9月2日。

この日に始まったものと、この日に決められたものを、ふたつ書きます。ひとつは土曜の夜10時に流れ始めた時代劇。もうひとつは「く(9)じ(2)」という語呂合わせでつくられた記念日です。

まったく関係のない二つに見えます。実際、関係はありません。ただ、書いているうちに、私のなかでは同じ場所につながってしまいました。


昭和47年9月2日、土曜22時

1972年(昭和47年)9月2日、土曜日の夜10時。『必殺仕掛人』の第1回「仕掛けて仕損じなし」が放送されました。朝日放送と松竹の共同製作で、当時はTBS系。翌1973年4月14日までの全33話でした。

原作は池波正太郎。表向きは人足の口入屋を営む音羽屋半右衛門(山村聡)を元締めに、鍼医者の藤枝梅安(緒形拳)、浪人剣客の西村左内(林与一)が、金銭と引き換えに、晴らせぬ恨みを晴らしていく。

池波正太郎(1961年)。『鬼平犯科帳』『剣客商売』と並ぶ代表作が、この仕掛人シリーズでした。(Photo: 婦人生活社『婦人生活』1961年3月号/パブリックドメイン, via Wikimedia Commons)

いま思えば、とんでもない企てです。当時のテレビ時代劇は勧善懲悪が基本でした。正義の側が悪を裁く。それが約束ごとだった場所に、「金をもらって人を殺す者たち」を据えたのです。

その企てが当たりました。以後この作品は『必殺シリーズ』として、昭和が終わるまで続いていくことになります。

ちなみに私は、このとき3歳です。

記憶にございません。土曜の夜10時、3歳の私はとっくに寝かされていたはずです。あの伝説は、私の知らないところで始まっていました。


その第1回「仕掛けて仕損じなし」は、いまは分冊百科のかたちで手に入ります。三話ぶん入って900円ほど。3歳で寝ていた夜を、あとから見に行けるわけです。

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私の必殺は、金曜の夜10時だった

私が必殺シリーズをリアルタイムで観るようになったのは、それから13年後です。

1985年(昭和60年)1月11日から7月26日まで放送された『必殺仕事人V』。テレビ朝日系、毎週金曜22時。このシリーズから、京本政樹さん演じる組紐屋の竜と、村上弘明さん演じる花屋の政が登場しました。

始まった1月、私は中学3年生。4月から高校1年生になりました。同じ年の11月15日からは続編の『必殺仕事人V・激闘編』が始まります。つまり高校1年生の一年間、私はずっと金曜の夜10時に必殺を観ていたことになります。

必殺シリーズの歩み。土曜の夜十時に始まり、私が観たのは金曜の夜十時でした。

高校では野球部です。毎日ボールを追いかけて、泥だらけになって帰ってくる。それでも金曜の夜だけは、テレビの前に座っていました。

なぜ観られたのか。理由ははっきりしています。

父の休みが、金曜日だったからです。

週に一日しかない父の休み。その夜、父は必殺を観ていました。父も大好きだったのです。だから私も隣に座っていた。中学生が、高校生が、親と並んで夜10時のテレビを観る。あの時間だけは、そういう時間でした。

我が家のテレビに、はっきりした門限はありませんでした。とはいえ小学生の頃は「9時まで」というのが暗黙の了解だったように思います。それが中学、高校と上がるにつれて、なんとなく緩んでいった。金曜の夜10時に父の隣に座れるようになったことは、たぶん、私にとってひとつの通過点だったのだと思います。


中村主水という人

主演は藤田まことさん演じる中村主水。

あのギャップが、とにかく良かった。

昼間は奉行所の同心で、上司にも、家の姑と妻にも頭が上がらない。「昼行灯」と呼ばれて役所でも軽んじられている。ところが夜になると、まったく別の顔を持っている。

藤田まこと(1961年)。中村主水を演じるのは、この十年あまり後のことになる。(Photo: 放送ジャーナル社『PRエコノミー』1961年9月号/パブリックドメイン, via Wikimedia Commons)

