9月30日 ── 電線のバスが消えた道を、ピザが走ってきた|昭和の今日は何があった日?
今日は9月30日、9月の最後の日です。 この日付には、17年を隔てて、二つの出来事が重なっています。 昭和43年(1968年)の9月30日、東京の街から「トロリーバス」が姿を消しました。そして昭和60年(1985年)の9月30日、東京・恵比寿に、日本で初めての宅配ピザの店が生まれました。 消えたバスと、生まれたピザ。何の関係もなさそうな二つですが、調べていくうちに、どちらも同じものに振り回されていたことに気がつきました。混み合う東京の道です。 私が生まれる半年前、電線のバスが消えた トロリーバスというのは、見た目はバスなのに、屋根の上に2本の長い棒(ポール)を立て、道路の上に張られた電線から電気をもらって走る乗り物です。レールは要らないけれど、電線からは離れられない。路面電車とバスの、ちょうど中間のような存在でした。 東京で最初のトロリーバスが走ったのは、昭和27年(1952年)5月20日のことです。江戸川区の今井を出て、亀戸駅を通り、上野公園までの約15.5キロ。それまで今井と亀戸を結ぶ電車は荒川放水路で途切れていましたが、トロリーバスは小松川橋で川を直接渡ったので、地元の人たちにとってはずいぶん便利になったそうです。開業当時の運賃は15円でした。 その後、池袋、渋谷、品川、浅草と路線は広がっていきます。 ところが昭和32年ごろから、自動車が増え、道路の混雑が目立ちはじめます。トロリーバスの速度は落ち、利用者は昭和36年度をピークに減っていきました。都の交通事業は赤字が膨らみ、昭和42年に立てられた財政再建計画で、トロリーバスは普通のバスに置き換えられることになります。 同じ年の12月から路線は次々と廃止され、最後まで残ったのは、いちばん最初に開業した今井〜上野公園の路線でした。地元の江戸川区議会では撤去に反対する決議まで行われましたが、代わりのバスを走らせることを条件に、廃止が決まります。 江戸川区の資料によれば、最後の便は昭和43年9月29日、日曜日の夜9時45分に今井を出た上野公園行きでした。16年の歴史を閉じ、翌9月30日をもって、東京のトロリーバスはすべてなくなりました。 私が生まれたのは、それから半年あまり後の、昭和44年4月です。 ですから、私は走っているトロリーバスを見たことがありません。それでも子どもの頃、写真や本の中でその姿を見た覚えがあります。屋根から長い棒を2本伸ばした、ちょっと不思議なバス。私にとってトロリーバスは、東京の街から消えたあとに、紙の上で出会った乗り物でした。 トロリーバスや都電のように、昭和の街角から消えていった乗り物を、当時の写真と一緒にたどれる本です。写真に写った街の様子から、時代の移り変わりを読み解いていきます。 写真は語る 電車・バスが走る 昭和の街角風景講談社ビーシー編。昭和30〜50年代の街角写真から、消えた乗り物と街並みの移り変わりを読み解く。星4.7(5件) Amazonで見る › 上26系統は、いまも青戸から トロリーバスが消えたあと、その道はどうなったのか。 今井〜上野公園の路線は普通のバスに引き継がれ、平成2年に亀戸で二つに分けられました。今井側がいまの都営バス「亀26系統」(今井〜亀戸駅前)、上野側が「上26系統」(亀戸駅前〜上野公園)です。上26系統は、亀戸駅前から上野公園までの約9キロを、およそ50分かけて走っています。 そして、この上26系統を担当しているのは、都営バスの青戸支所です。青戸といえば、私の住む葛飾区。電線のバスの道は、半世紀以上たったいま、葛飾の車庫から出るバスが受け継いでいることになります。 実は私も、上26系統に乗ったことがあります。亀戸天神、東京スカイツリー、浅草、合羽橋、谷中、根津、そして不忍池。下町の名所を次々と通り抜けていく、観光としても非常に楽しめる路線です。かつてトロリーバスが電線の下を走った道を、いまは普通のバスが、観光客も乗せて走っています。 子どもの頃の私にとって、バスといえば京成バスでした。高砂の駅のそばから母と一緒に乗って、水戸街道沿いの小児科に通ったバスです。都営バスには、あまりなじみがありませんでした。その私がいま、路線バスの運転士として東京の道を走っています。 運転士の立場から考えると、電線から離れられないバスというのは、なかなか大変だったろうと思います。 普通のバスなら、路上駐車の車があれば、進路を変えてよけることができます。けれどトロリーバスには、それができません。目の前に車が止まっていても、電線の下から外れるわけにはいかない。当時の運転手さんは、きっとイライラしたのではないでしょうか。 車が増えれば増えるほど、身動きが取れなくなっていく。トロリーバスを消したのは、ある意味で、東京の道の混雑そのものだったのかもしれません。 昭和60年、恵比寿に届いた「30分」 トロリーバスが消えて17年後の、昭和60年9月30日、月曜日。東京・恵比寿に「ドミノ・ピザ 恵比寿店」がオープンしました。日本で初めて、「宅配ピザ」というサービスが始まった日です。 ドミノ・ピザは、昭和35年(1960年)にアメリカのミシガン州で生まれた会社です。創業者のトーマス・モナハンさんは、小さなピザ店を買い取り、車を持たない学生たちにピザを届けることを思いつきました。「30分を超えたら無料」という仕組みも評判になり、アメリカで大きく広がっていきます。 そのドミノ・ピザが日本にやってきて、まずぶつかったのが、東京の道でした。道幅が狭く、渋滞も多い。そこで、「ドミノジャイロ」と呼ばれる宅配専用の三輪バイクが生まれます。車では間に合わない東京の道を、小回りの利くバイクで縫うように走る。日本の宅配ピザは、東京の道に合わせるところから始まったのです。 翌年の昭和61年には、日本オリジナルのメニュー「ツナ・スペシャル」も生まれました。アメリカの食べものが、少しずつ日本の味になっていきます。 混み合う道に負けて、電線のバスは消えていきました。その同じ東京の道に合わせて、ピザを運ぶバイクが走りはじめた。9月30日という日付は、そんなふうにつながっているように思えます。 デニーズのピザと、ABABの食べ放題 昭和60年の秋、私は16歳、高校1年生でした。 では、私がピザと出会ったのはいつだったのか。はっきりとは覚えていませんが、たぶん中学生の頃、亀有警察署の向かいにあったデニーズで食べたのが最初だったと思います。宅配ピザが日本に生まれるより前に、私のピザはファミリーレストランのテーブルの上にありました。 高校生になると、ピザはすっかり身近な食べものになっていました。よく覚えているのは、上野のABABにあったピザの食べ放題です。友だちと連れ立って行き、お腹がいっぱいになるまで食べました。 上野は、子どもの頃にデパートといえば松坂屋で、屋上の遊園地や食堂に連れて行ってもらった街です。それが高校生になると、友だちと自分たちで出かけて、ピザを食べ放題で平らげる街になりました。考えてみれば、上野公園はトロリーバスの終点でもあります。電線のバスが最後まで目指していた街で、私はピザを頬張っていたことになります。野球部で毎日体を動かしていた高校生の食欲ですから、店にとってはありがたくない客だったかもしれません(笑)。 中学生の頃は家族と、高校生になると友だちと。ピザを食べる相手も、場所も、少しずつ変わっていきました。 ...