今日は9月21日。

昭和51年(1976年)のこの日、『週刊少年ジャンプ』42号が発売された。その号から連載が始まったのが、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』である。

葛飾区。私が生まれ育ち、今も住んでいる区の名前だ。

自分の町の名前が、少年漫画のタイトルにそのまま入っている。しかも40年続く。こんな経験をした区民は、そう多くないはずである。


なぜ、あんなに長いタイトルなのか

作者の秋本治は、葛飾区亀有の生まれである。のちに葛飾区の名誉区民にもなった、正真正銘の地元の人だ。

『こち亀』はいきなり連載で始まったわけではない。昭和51年6月発売の『週刊少年ジャンプ』29号に、月例ヤングジャンプ賞の入選作として読み切りが載ったのが最初だった。その反響が1か月以上続いたことから連載会議にかけられ、42号からの連載が決まる。

このとき使われていたペンネームが「山止たつひこ」。当時『がきデカ』で人気だった山上たつひこをもじったものである。のちに本人からクレームが来て、連載100回を区切りに本名の「秋本治」に変わった。なかなか大胆な新人である。

そして、あの長いタイトル。

秋本治は、映画監督の山田洋次との対談でこう語っている。『男はつらいよ』のおかげで葛飾区は全国的に知られていた。だから亀有を知らない人でも、葛飾区ならみんな知っているだろうと思った、と。

つまり『こち亀』というタイトルは、寅さんの肩に乗って生まれている。

柴又駅前、旅立つ寅さんの銅像。『こち亀』の長いタイトルは、この人が全国に広めた「葛飾」という地名に乗っている。(筆者撮影)

柴又の帝釈天は、高砂のすぐ隣である。渥美清の寅さんが全国に広めた「葛飾」という地名を借りて、今度は両津勘吉が亀有を全国区にしていった。昭和という時代に、この小さな区は二度も日本中に名前を売ったことになる。

柴又帝釈天の参道。左手の提灯が川千家、右手が亀家本舗。(筆者撮影)


私にとっては、『サーキットの狼』のついでだった

ただし、当時7歳・小学1年生だった私が、この歴史的な42号をありがたがって読んでいたかというと、まったくそんなことはない。

正直に書くと、いつから『こち亀』を読み始めたのか、はっきりとは覚えていない。当時の私にとってのお目当ては別にあった。『サーキットの狼』である。

池沢さとしの『サーキットの狼』は、昭和50年1月に『週刊少年ジャンプ』で連載が始まり、スーパーカーブームの火付け役になった漫画だ。ロータス・ヨーロッパ、ランボルギーニ・カウンタック、フェラーリ512BB。小学生がそらで車の名前を言えるようになったのは、あの漫画のせいである。スーパーカー消しゴムを筆箱に溜め込んだ世代だ。

つまり、私はまず『サーキットの狼』を読み、そのついでに『こち亀』も読む。そういうサブ的な存在だったと思う。

いま思えば、ずいぶん贅沢な誌面である。同じ一冊の中に、スーパーカーが走る漫画と、自分の住む区の名前が付いた漫画が並んで載っていた。後者が40年続く大記録になるとは、当時の誰も——たぶん編集部も——思っていなかっただろう。


その『サーキットの狼』の第1巻です。読み返すと、四十年前に筆箱の中で転がっていた消しゴムの車が、そのまま走り出してきます。

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池沢さとし/ゴマブックス。スーパーカーブームの火付け役になったレーシング漫画。ロータス・ヨーロッパを駆る風吹裕矢の物語の第1巻。星4.2(10件)
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野球用品を買いに行く町

葛飾区に住んでいる人間からすると、亀有と高砂は「同じ区」ではあるが、日常的に行き来する町ではない。

高砂は京成線、亀有はJR常磐線。路線が違うと、子どもの生活圏はきれいに分かれる。それでも自転車に乗るようになった頃には、亀有はそれほど遠い場所ではなくなった。

もっとも、漫画に出てくる亀有公園や派出所が本当に実在するのかどうか、気になって確かめに行く——というほどの存在感ではなかった。私が亀有駅の近くまで行っていたのは、野球用品を買うためである。グラブやバットやスパイクを買いに行く町。それが子どもの頃の私にとっての亀有だった。

