昭和58年8月13日。この日は土曜日でした。そしてこの日から、毎月第2土曜日は銀行や証券会社の窓口が閉まることになりました。東京証券取引所の株取引も休みです。日本の金融機関が「土曜日に休む」ということを、初めてやった日でした。

当時、私は中学2年生。14歳の夏です。


銀行が閉まった、最初の土曜日

いまの感覚だと、何が事件なのかわかりにくいと思います。銀行は土日休みで当たり前ではないか、と。

でも昭和58年までは違いました。銀行は土曜日も開いていました。月曜から金曜まではフルに働き、土曜日は午前中だけ営業して閉める。それが普通でした。だから第2土曜日だけでも終日休みにするというのは、当時としては相当に大きな決断だったのです。

東京証券取引所。昭和58年8月13日から、第2土曜日は株の取引も休みになった。(Photo: CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)

いまなら、窓口が閉まっていてもATMがあり、振込も入出金もスマートフォンで済みます。しかし当時は、お金にまつわることの多くが「窓口へ行って人と話す」ことで動いていました。窓口が閉まるというのは、そのままお金が動かせなくなるということです。第2土曜日だけとはいえ、その日に用のあった人は前日までに済ませておかなければならない。休みが増えるというのは、当時それなりに面倒を伴う変化でもあったのだと思います。

しかもこの昭和58年8月13日は、月遅れのお盆の入りでもありました。迎え火をたいて先祖の霊を迎える日です。世の中がいちばん「休みらしい空気」になる日に、銀行のシャッターが初めて土曜日に下りた。並べてみると、偶然にしてはよくできているような気がします。


「半ドン」という言葉

土曜日の午前中だけ働くことを、当時は「半ドン」と呼びました。

この「ドン」は、休日を意味する「どんたく」が縮まったものだそうです。そしてその「どんたく」は、オランダ語で日曜日を意味する「ゾンターク」が江戸時代に日本語のなかへ取り込まれたもの、とされています。博多どんたくの「どんたく」も同じ語源だといいます。江戸時代のオランダ語が、昭和の勤め人と中学生の口から毎週出ていたわけです。言葉というのは、ずいぶん遠くから旅をしてくるものです。


中学2年の、土曜日の午後

学校も半ドンでした。土曜日は午前で授業が終わり、給食もなく、昼前に帰る。

土曜日の昼前、教室はこうして空になった。(Photo: CC BY 3.0, via Wikimedia Commons)

ただし私の場合、それで一日が終わるわけではありませんでした。中学の野球部にいましたから、土曜日は一度家に帰って昼食をとり、それからまた学校へ出直して練習、という流れです。

いま思うと、この「一度帰る」というひと手間が、土曜日という日をよけいに特別なものにしていた気がします。平日ならそのまま部活に入る。日曜なら朝から丸ごと練習の日になる。土曜日だけが、家の食卓を一回はさむのです。昼にいったん家の匂いのする時間があって、そこからまた着替えて出ていく。あの往復が、土曜日の記憶にはくっついています。

世の中では、この年から銀行が第2土曜日に閉まりはじめていました。もちろん14歳の私が、そんなことを気にしていたはずはありません。


なぜ土曜日が休みになったのか

きっかけは、外からの声でした。

高度成長を続けた日本に対し、欧米から「日本人は働き過ぎだ」「労働者をあれだけ働かせるのは不公正だ」という批判が強まっていました。国内からも、もっと生活にゆとりを、という声が出はじめます。そこで官公庁が主導する形で土曜日の休日化が動き出し、金融機関などの民間もそれに追随した。その第一歩が、昭和58年8月13日の第2土曜日休業でした。

つまりこの日の休みは、「働く人が勝ち取った休み」というより、「外から言われて日本が重い腰を上げた休み」だったわけです。そのあたりが、いかにも昭和という感じもします。

制度の側もあとから追いついてきます。昭和22年に制定された労働基準法は、1日8時間・1週48時間という体制を40年続けてきました。それが改められ、1週40時間労働が規定されたのは昭和63年4月施行の改正労働基準法から。ただしこれも段階的な移行と猶予期間つきでした。土曜日というのは、法律を一本変えれば消えるようなものではなく、20年近くかけてじりじりと後退していったわけです。

半ドンが終わるまでの20年。


休みが金曜日だった父

うちの父は、飲食店に勤めていました。

飲食店ですから、土曜も日曜も、世の中が休む日ほど忙しい。父の休みは毎週金曜日でした。そして世間が半ドンから週休二日へと移っていくあいだも、父の「毎週金曜日休み」は最後まで変わりませんでした。

だからわが家の食卓に、「週休二日」という言葉が出てきた記憶がありません。土曜日が半日になろうが休みになろうが、うちの父には関係のない話だったのです。家族そろって連続して休めるのは正月の1日と2日だけ。車もなく、子どものころに泊まりの家族旅行をした覚えもありません。