能ある鷹は爪を隠す──と言うと、ちょっと違うでしょうか。でも、そういう気持ちよさがありました。

毎回必ず人が死にますし、内容はちょっと薄暗い。決して明るい話ではありません。それでも中村主水の、あの「おとぼけ」の加減がいい塩梅なのです。あれがあるから観ていられる。

そして今になって思うのは、ストーリーそのものが、なんとなく現代の世の中を風刺しているように感じられたことです。江戸の話をしているはずなのに、どこかで今の話をしている。あの絶妙さがあったから、高校生の私も面白いと感じたのだと思います。

法では裁けない悪がある。訴え出ることもできない理不尽がある。それを子どもに教えたのは、学校でも新聞でもなく、金曜の夜10時のテレビでした。


教室で真似したもの

真似している子は、いました。というより、私もやりました。

中条きよしさん演じる三味線屋の勇次、京本政樹さんの組紐屋の竜。これはもう定番です。

そして『激闘編』から加わった、柴俊夫さん演じる「壱」。この人の技は「怪力」でした。ものすごい握力で相手の首を素手で締め上げる。あれを真似するのです。手加減がわからない年頃ですから、いま思えば危ない遊びでした。

『必殺仕事人』(1979年)の、三田村邦彦さん演じる飾り職人の秀は、のちの再放送で観ました。確かにかっこよかった。最初はまだ仕事人として未熟だったのが、回を重ねるうちに技が洗練されていく。あの成長が描かれていたのを覚えています。その役柄は、のちに村上弘明さんの花屋の政へと受け継がれていきました。


観てはいけない時間のテレビ

必殺は父と一緒に観ていたので、堂々としたものでした。

けれど、そうではないものもあります。

中学生になってからですが、『11PM』と『トゥナイト』。これは思い出しますね。観てはいけないと明確に言われたわけではありません。ただ、あれは明らかに子どもが観る番組ではなかった。だからこそ記憶に残っています。

一方で、両親と一緒に観ていた時代劇もたくさんありました。『水戸黄門』『暴れん坊将軍』『桃太郎侍』『長七郎江戸日記』。家族で観るものと、こっそり観るもの。昭和の家庭のテレビには、その両方がありました。

いま、我が家には5人の子どもがいます。「これは早い」という線引きは、特にありません。

というより、そもそも地上波のテレビをほとんど観なくなりました。みんなYouTubeなどで、それぞれ好きなものを観ています。同じ時間に、同じ画面を、家族で囲むということ自体がなくなった。

父の休みが金曜日で、だから私は必殺を観ていた。あんな理由で番組と出会うことは、もうないのだろうと思います。


映像より先に、活字のほうを読んでみるのもいいかもしれません。緒形拳さんが演じたあの鍼医者が、池波正太郎の文章のなかでどう動いていたのか。第1弾がこれです。

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池波正太郎/講談社。品川台町の鍼医師・藤枝梅安。表の顔は名医、その実、金次第で「生かしておいてはためにならぬやつ」を闇へ葬る仕掛人。『鬼平犯科帳』『剣客商売』と並ぶシリーズの第1弾。星4.4(325件)
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もうひとつの9月2日 ──「く(9)じ(2)」

同じ9月2日は、「宝くじの日」でもあります。

制定は1967年(昭和42年)。「く(9)じ(2)」の語呂合わせで、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)が定めました。私が生まれる2年前です。

目的は、お祝いでもキャンペーンでもありません。時効防止でした。

当たっているのに引き換えられないまま、支払期限を過ぎてしまう宝くじが、あまりに多い。だから「もう一度、手元のくじを確認してください」と呼びかける日をつくった。1973年(昭和48年)からは、ハズレ券を対象にした「宝くじの日 お楽しみ抽せん」も始まっています。いわば敗者復活戦です。

