今日は9月3日。

この日が誕生日だという有名人は、たぶん何人もいます。けれど、日本でいちばん有名な「9月3日生まれ」は、人間ではありません。

2112年9月3日生まれ。ドラえもん。

まだ生まれていないのです。あと86年、待たなければならない。それなのに私たちは、毎年この日を誕生日として祝ってきました。考えてみると、ずいぶん不思議な記念日です。


あいつは、私と同い年だった

このシリーズを書いていると、たまに驚くことがあります。今日もそうでした。

『ドラえもん』の連載が始まったのは、1969年(昭和44年)12月。小学館の学年誌6誌——『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』から『小学四年生』まで——の1970年1月号に、いっせいに載りました。

小学館ビル(東京・一ツ橋)。あの6誌は、ここから出ていました。(2012年撮影/Photo: CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

1969年。私が生まれた年です。私は4月生まれですから、ドラえもんが世に出たとき、私は生後8か月ということになります。

つまり、あいつは私と同い年でした。このブログの名前が「昭和44年男」であることを思うと、なんだか可笑しい。

もっとも、最初からうまくいったわけではありません。6誌に同時連載されたにもかかわらず、当初はさして注目されなかったといいます。1973年(昭和48年)に日本テレビでアニメ化されたものの、制作会社の解散により半年で終了。人気も一段落したとみなされ、連載終了さえ検討されました。

そして1974年(昭和49年)3月、『小学四年生』に「さようなら、ドラえもん」が掲載されます。ドラえもんが未来へ帰る、あの回です。当時4歳の私はまだ何も知りませんが、あれは本当に最終回として描かれたのでした。

けれど作者は思い直し、翌月「帰ってきたドラえもん」を描きます。あの一回の翻意がなければ、今日という記念日そのものが存在しなかったことになります。

『ドラえもん』の歩み。一度は最終回が描かれ、翌月に撤回されました。

ちなみに誕生日が「2112年9月3日」と決められたのも、連載開始からしばらく経ってからでした。1975年(昭和50年)4月号の『小学四年生』に載った「ドラえもん大事典」で、はじめてドラえもんの誕生から出発までが描かれたのです。身長129.3センチ、体重129.3キロという数字も有名ですが、これは連載当時の小学4年生の平均身長にちなんだものだといわれています。のび太を見下ろさない、同じ高さの目線。学年誌に載る漫画は、その学年の子どものために描かれるのだと、あらためて思います。

129.3センチは、連載当時の小学4年生の平均身長にちなむといわれます。


私の出会いは、のろいのカメラだった

私がドラえもんとはっきり出会った場面を、いまでも覚えています。

小学3年生。イトーヨーカドー高砂店の3階にあった本屋さんでした。棚から手に取ったのが、てんとう虫コミックスの『ドラえもん』第4巻です。

葛飾のイトーヨーカドー(四つ木店)。私が本を買っていたのは高砂店の3階でした。(2019年撮影/Photo: CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)

そのとき私は、まだコロコロコミックを知りませんでした。テレビでの放映も、まだ始まっていません。学年誌でもなく、友達の家でもなく、本屋の棚。あの一冊が、私とドラえもんの最初の一歩でした。

そして第4巻の巻頭に載っているのが、「のろいのカメラ」です。

つまり私がドラえもんという漫画で最初に読んだ話は、これでした。

シャッターを切ると、写した相手そっくりの人形が出てくるカメラ。その人形を叩けば、本人にも痛みが伝わる。バラバラにすれば、本当にバラバラになる。ドラえもん自身が、出すのをためらった道具です。

いま思えば、ずいぶんなご挨拶でした。空を飛ぶでも、どこかへ行けるでもない。人を呪うための道具です。それが、私にとってのひみつ道具の第一号だった。

もっとも、9歳の私はそんなことは考えていません。ただ、面白いものを見つけた、と思っただけです。

本屋の漫画の棚。あそこから一冊を選ぶ時間が、いちばん長かった。(2016年、京都/Photo: CC BY 3.0, via Wikimedia Commons)

本はその本屋さんで買っていました。そしてもうひとつ、読める場所がありました。児童館です。あそこにはドラえもんがかなり揃っていて、私はよく読んでいました。買うのと、借りて読むのと。あの頃の子どもにとって、漫画に手が届く道は、そう多くはありません。その両方が、私の場合は高砂にありました。


その第4巻は、いまも同じ形で売られています。目次を確かめてみたら、やはり第1話が「のろいのカメラ」でした。四十数年前に本屋の棚で開いた、あのページです。

ドラえもん(4)(てんとう虫コミックス)
藤子・F・不二雄/小学館。第1話「のろいのカメラ」から「ソノウソホント」「アベコンベ」「石ころぼうし」まで収録。星4.7(273件)
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放送が始まるまでの、あのワクワク

いま私たちが「ドラえもん」と聞いて思い浮かべるアニメが始まったのは、1979年(昭和54年)4月2日。テレビ朝日系です。

当初は今のような形ではありませんでした。月曜から土曜までの帯番組で、1回10分。夕方に毎日ちょっとずつ流れる、そういう番組だったのです。あの金曜夜7時の30分枠に移ったのは、1981年(昭和56年)10月2日から。私が小学6年生の秋でした。

