夏休みのど真ん中に、ひとりのスターが生まれた

8月1日。子どものころ、この日は「夏休みがまだたっぷり残っている」という、いちばん贅沢な時期でした。カレンダーの残りが分厚くて、8月31日という言葉がまだ他人事だったころです。

その8月1日に、16歳の少年がレコード店の棚に並びました。1972年(昭和47年)、郷ひろみさんが「男の子女の子」でデビューします。

レコード店の棚。あの夏、16歳の少年がこの棚に並んだ。(Photo: via Wikimedia Commons ※イメージ)

このとき、私は3歳です。当然ながら、この日のことは何ひとつ覚えていません。ただ、この日から始まったものが、そのあと十数年にわたって、私の家の夜の「音」をつくり続けることになります。

「フォーリーブスの弟」から始まった

デビュー曲のキャッチフレーズは「フォーリーブスの弟」。4人組の先輩より多く伸びるようにと、4より大きい5(ゴー)から「郷」の字が当てられました。芸名の由来からして、いま聞くとずいぶん大らかな、昭和らしい話です。

郷さんはこの年の1月2日にNHK大河ドラマ『新・平家物語』で俳優デビューしており、歌手はその後でした。9月25日にはデビュー曲がオリコン週間チャートのベストテン入りを果たし、11月には第14回日本レコード大賞の新人賞を受賞します。

三人が揃った

「新御三家」。郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎の三人です。

いちばん早かったのは野口五郎さんでした。1971年5月1日に「博多みれん」でデビュー。これが演歌調で、2作目の「青いリンゴ」でポップス路線に転じて成功します。次が西城秀樹さんで、1972年3月25日の「恋する季節」。そして同じ年の8月1日に郷ひろみさん。

三人のなかでデビューはいちばん遅かったのに、オリコンのベストテン入りは郷さんが最初でした。野口さんの「オレンジの雨」、西城さんの「情熱の嵐」がベストテンに入るのは翌1973年になってから。そしてその1973年、郷さんはブロマイドの年間売上で1位となり、三人は「新御三家」と呼ばれるようになります。

こうして1年3か月ほどの間に三人が出そろい、ここから昭和50年代いっぱい、茶の間のテレビは、この三人抜きには回らなくなります。

相撲から歌番組へ ——我が家の、いつもの夜

当時は本当に毎日のように、どこかの局で歌番組が放送されていた印象があります。今のように音楽を好きなときに聴ける時代ではなかったので、新しい曲や人気歌手を見ることができる歌番組は、家族みんなの楽しみでした。

ブラウン管の向こうに、スターがいた。あの頃、音楽はテレビからやってきた。(Photo: CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons ※イメージ)

我が家でも夕食時になると自然とテレビがつき、ニュースや野球中継がない日は歌番組が流れていました。とくに1978年に始まった『ザ・ベストテン』は家族みんなが楽しみにしていた番組で、「今日は誰が1位かな」「あの歌手は何位まで上がるかな」と順位を見ながら話をするのも毎週の楽しみでした。ベストテン入りした曲は学校でも話題になり、翌日には友達同士で口ずさんでいた記憶があります。

チャンネル権というものは、我が家には特にありませんでした。父が家にいる時間帯は父の希望が優先でしたが、歌番組は家族全員で楽しめる内容だったため、大きくチャンネル争いになることはあまりなかったのです。相撲中継の時期には夕方5時の門限に間に合うように帰宅し、そのまま相撲を見て、夕食後はその流れで歌番組を見る。相撲から歌番組へと続くこの流れが、我が家のいつもの夜の過ごし方でした。

テレビは一家に一台という家庭もまだ珍しくなく、家族が同じ番組を一緒に見るのが当たり前の時代です。だからこそ流行歌は家族全員が自然と覚えてしまい、歌手の名前や新曲が共通の話題になっていました。今振り返ると、家族みんなで同じ音楽を楽しんだ、とても温かい時間だったと思います。

男の子だって、夢中でした

ここで、はっきり書いておきたいことがあります。男子から見た新御三家は、決して「女の子だけのアイドル」ではありませんでした。私自身、かなり夢中になって見ていました。歌番組が始まると自然とテレビの前に座り、誰が出るのか楽しみにしていたものです。

郷ひろみさんといえば、「お嫁サンバ」はもちろん、「哀愁のカサブランカ」、そして樹木希林さんとのデュエット曲「林檎殺人事件」。あの曲は『ザ・ベストテン』で4週連続の1位になりました。ほかにも「よろしく哀愁」「ハリウッド・スキャンダル」と、挙げ始めたらきりがありません。テレビに郷さんが登場すると、華やかな衣装とキレのあるダンス、そして抜群のスター性に、子どもながら「やっぱりスターは違うな」と感じていました。

西城秀樹さんは、やはり何といっても「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」です。1979年のこの曲はオリコンで5週連続1位、80.8万枚を売り上げ、『ザ・ベストテン』では番組初の満点9999点を記録しました。あの曲が流れ始めると、日本中が熱狂していたと言っても大げさではないと思います。サビになると、みんなが自然と腕で「Y」「M」「C」「A」の文字を作りながら歌っていました。学校でも友達同士でまねをしたり、運動会やレクリエーションで振り付けを踊ったりして、「YMCA」のポーズを知らない子はいないくらいの大ブーム。今でもイントロを聴くだけで、当時の熱気がよみがえってきます。