捨てる前に、もう一度見てくれ。そういう日なのです。


一度も買ったことがない

正直に書きます。私は生涯で一度も、宝くじを買ったことがありません。

両親が買っていた記憶もないので、その影響なのかもしれません。家の中に宝くじというものが存在しなかった。だから興味を持つ機会もないまま、50代になりました。

それでも、宝くじは身近にありました。

高砂には旧第一勧銀──いまのみずほ銀行があります。まさに「宝くじの日」を制定したその銀行が、子どもの頃から当たり前のように、街にあったわけです。今でも高砂のイトーヨーカドーの敷地内には宝くじ売り場があります。

そして、行列です。

西銀座チャンスセンター。日本でいちばん有名な宝くじ売り場。(2009年撮影/Photo: CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

ジャンボの季節になると、売り場に列ができる。自分では買わないのに、あの行列と、そこに並んでいる人たちには興味がありました。この人たちは何を思って並んでいるのだろう、と。買わない人間から見ると、あれは不思議な光景なのです。

大学を出たあと、私は信用金庫に勤めました。宝くじの取り扱いはありませんでしたが、低金利へ向かっていく時代でしたから、「くじ付き定期預金」という商品が生まれ、営業した記憶があります。金利だけでは振り向いてもらえない時代の、苦肉の策だったのでしょう。くじを買わない人間が、くじの付いた商品を勧めていたわけです。


引き換えられなかったもの

この二つを並べて書いてみて、思うことがあります。

バスの運転士をしていると、毎日たくさんの人を乗せます。急いでいる人もいれば、病院へ向かう人もいる。買い物帰りの人、学校へ向かう子ども、お年寄りもいる。

こちらから見れば、ただ乗って降りていく一人のお客さんです。でも、その人が何を抱えてそのバスに乗っているのかは分かりません。

ひょっとすると、誰かに言えなかったことを抱えているかもしれない。今日という一日を何とか終えようとしている人かもしれない。

そう考えると、「受け取られなかったもの」というのは、宝くじだけの話ではないように思います。

人生には、誰かに伝えられなかった言葉や、返してもらえなかった気持ち、気づかないまま通り過ぎてしまった幸運が、案外たくさんあるのかもしれません。

『必殺仕掛人』の「晴らせぬ恨み」も、宝くじの「引き換えられなかった当せん金」も、形はまったく違います。

けれど、どちらも本来なら誰かの手に渡るはずだったものが、行き場を失ったまま残ってしまったものです。

9月2日に置かれたふたつ。「晴らせぬ恨み」と「引き換えられなかった当せん金」。

そして、今の自分が思うのは、そういうものは意外と身近なところにもあるのではないか、ということです。

バスを降りていく人を見送りながら、「この人の今日が、少しでもいい一日になればいいな」と思うことがあります。

こちらから何かをしてあげられるわけではありません。ただ、安全に目的地まで送り届ける。それだけです。

でも、それだけでもいいのかもしれません。

「引き換えられなかったもの」がある一方で、ちゃんと受け取ることのできたものも、私たちの人生にはたくさんあります。

家族との時間だったり、子どもと一緒に野球の練習をする時間だったり、何気なく交わした会話だったり。

振り返ってみると、人生で本当に大切だったものは、宝くじのように「当たりました」と知らせてくれるわけではありません。

気づいたときには、もう手の中にあった。

だからこそ、これからは、目の前にあるものを「これは当たりだった」と気づける人でいたいと思います。

引き換えられなかったものを数えるより、今、自分の手元にあるものをちゃんと受け取る。

50代になった今は、そんなことを少し考えるようになりました。

金曜の夜10時、父の隣に座って観ていたあの時間も、当時は「当たり」だなんて思っていませんでした。ただテレビを観ていただけです。

あれが当たりだったと気づくのに、40年かかりました。

みなさんは『必殺』シリーズ、観ていましたか。あるいは、ご家族と一緒に観ていた番組はありますか。よかったら教えてください。


【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。

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