今日は7月30日。夏の日差しが、いよいよ本気になってくる頃です。
正直に告白します。私はこの日にあった出来事を、まったく覚えていません。
1978年(昭和53年)のこの日、私は小学3年生。9歳です。9歳といえば、記憶にしっかり残っていておかしくない年齢です。運動会のこと、夏休みのこと、あの頃見ていたテレビ番組のことなら、いくらでも思い出せます。それなのに、この日のことだけは、頭の中が真っ白なのです。
でもそれは、私が忘れっぽいからではなかったのかもしれません。調べていくうちに、そう思うようになりました。この日、東京から遠く離れた沖縄で、世界にも例のない大事業が行われていたのです。
覚えていない、という不思議
1978年7月30日、午前6時。沖縄県じゅうの車が、一夜にして右側通行から左側通行へと切り替わりました。
実施された日付にちなんで「730(ナナサンマル)」と呼ばれるこの出来事は、いま振り返れば、日本の交通史に残る大事件です。それなのに、当時9歳だった私の記憶には、かけらも残っていません。
なぜだろう、と考えてみました。
私が育ったのは、東京・葛飾の高砂。京成高砂駅のすぐそばの、下町でした。我が家に車はありませんでした。父は週に6日働いていて、家族で遠くへ出かけることもほとんどない暮らしです。「車が右から左になる」というニュースは、車を運転しない子どもにとって、あまりにも遠い世界の話だったのだと思います。
そもそも「沖縄」という場所自体が、当時の私にはずいぶん遠かった。飛行機に乗ったこともなければ、家族旅行の記憶もない少年にとって、沖縄は地図の上の、南のほうにある名前でしかありませんでした。
実際、この記事を書くにあたって記憶をたどってみても、「沖縄」にまつわる思い出は、私の中から何ひとつ出てきませんでした。よほど縁がなかったのでしょう。あの夏、私は確かにどこかで9歳の毎日を過ごしていたはずなのに、沖縄で起きていた歴史的な一夜とは、まるで別の世界に生きていたようです。
だから、この記事は少し特別です。いつもは自分の記憶をたどって書いていますが、今日は違います。私自身が、この出来事を今あらためて知りながら、みなさんと一緒に驚いていく——そんな記事になります。
一夜で、島がひっくり返った
そもそも、なぜ沖縄だけが右側通行だったのでしょうか。
沖縄は戦後の27年近く、アメリカの統治下にありました。車はアメリカと同じ右側通行。日本に復帰したのは1972年(昭和47年)5月15日ですが、そのあとも右側通行は続きました。一つの国では通行方法を一つに統一する——そう定めた国際条約があるにもかかわらず、道路も、標識も、人々の運転の習慣も、一気にひっくり返すことなど簡単にはできません。結局、日本に戻ってからも約6年間、沖縄は「日本なのに車は右」という状態が続いたのです。

その積年の宿題を、たった一晩で片づけたのが「730」でした。
7月29日の午後10時。緊急車両をのぞくすべての車の通行が禁止され、県内一斉にサイレンが鳴り響きました。それを合図に、変更作業が始まります。翌30日の午前6時まで、わずか8時間の勝負でした。
動員された作業員は約800人、車両は約300台。かかった費用は約19億円。標識を付け替え、信号を切り替え、道路に描かれた白線を引き直し、ガードレールの向きまで直していく。気の遠くなるような作業を、真夜中の8時間に詰め込んだのです。
この短時間を可能にしたのが、世界で初めて採用された「カバーアンドテープ方式」でした。あらかじめ左側通行用の標識や信号を設置しておき、それをカバーで覆って隠しておく。当日はそのカバーを外すだけ。道路の白線も、左側通行用のものを先に描いてから黒いテープで覆っておき、当日バーナーでテープを焼き剥がす。考案した久高弘さんの名を取って「久高方式」とも呼ばれています。
さらにこの数日前には台風8号が沖縄に接近していて、信号機や大型標識のカバーが先に吹き飛ばされてしまうという一幕もありました。まさに、天気とも時間とも戦った一夜だったのです。
もっとも、夜が明けてからが本当の勝負でした。長年しみついた右側通行の癖は、ある朝を境にそう簡単には抜けません。切り替え直後は各地で接触事故が相次ぎ、那覇などの市街地では、しばらく交通マヒが続いたといいます。頭ではわかっていても、体が覚えているものはすぐには変えられない。島じゅうの人が、その戸惑いを一緒にくぐり抜けたのです。
沖縄の言葉で、アメリカ統治の時代を「アメリカ世(ゆー)」、日本復帰後を「大和世(やまとゆー)」と言うそうです。「730」は、目に見える形での復帰の総仕上げでした。人々にとっては、単なる交通ルールの変更ではなかったのです。
そのとき、バスはどうなったのか
ここからが、私がいちばん驚いた話です。
車が右側通行から左側通行に変わると、いちばん困るのは、実はバスなのです。
考えてみてください。右側通行の国のバスは、乗り降りするドアが車体の右側についています。運転席は左。ところが左側通行になると、お客さんは道路の左側の歩道から乗り降りするので、ドアは左になければいけない。運転席も右に移さなければならない。つまり、それまで走っていたバスは、一台残らず使えなくなってしまうのです。
当時、沖縄島にあった左ハンドル・右ドアのバスは、およそ1,200台。「729車(ナナニイキュウしゃ)」と呼ばれるこれらの車両を、たった一晩で右ハンドル・左ドアに置き換えなければなりませんでした。
全部を改造している時間はありません。そこで、右ハンドルの新車を900台あまり一気に投入し、さらに160台あまりを改造して間に合わせました。このとき導入されたバスを、いまでも「730車(ナナサンマルしゃ)」と呼びます。あまりに大量だったので、メーカーも各社で分担が決められました。琉球バスは日産ディーゼルと日野、那覇交通はいすゞ、東陽バスは日野、沖縄バスは三菱ふそう、というように。