世の中が休み方を変えていくニュースというのは、たいてい「勤め人の休み方」の話です。その外側に、休みが動かない仕事の人たちがずっといた。父はその一人でした。


土曜日は、少しずつ消えていった

第2土曜日から始まった土曜休業は、そこから段階を追って広がっていきます。

昭和61年8月9日、第3土曜日も休業日に加わり、いわゆる「4週6休」になりました。そして平成元年2月4日以降、金融機関はすべての土曜日が休みになります。官公庁の土曜閉庁が始まったのは平成元年1月14日で、こちらもまず第2・第4土曜日から。国家公務員の完全週休二日制は、平成4年5月1日からでした。

学校はもっと後です。全国の国公立の学校で毎月第2土曜日が休業日になったのは平成4年9月から。平成7年4月に月2回、完全な学校週5日制になったのは平成14年4月のことでした。

ここで自分の年表と重ねてみて、あらためて気づいたことがあります。

私は昭和51年4月に小学校へ入り、昭和63年3月に高校を卒業しました。その12年間、土曜日はずっと学校がありました。一度も「土曜が休みの学校生活」を経験していません。土曜休みの学校というものを、私はまったく知らない世代なのです。

私が卒業した14年後に、ようやく学校週5日制が完成した。


平成5年、私は信用金庫に入った

そして話には続きがあります。

一年の浪人を経て平成元年に大学へ入り、平成5年に卒業した私が新卒で就職した先は、信用金庫でした。金融機関です。昭和58年8月13日に、日本で最初に土曜日を休みにした業界です。

信用金庫の支店。平成5年に入ったときには、土曜日はもう当然のように休みだった。(Photo: CC0, via Wikimedia Commons)

入ってみれば、土曜日は当然のように休みでした。私が中学2年で野球の練習に出直していたころに始まった第2土曜日の休業は、10年かけて全部の土曜日に広がり、私が社会に出たときにはもう「そういうものだ」という顔をしていたわけです。

ただ、職場の先輩方は違いました。ときどき「半ドン」という言葉を使いながら、昔の土曜日の話をしてくれるのです。午前中だけ窓口を開けて、昼で締めて、そのあとどうしていたか。その口ぶりには、面倒だったという顔と、少し懐かしがる顔が両方ありました。

私はその話を、休みが当たり前になった側の人間として聞いていました。変わり目を挟んで、同じ職場に両方の世代がいたということです。いま振り返ると、あれはなかなか贅沢な昔話を聞かせてもらっていたのだと思います。


曜日のない仕事につくということ

いま私は路線バスの運転士をしています。

この仕事に、土日休みという概念はありません。むしろ土曜日は、平日とは別のダイヤで走る日です。平日ダイヤ、土曜ダイヤ、休日ダイヤ。バスの世界では曜日は「休むための区分」ではなく、「走り方を変えるための区分」なのです。

そして実際に走っていると、いまの土曜日の車内は、日曜や祝日とほとんど変わりません。平日とは明らかに別物です。通勤通学の流れがなく、乗ってくる人も、時間帯も、車内の空気も違う。昭和58年に第2土曜日から始まったあの動きは、40年かけて、バスの車内の景色まで完全に作り替えてしまったのだと思います。

半ドンだったころの土曜日の車内は、きっと平日寄りだったはずです。私はその土曜日を運転士としては知りません。中学生として、昼前の道を家に向かって歩いていただけです。


半ドンを知っている、最後のあたり

「半ドン」は、いまではほぼ死語です。

言葉が消えたのは、その言葉が指していたものが消えたからです。土曜日の午前中だけ働くという習慣がなくなれば、それを呼ぶ言葉もいらなくなる。昭和58年8月13日の第2土曜日休業は、その長い消滅の始まりの一日でした。

あの日から40年以上たって、土曜日は完全に休みの日になりました。それは間違いなく良いことだと思います。金曜日にしか休めなかった父の世代を思えば、なおさらです。

ただ、昼前に授業が終わって、一度家に帰って昼飯を食い、また学校へ出直していったあの土曜日を覚えている人間は、だんだん少なくなっていきます。信用金庫の先輩たちが私に「半ドン」の話をしてくれたように、こうして書き残しておくのも役目なのだろうと思っています。


「なぜ日本の会社はこうなっているのか」を、雇用・教育・福祉の歴史からたどった一冊があります。土曜日が20年かけてしか消えなかった理由も、この本を読むと腑に落ちます。新書ですが読みごたえは相当なものです。

日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学(講談社現代新書)
小熊英二/講談社。日本型雇用はいつ、なぜできたのか。年功序列も新卒一括採用も長時間労働も、歴史をたどると理由がある。レビュー447件・星4.3の定番書
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半ドンの土曜日そのものを写した本はなかなかありませんが、あの頃の家と道具を写真で残した図鑑ならあります。ページをめくっていると、土曜の昼に帰った家の台所が出てきます。

ビジュアル版 昭和のくらしと道具図鑑 衣食住から年中行事まで
小泉和子 編/河出書房新社。昭和の住まい・台所・衣類・年中行事を写真と図で記録した176ページ。星4.8の評価がついています
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【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。


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