野口五郎さんも歌唱力が抜群で、「私鉄沿線」や「甘い生活」など、しっとりとした名曲を数多く歌っていました。郷さんや西城さんとはまた違う魅力があり、新御三家はそれぞれ個性がはっきりしていて、そこが歌番組を見る楽しみの一つでもありました。

数字にも占有ぶりが出ています。1970年代後半から1980年代前半にかけて、三人のうち誰か1人が毎週『夜のヒットスタジオ』に出演していました。出演回数は西城さん188回、郷さん175回、野口さん123回です。

新曲は歌番組で初めて耳にし、翌日には学校で「あの歌よかったね」「昨日見た?」という会話が自然に始まる。男子も女子も関係なく新御三家の曲を口ずさんでいましたし、誰が好きかを話題にすることも珍しくありませんでした。彼らはまさに、時代を象徴するスターだったと思います。

「上の世代の大スター」になっていく

中学、高校へと進むにつれて、子どものころのように毎週欠かさず歌番組を見ることは少なくなっていきました。部活動や受験勉強で忙しくなり、テレビそのものを見る時間が減っていったこともあります。私自身が夢中になったのはプロレスと野球で、アイドルといえば松田聖子ではなく河合奈保子、そして中森明菜でした。

それでも、新曲が出れば気になりますし、新御三家の存在が自分の中から消えることはありませんでした。子どものころに夢中になって見ていたスターですから、歌番組で見かければ自然と足を止めてしまう、そんな存在だったように思います。

高校生になるころには、郷ひろみさん、西城秀樹さん、野口五郎さんは、もはや「憧れのお兄さん」というよりも、日本を代表する大スターという印象でした。自分たちよりずっと上の世代のスターという感覚になっていましたが、それでも新曲や活躍はしっかりチェックしていました。

二十数年後、体育館のステージに

そして、その思いが何十年か後に、思いがけない形でよみがえる出来事がありました。

以前、中森明菜さんについて書いた記事で、社会人になって勤務していた会社の全国大会で、突然、体育館のステージに明菜さんが現れた感動を書きました。実はその前年の全国大会にも、私は野球で出場していたのです。そして、その年のシークレットゲストこそが、郷ひろみさんでした。

大会二日目の夜、会場となった体育館には大勢の社員が集まり、「今年は誰が来るんだろう」と期待に胸を膨らませていました。そして照明が落ち、ステージに現れたのが郷ひろみさん。あの瞬間の歓声は、今でも忘れることができません。

披露してくれたのは、当時大ヒットしていた「GOLDFINGER ‘99」。イントロが流れた瞬間、会場のボルテージは一気に最高潮に達しました。体育館中の誰もがリズムに乗り、手拍子をしながらサビを大合唱。「ア・チ・チ・ア・チ!」というフレーズは、会場全体が一つになって響き渡り、まるで本物のコンサート会場にいるような熱気でした。

子どものころ、茶の間のテレビ越しに「お嫁サンバ」や「林檎殺人事件」を夢中で見ていたあの郷ひろみさんが、いまは目の前のステージで歌っている——その不思議な感覚は、言葉では表せません。テレビの向こう側の遠いスターだった人と、同じ空間で歌い、同じ時間を共有している。その事実だけで胸がいっぱいになりました。

翌年には、中森明菜さんが同じ体育館のステージに立ちました。子どものころに歌番組で憧れていたスターたちと、大人になって同じ空間を共有できたあの二年間は、私にとって忘れることのできない特別な思い出です。少年時代にブラウン管の向こうで輝いていたスターたちが、時を経て目の前で歌ってくれた。昭和という時代を生きた私だからこそ味わえた、何ものにも代えがたい幸せな時間だったように思います。

令和のいま

2018年5月、西城秀樹さんが亡くなりました。63歳でした。三人揃って毎週テレビに映っていたころを知っている身には、いまだにうまく飲み込めない出来事です。

一方で郷ひろみさんは、70歳になったいまも現役です。1972年8月1日に棚に並んだ16歳が、54年間ずっと第一線にいる。ちょっと考えられないことです。

そして「YOUNG MAN」は、いまも運動会や応援席で鳴っています。歌った人が誰かを知らない子どもたちが、あの「Y・M・C・A」のポーズをとっている。それを見るたびに、あの人たちが作ったものは、名前が消えてもまだ残っているんだな、と思います。

みなさんは、新御三家のうち誰派でしたか。あるいは、ご家庭の茶の間ではどの歌番組が流れていましたか。よかったら教えてください。


あの夜9時、家族みんなでテレビの前に集まった『ザ・ベストテン』。その舞台裏を、番組を作った総合演出者みずからが書いた一冊です。ランキングはどう決まっていたのか、あの中継はどうやって実現したのか——歌手を追いかけて全国を飛び回ったスタッフたちの奮闘が、昭和の歌謡曲の熱気とともによみがえります。あの頃テレビの前にいた方には、たまらない読み物です。

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