8月29日は「ベルばらの日」と呼ばれています。
1974年(昭和49年)のこの日、兵庫県の宝塚大劇場で、宝塚歌劇団月組による『ベルサイユのばら』の幕が上がりました。

私は当時5歳。宝塚も、少女漫画も、フランス革命も、まだ何ひとつ知らない子どもでした。それでも数年後、この作品は思いがけない形で私の日常に入り込んでくることになります。
「人間に演じられるわけがない」
原作は池田理代子さんの漫画『ベルサイユのばら』。連載が始まったのは1972年、『週刊マーガレット』でのことでした。舞台化は、その連載が終わった翌年の話になります。
少女雑誌の連載でフランス革命をやる、というのは、当時としてはかなり無茶な企画だったはずです。主人公のオスカルは、将軍家の末娘として生まれながら、家を継ぐために男として育てられた女性。実在の人物ではありません。その架空の一人を、マリー・アントワネットとフェルゼンという実在の歴史の中に立たせてしまった。この一手が、のちのすべてを決めたのだと思います。

昭和40年代の後半、宝塚歌劇団は苦しい時期にありました。テレビが各家庭に行き渡り、スターの姿が茶の間で手軽に見られるようになった時代です。劇場には空席が目立つようになっていました。
そこで、当時まだ演出部門の若手だった植田紳爾さんが、この漫画の舞台化を発案します。ところが制作を発表すると、熱狂的な原作ファンから抗議が殺到しました。あの物語を、あのオスカルを、生身の人間が演じられるわけがない、と。
猛烈な反発に、現場の決心は揺らぎます。その時に演技指導として現れたのが、往年の映画スター・長谷川一夫さんでした。

長谷川一夫といえば、戦前から戦後にかけての日本映画を代表する二枚目です。その人が、少女漫画を原作にした宝塚の舞台に関わる。今の感覚で言えば、相当に思い切った起用でした。
長谷川さんが持ち込んだのは、歌舞伎で培われた「見せ方」の技術だったと言われています。どう立つか、どこで止まるか、どの角度で客席に顔を向けるか。漫画のコマの中でしか成立しないはずだった美しさを、生身の人間の身体で再現するための、具体的で身も蓋もない技術です。抗議していた原作ファンを黙らせたのは、理屈ではなく、その一点だったのだと思います。
そして1974年8月29日、初演の幕が上がりました。オスカルを演じたのは、当時の月組トップスター・榛名由梨さん。マリー・アントワネットは初風諄さんでした。
二年で140万人
結果はご存じの通りです。
人気に応える形で、翌年以降、花組・雪組・星組と組を替えての上演が続きました。地方公演も含め、シリーズで動員した観客はおよそ140万人。1974年は、奇しくも宝塚歌劇団が創立60周年を迎えた年でもありました。
オスカルを演じた榛名由梨さん、汀夏子さん、鳳蘭さん、安奈淳さんの4人は「ベルばら四強」と呼ばれ、第一次ベルばらブームの立役者になりました。同じ年、作品は文化庁芸術祭優秀賞を受賞しています。
空席の目立っていた劇場が、チケットの取れない劇場に変わった。昭和の芸能史の中でも、これほど鮮やかな逆転はそう多くありません。
面白いのは、このブームが「もともと宝塚を知っていた人」の中で起きたものではなかったことです。漫画から入ってきた人、それまで劇場に足を運んだことのなかった若い人たち。舞台化に反対していた人たちが、いちばん熱心な客になった。反対の声が大きかったということは、それだけ深く愛されていたということでもあったのでしょう。

五歳の私は、仮面ライダーだった
さて、その1974年8月、5歳の私です。
私は宝塚とも少女漫画とも、まったく無縁でした。興味があったのは、仮面ライダーとウルトラマン。それだけです。
同じ夏、同じ日本で、大人の女性たちが劇場に押し寄せてフランス革命に泣いていた。その一方で、葛飾の五歳児はテレビの前で変身ポーズをとっていたわけです。同じ時代を生きていても、見ている世界はまるで違う。「昭和の今日は何があった日?」を書いていると、こういう場面によく出くわします。
1979年、水曜の夜
『ベルサイユのばら』は、その後アニメになりました。
1979年(昭和54年)10月10日から翌1980年9月3日まで、日本テレビ系で全40話が放送されています。制作は東京ムービー新社。オスカルの声は田島令子さん、アンドレは志垣太郎さん。総監督に長浜忠夫さん、途中から出崎統さんが引き継ぎました。
放送開始の1979年10月、私は小学4年生の秋です。
ただ、正直に書きます。この水曜夜の本放送を、私は見ていません。一つ違いの妹も見ていませんでした。
無理もない話で、この年の4月には『機動戦士ガンダム』が始まり、同じ4月にテレビ朝日で『ドラえもん』の放送が始まっています。男子小学生の世界は完全にそちら側にありました。ロボットと、ネコ型ロボットと、野球です。