亀有駅前の両津勘吉像と、「ようこそ亀有へ!」の看板。(筆者撮影)

ちなみに、いまバスの運転士として亀有方面を走ることはない。ただ、路線バス運転士に転職したばかりの頃には亀有駅始発の路線があり、ときどきその担当に入ることがあった。かつて野球用品を買いに自転車で通った駅前に、何十年かあとにハンドルを握って立ち寄っていたわけである。


「寅さんの柴又」と「こち亀の亀有」

自分の住む町が全国的に有名になっていくことについては、誇らしく感じていた。

子どもの頃、学校でも親戚の集まりでも、『こち亀』や寅さんの話は当然のように出た。そして今に至るまで、私が自分の住んでいる場所を人に説明するとき、必ずと言っていいほど使う言い回しがある。

「寅さんの柴又の近く」「こち亀の亀有の近く」

高砂と言って通じる相手は、正直なところそう多くない。けれど柴又と亀有なら、たいていの人に伝わる。寅さんと両さんは、半世紀近くにわたって、私の自己紹介を手伝い続けてくれている。いまも現役で、である。


40年、一度も休まなかった

『こち亀』の記録を並べると、少し現実離れしている。

昭和51年42号から平成28年(2016年)42号まで、ちょうど40年。連載回数1960回。その間、一度の休載もない。単行本は全200巻に達した。始まったのも42号、終わったのも42号である。

こち亀、40年の記録。

40年というのは、私が7歳から47歳になるまでの時間だ。小学1年生だった子どもが、就職して、転職して、子どもを育てるまでのあいだ、両さんはずっと亀有公園前の派出所にいたことになる。しかも両さんは年をとらない。こちらだけが勝手に年をとって、追い越していった。

連載終了のとき、私にはもう漫画を読む習慣はなくなっていた。それでも「こち亀終了」を知らせるニュースは、どこからともなく耳に入ってきた。やはり、ちょっとさびしい気持ちになったのを覚えている。

亀有駅前に立つ両さんの銅像。連載30周年の平成18年、北口と南口に一体ずつ立った。(筆者撮影)

亀有駅の北口と南口には、両さんの銅像が立っている。区内には『こち亀』のマンホールも埋まっている。銅像もマンホールも、私は見に行った。漫画のキャラクターが、実在の町の風景の一部になってしまった珍しい例だと思う。

両津・中川・麗子。三人そろって駅前で出迎えてくれる。(筆者撮影)


連載第1巻です。絵柄はいまの『こち亀』とだいぶ違って、劇画に近い両さんが出てきます。この記事を書いている時点では、9月30日まで無料で読めるようになっていました。

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同じ9月21日、ホンダが世界の頂点に立った

ここからは話が変わる。時代も場所も、まったく別の9月21日である。

昭和61年(1986年)のこの日、ポルトガルGPの舞台エストリル・サーキットで、ホンダエンジンを積んだウィリアムズがF1のコンストラクターズ・チャンピオンを決めた。日本の自動車メーカーがF1のタイトルを獲ったのは、これが初めてのことである。

ウィリアムズ・ホンダFW11を駆るナイジェル・マンセル(1986年8月、ハンガリーGP)。この年のウィリアムズ・ホンダは16戦9勝だった。(Photo: Mauritz Antin, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons)

この年のウィリアムズ・ホンダは、ネルソン・ピケとナイジェル・マンセルという二人の速いドライバーを擁し、16戦9勝という成績を残した。ただしチーム内で勝ち星を食い合った結果、ドライバーズタイトルのほうはマクラーレンのアラン・プロストにさらわれている。速さはあったのに王座はひとつだけ、という少し皮肉な年だった。ここからホンダは1991年まで6年連続でチャンピオンエンジンとなり、やがてマクラーレン・ホンダとアイルトン・セナの時代へつながっていく。

