金5億円の有罪判決を言い渡します。しかし田中はただちに控訴。争いが最高裁まで続くなか、1993年、田中は判決の確定を見ないまま、75歳でこの世を去りました。「総理大臣の犯罪」は、はっきりと白黒がつくことのないまま、歴史の中に沈んでいったのです。
半世紀後、あの言葉はまだ国会にある
こうして事件の全体像を追いかけてみて、私は少し不思議な気持ちになりました。
あの夏の朝、7歳の私がテレビの前で聞いていた言葉。その中身は、これほどまでに込み入っていて、これほどまでに大きなものだったのか、と。そして、子どもの私が「政治家がお金で悪いことをした」と受け取っていたことは、乱暴なようでいて、案外、事件の芯を突いていたのかもしれません。
そういえば、あの食卓で耳にしていた「丸紅ルート」も、「為替」も——実はこの事件のまん中にあった言葉でした。丸紅は、5億円を田中のもとへ運んだ商社の名前。そして「外国為替管理法違反」は、田中にかけられた罪状そのものです。事件の核心にある言葉を、7歳の私は、意味も知らないまま毎朝口にできるほど聞いていたことになります。正座して箸を動かしていたあの食卓は、思っていたよりずっと、時代のまん中につながっていたのでした。
令和の今も、政治とお金をめぐるニュースは、形を変えて流れ続けています。政治資金や裏金をめぐる問題が報じられ、「記憶にございません」という言葉が国会で聞こえてくるたび、私はあの夏の朝を思い出すのです。半世紀たっても、人は同じ言葉で、同じように逃げる。あのカタカナの事件名を、幼い私が意味もわからず覚えてしまったのは、それが来る日も来る日も、朝のニュースを埋め尽くしていたからでした。そして今も、テレビは少しだけ姿を変えて、同じような事件を伝え続けているのかもしれません。
みなさんにとって「ロッキード」という言葉は、どんな記憶と結びついているでしょうか。リアルタイムで固唾をのんで見守った方も、私のように言葉の響きだけを覚えている方も、よかったらその頃のことを聞かせてください。
「政治家がお金で」という子どもの直感の、その先にある本当の複雑さ。ロッキード事件を一冊で骨太に味わうなら、経済小説の名手・真山仁が事件の深層に迫ったこの一作がおすすめです。田中角栄はなぜ裁かれ、なぜ今なお語られるのか。あの朝のニュースの“中身”が、大人の読み物として立ち上がってきます。
【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。
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