作業当日の段取りも、聞けば聞くほど鮮やかです。
新しい730車は、事前に旧米軍基地の跡地に集結させておく。7月29日、それまでのバス(729車)が最後の運行を終えると同時に、運賃箱や両替用の小銭を抜き取って、そのまま基地跡地に格納。入れ替わりに、パトカーの先導で730車が各営業所へと回送されていきます。車庫では、路線別・ダイヤ別にバスがきれいに並べられ、両替金が積み込まれていく——。
一晩のあいだに、島じゅうのバスが、そっくり別の車両に入れ替わったのです。
私は今、路線バスの運転士として毎日ハンドルを握っています。だから、この話は他人事とは思えません。
バスというのは、一台走らせるだけでも、始業点検をして、運賃箱を確認し、忘れ物がないかを見て、ダイヤどおりに出庫させるまでに、たくさんの人の手がかかっています。営業所では何十台ものバスが、それぞれ決められた順番で動いています。
それなのに、沖縄では、そのすべてを一晩で入れ替えたというのです。車両だけではありません。運賃箱も、小銭も、行先表示も、担当する路線も、翌朝には何事もなかったかのように走り始めなければならない。現場を知る者としては、「本当にそんなことができたのか」と思ってしまうほどの大仕事です。
もし自分がその現場にいたら、一睡もできなかったでしょう。どこか一つでも段取りを間違えれば、翌朝の路線はたちまち混乱してしまいます。それをほとんど混乱なくやり遂げた先人たちの準備力とチームワークには、ただ驚くばかりです。私にとって730は、交通ルールが変わった日というだけではなく、日本のバス業界が成し遂げた、まさに奇跡の一夜だったのだと感じています。
令和に残った、二台のバス
あれから、47年が経ちました。
大量に投入された730車も、時とともに古くなり、新しいバスに置き換えられて、一台また一台と姿を消していきました。そして今、当時の姿のまま沖縄に残っている730バスは、沖縄バスと東陽バスが持つ、たった2台だけになりました。記念すべき日には、この2台が右側通行時代を再現して走ることもあるそうです。

私たちが当たり前だと思っている「車は左」という光景。それは、日本のどこでも最初から当たり前だったわけではありませんでした。少なくとも沖縄では、47年前のあの一夜に、800人の手と19億円と、900台を超える新しいバスによって、人の手で作られたものだったのです。
私が毎日握っているハンドル。何百回と曲がってきた左側の車線。乗り降りするお客さんが、当たり前のように左のドアから乗ってくること。そのすべてが、誰かの膨大な準備と苦労の上に成り立っている。そう思うと、いつもの見慣れた景色が、少し違って見えてきます。
おわりに
7月30日。私にとっては、記憶が真っ白な一日でした。
でも、覚えていないということは、知らなくていいということではありませんでした。9歳の私には遠すぎた沖縄の一夜を、50年近く経って、バスのハンドルを握る立場になってから、ようやく知ることができた。そう思うと、この「記憶にない一日」も、私にとって意味のある一日になった気がします。
みなさんは、「730」を覚えていますか。沖縄で暮らしていた方なら、あの日の混乱や興奮を、はっきりと覚えているかもしれません。私のように本土にいた方は、そもそもニュースになっていたかどうかも、記憶にないのではないでしょうか。同じ夏の同じ一日でも、立っている場所によって、こんなにも見え方が違う。それもまた、昭和という時代の面白さなのだと思います。
730を成し遂げた沖縄のバスは、今も個性豊かに島を走っています。現存する730車をはじめ、路線バスで巡る沖縄の魅力を一冊にまとめたガイドブックがこちら。バス好きにはもちろん、「レンタカー以外の沖縄旅」を考えている方にもおすすめです。いつか私も、あの2台の730車に会いに行きたいと思っています。
【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。
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