さて、ここで話が最初に戻る。

『サーキットの狼』の主人公・風吹裕矢は、街の走り屋から始まって、やがてサーキットへ、そして最後はF1へ向かっていく。小学生の私が夢中で追いかけていたのは、そういう物語だったはずである。

ところが、である。

昭和61年当時の私は、F1などのモータースポーツにまったく興味を持っていなかった。セナやプロストの名前を知ったのは、日本にF1ブームがやって来てから。1年の浪人を経て大学に入ったあとのことである。ホンダが世界の頂点に立ったその日、高校2年生の私は、秋の野球部の練習の中にいた。

子どもの頃に好きだったものが、そのまま大人の関心につながるとは限らない。むしろ、ほとんどの場合つながらない。ジャンプで並んで載っていた二本のうち、私の人生に最後まで残ったのは、スーパーカーのほうではなく、町の名前のほうだった。


おわりに

『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の連載が始まった昭和51年、私はまだ子どもだった。

あの頃の葛飾と、いまの葛飾では、町の景色もずいぶん変わった。建物が建ち、道路が整備され、車も人も増えた。それでも、どこかに昔と変わらない葛飾らしさが残っている。

参道を抜けて江戸川の土手に出ると、矢切の渡しがある。ここも私の散歩の範囲だ。(筆者撮影)

『こち亀』を読んでいると、両さんが歩いていた亀有の町が、なんとなく自分の知っている葛飾の町と重なって見えた。派出所の前で騒ぎを起こし、商店街を走り回り、近所のおじさんやおばさんとやり合う。そんな「特別ではない毎日」を、あれだけ面白く漫画にした作品は、やっぱりすごいと思う。

そして今、私はその葛飾を、路線バスのハンドルを握って走っている。かつては亀有を走っていたこともあった。窓の外には、子どもの頃から見てきた景色と、新しく生まれ変わった景色が混ざっている。

バスの運転席から町を見ていると、葛飾というのは「観光地」だから面白いのではなく、そこに普通の人たちの生活があるから面白い町なのだと感じる。学校へ向かう子ども、買い物帰りのお年寄り、仕事へ向かう人、病院へ行く人。そして、私自身の子どもたちも、この町のどこかで毎日を過ごしている。

そう考えると、一本一本のバスの運行も、ただ人を運んでいるだけではないような気がする。この町で暮らす人たちの日常を、ほんの少し支える仕事なのだと思う。

『こち亀』が描いてきた葛飾は、漫画の中だけにある町ではない。私が今もハンドルを握って走っている葛飾にも、両さんがひょっこり現れてきそうな、そんな人情と雑多さと温かさがある。

昭和51年に始まった『こち亀』は、私の人生とほぼ同じ時間を葛飾とともに歩んできた。漫画の中では両さんが、そして現実の町では私たちが、それぞれの時代の葛飾を走り続けてきたのである。

これから先、町の姿がまた変わっていっても、私はバスの運転席から葛飾の風景を見続けていきたいと思う。そしていつか子どもたちが、「昔の葛飾ってどんな町だったの?」と聞いてきたら、「お父さんがバスを運転していた頃の葛飾はな、こんな町だったんだよ」と、私自身の記憶を話してやれたらいい。

『こち亀』が残してくれたのが漫画の中の葛飾なら、私が残したいのは、自分が生きてきた葛飾の記憶である。

そんなことを思いながら、今日も私は葛飾の町を、バスで走っている。

9月21日。みなさんにとっては、何の日でしょうか。亀有の派出所を思い出す方もいれば、エストリルの表彰台を思い出す方もいるはずです。そして、あの頃のジャンプを本当は何のために買っていたのか——それもまた、人それぞれなのだと思います。


【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。

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