夕方の再放送
ところが、です。
いつのことだったかは、はっきり思い出せません。ただ、夕方に『ベルばら』の再放送が流れていた時期があって、私はそれを見てしまった。
そして、やみつきになりました。
夢中になって見ました。特に良かったのが、オープニングの歌です。「薔薇は美しく散る」。歌っていたのは鈴木宏子さん。あの重々しいイントロと、ばらの花が散っていく映像。子ども向けアニメの主題歌とは思えない、はっきりと悲劇の匂いがする曲でした。
昭和の夕方には、再放送という文化がありました。学校から帰ってきて、ランドセルを放り出して、何気なくテレビをつける。そこで流れているのは、たいてい何年か前のアニメです。本放送のときには興味がなかった作品、あるいは幼すぎて見られなかった作品が、その時間に不意打ちのように現れる。
いま考えると、あれは不思議な仕組みでした。自分で選んで見に行ったわけではないのに、たまたまチャンネルを合わせた一本が、その後ずっと記憶に残ってしまう。私にとっての『ベルばら』は、まさにそれでした。
いま思えば、アニメ版『ベルばら』は途中から演出が濃く、暗く、詩的になっていく作品です。オスカルもアンドレも、最後はきちんと死にます。夕方の再放送というのは、そういうものと出会うのにちょうどいい時間帯だったのかもしれません。誰にも見つからずに、一人で見ていられるからです。
男子は少年漫画、女子は少女漫画
1969年生まれの私にとって、少女漫画は自分の本棚にはないものでした。
でも、一つ違いの妹がいましたから、『りぼん』『なかよし』『別冊マーガレット』『少女コミック』は身近にありました。女子が読んでいる漫画を、横から覗いたこともあります。
本当はちょっと読んでみたかった。けれど、男子が少女漫画を読むのは恥ずかしかった。それが正直な気持ちだったでしょう。
なにせ昭和の男子には、
「男子は少年漫画、女子は少女漫画」
という見えない境界線が、結構ありましたから。
誰が引いたわけでもない線です。先生が決めたわけでも、親に言われたわけでもない。それでも確かにそこにあって、越えると笑われる。昭和の子どもの世界には、そういう線がいくつもありました。男の子は泣かない。女の子は前に出ない。線の内側にいるかぎりは楽なのですが、その分、外側にあるものは最初からなかったことになる。
そう考えると、ベルばらの舞台化に抗議が殺到した話も、少し違って見えてきます。「男装の麗人」オスカルという人物そのものが、引かれた線を越えて生きる話なのです。少女たちがあれほど夢中になったのは、たぶん偶然ではありません。
夕方の再放送で私が『ベルばら』にやみつきになれたのは、たぶん、そこに誰もいなかったからです。教室の目も、妹の目も届かない時間に、線をまたいで向こう側を覗いた。そういうことだったのだと思います。
いまなら、誰の目も気にせず堂々と買えます。あのころ横から覗いていただけの五巻が、化粧箱に入って売られている。
そして、まだ観ていない
『ベルサイユのばら』は、その後も宝塚で繰り返し上演され続けています。1989年、1991年、2001年、そして令和に入ってからも。原作漫画は累計2000万部を超え、2025年には完全新作の劇場アニメも公開されました。
1974年8月29日に幕が上がったものが、五十年以上たった今も終わっていない。
そして私は、生涯で一度も宝塚を観たことがありません。
ただ、今回この記事を書きながら、少しばかり興味が湧いてきました。観てみたい、と思ったのです。あの夕方の再放送から四十年以上たって、今度は誰の目を気にすることもなく、堂々と劇場に座ればいい。
昭和の教室に引かれていた見えない線は、さすがにもう、私を止めないでしょう。
とはいえ、いきなり劇場は敷居が高い。まずは家で観てみようか、と思って探したら、舞台の記録がちゃんと売られていました。
みなさんは、夕方の再放送で思いがけず出会ってしまった一本を覚えていますか。あるいは、「男子だから」「女子だから」で近づけなかったものは、ありませんでしたか。よかったら教えてください。
【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。
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