私にとって強く残っているのは、圧倒的に前者——夕方の帯番組のほうです。

正確に言えば、番組そのものよりも、始まると知ってから、実際に放送されるまでの間の記憶です。あのワクワク感は凄かった。クラスの友達との話題も、その事についてが大半を占めていたと思います。

考えてみれば当然でした。私はもう第4巻を読んでいる。あいつがどんな顔で、どんな道具を出すのかを知っている。その知っているものが、動いて、喋る。しかも毎日夕方にやってくる。始まる前から面白いに決まっていたのです。

一方で、映画のほうは記憶がありません。翌1980年(昭和55年)3月15日に第1作『のび太の恐竜』が公開され、以後、春休みに映画館へ行くという習慣が日本中の子どもに生まれるわけですが、私はそこに加わっていない。

理由ははっきりしています。すでに私は野球少年でした。興味は、完全にそちらへ向かっていたのです。

なお、この夕方という時間帯には、私はもう一度べつの作品と出会うことになります。そちらは再放送でしたが。


「どこでもドアがあったら」

ひみつ道具の話は、よくしました。

私が欲しいと言っていたのは、どこでもドアだったと思います。

下校途中でした。友達と歩いて帰りながら、「どこでもドアがあったら、一瞬で家に着くのにな〜」なんて話していた。

いま思えば、笑ってしまうような望みです。歩いて帰るのが面倒だ、ただそれだけの理由でした。けれど子どもの願いというのは、たいていそういうものです。壮大な夢ではなく、目の前のちょっと面倒なことを、なんとかしてほしい。

そしてこの願いだけは、いまだに叶っていません。


連載開始のあの1970年1月号は、6誌それぞれで違う第1話が載っていました。その6種類を全部まとめた一冊が出ています。私が生まれた年に、6つの学年に向けて別々に描かれたものが、いま一冊で読めるわけです。

ドラえもん 0巻(てんとう虫コミックス)
藤子・F・不二雄/小学館。6種類の「幻の第1話」を初出バージョン&完全カラーで収録。伝説の予告や、創作秘話まんが「ドラえもん誕生」も。星4.4(1,435件)
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五人の子どもと、ドラえもん

今、私は五人の子どもを持つ父親になりました。

子どもたちも、ドラえもんとはずいぶん長い付き合いです。新しい映画が公開されれば、ほぼ必ず観に行く。時には私が子どもたちを連れて映画館へ行くこともありました。子どもの頃、一度も行かなかった場所です。

考えてみれば、私が小学3年生の頃に本屋で初めて手に取ったドラえもんを、今度は自分の子どもたちが楽しんでいる。そう思うと、ドラえもんという漫画は、ずいぶん長い時間を旅してきたんだなと思います。

私にとっては「子どもの頃に読んだ漫画」だったものが、いつの間にか「親になって、子どもと一緒に観るもの」になっている。

そして、大人になってからドラえもんを見返すと、子どもの頃とは違うところに目が行くようになりました。

たとえば「さようなら、ドラえもん」。

子どもの頃は、ドラえもんが帰ってしまうことの寂しさや、のび太の悲しさに胸を打たれたものです。でも、親になった今は、少し違って見えます。

ドラえもんは、いつまでものび太のそばにいて、何でも助けてくれる存在ではありません。最後には、のび太自身が立ち上がらなければならない。

それは、子どもを育てることにも少し似ている気がします。親は子どもに手を差し伸べることはできる。でも、いつまでも代わりに歩いてあげることはできない。

五人の子どもを育ててきた今だからこそ、ドラえもんの物語に、そんなことまで感じるようになりました。


どこでもドアが、まだない世界で

そう考えると、「どこでもドアがまだ現実になっていない」というのも、少し面白い話です。

毎日バスを運転している私は、決められた道を、決められた時刻に、地面の上を走っています。どこでもドアがあれば、必要なくなる仕事かもしれません。

でも、人生には「どこでもドア」がないからこそ、途中で出会うものがあります。

毎日同じ道を走っていると、「今日はここに新しい店ができたな」と気づいたり、季節によって街の景色が変わったりする。子どもたちを乗せていると、その成長を感じることもある。

目的地だけを考えれば、どこでもドアのほうが圧倒的に便利です。でも、目的地までの「途中」があるからこそ、見えるものもある。

下校途中に「一瞬で家に着くのにな〜」と言っていた子どもは、いま、その「途中」を運ぶ仕事をしています。

小学3年生の私がイトーヨーカドーの3階の本屋でドラえもん4巻を手に取ったあの日から、ずいぶん遠くまで来ました。そして今、五人の子どもたちとドラえもんの映画を観に行く。

もしドラえもんが本当にいたなら、「ずいぶん長い旅をしてきたね」と、少し笑ってくれるのかもしれません。

2112年9月3日生まれのドラえもん。

その誕生日を迎えるたびに、私は未来のことよりも、むしろ自分が歩いてきた過去のことを思い出すのです。

みなさんにとって、ドラえもんとの最初の出会いは何でしたか。学年誌でしたか、てんとう虫コミックスでしたか、それとも夕方のテレビでしたか。

そして——いちばん欲しかった道具は、何でしたか。


【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。

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