毎朝、この連載のために「今日は何の日」の資料をめくるのが習慣になりました。8月20日のページを開いて、いくつも並ぶ記念日や出来事の中で、ある一行に手が止まりました。

——昭和62年、マガジンハウスが月刊『平凡』と週刊『平凡』の休刊を発表。

『平凡』。その二文字を見た瞬間、頭の中で、あの表紙が何枚もめくれていくような感覚がありました。散髪屋の待合、親戚の家の茶の間、どこかの本棚。昭和の暮らしのあちこちに、当たり前のように置いてあった雑誌です。


100万部の雑誌が消えていく

『平凡』が創刊されたのは昭和20年11月。戦争が終わった、その年の秋のことです。やがて「歌と映画の娯楽雑誌」として、グラビアと連載小説を二本柱に、ラジオや映画、そしてテレビの時代の波に乗って、部数をぐんぐん伸ばしていきました。ライバルは集英社の『明星』。この二誌が、昭和のアイドル雑誌の二枚看板でした。

最盛期には140万部を超えたといいます。芸能人の素顔も、新曲の歌詞も、お茶の間に届く憧れの情報は、まずこの分厚いグラビア誌の中にありました。歌詞を書き写して覚えるのも、憧れのスターがどんな暮らしをしているのかを知るのも、多くの人にとっては、この一冊が入り口でした。今のスマホの画面が引き受けている役割の、ずいぶん多くを、あの紙の束が担っていたわけです。

その『平凡』が、静かに畳まれていきます。週刊『平凡』は昭和62年10月6日号を最後に休刊。月刊『平凡』も、同じ年の12月号で幕を下ろしました。驚くのは、その最終号すら100万部を超えていたと伝えられていることです。売れなくなったから終わったのではない。テレビがさらに情報の主役になり、出版社そのものが、もっと都会的でおしゃれな雑誌の会社へと姿を変えていく——その大きな流れの中で、昭和の芸能雑誌は、役目を終えたのだといわれています。

「まだ100万部も出ているのに、終わる」。子どもの頃にそれを聞かされても、たぶんピンとこなかったと思います。けれど57歳になった今、その一行は、妙に胸に残るのです。


私とアイドル雑誌

正直に打ち明けると、私は少しへそ曲がりな子どもでした。

世の中が松田聖子さん一色に染まっていくのが、なんだか面白くなくて、私はあえて河合奈保子さんを応援していました。みんなと同じ方を向くのが、どうにも照れくさかったのです。中学に上がる頃には、その気持ちは中森明菜さんへと移っていきました。

木曜の夜9時は『ザ・ベストテン』。赤いボタンと白いボタンを同時に押して、テレビの音をそのままカセットに録る。ソニーのウォークマンではなく、我が家の予算に合ったAIWAのカセットプレーヤーで、その録音を何度も聴き返しました。

そんな私にとって、『平凡』や『明星』のようなアイドル雑誌は、実はそれほど近い存在ではありませんでした。自分のお小遣いで買った記憶はありません。手に取ったのは、たいてい散髪屋や病院の待合室、あるいは友達の家。順番を待つあいだ、置いてあるのを何となくめくる。そのくらいの距離感でした。私にとっての芸能情報は、あくまでテレビとラジオが中心で、あの分厚いグラビア誌は、少し離れたところで開かれている、大人びた世界のように見えていたのです。


あの頃の歌は、いまベスト盤で一枚にまとまっています。まずは、へそ曲がりの私が選んだほうから。

河合奈保子 ゴールデン☆ベスト ~A面コレクション~
日本コロムビア。デビュー曲からのシングルA面を集めた2時間32分。「スマイル・フォー・ミー」「ラブレター」「エスカレーション」ほか
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そして、中学に上がってから乗り換えたほう。

ベスト・コレクション ~ラブ・ソングス&ポップ・ソングス~ 中森明菜
ワーナーミュージック・ジャパン。「少女A」「セカンド・ラブ」「DESIRE」ほか、2時間23分。レビュー677件・星4.5
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あの夏、私自身も終わっていた

ここまで書いてきて、ひとつ、動かせない事実に気づきました。

『平凡』が幕を下ろした昭和62年——1987年。それは、私にとっても特別な年でした。

この年の7月23日、私は神宮第二球場で、高校野球を終えています。真夏の炎天下、スパイク越しに伝わる砂の熱さ、ヘッドスライディング、止まらない涙。あの敗戦を最後に、私の少年時代は幕を閉じました。そこから先の夏は、いわゆる抜け殻状態。進路も決まらず、何を見て、何を考えていたのか、正直、ほとんど覚えていません。

つまり——自分の少年時代が終わったのと同じ年の、同じ夏に、少年時代を彩ってくれた雑誌たちも、静かに畳まれていた。

けれど、正直に書きます。当時の私は、そのことにまったく気づいていませんでした。『平凡』や『明星』が消えていくことなど、意識の外でした。それどころではなかった、というのが本当のところです。高校野球が抜けたあとにぽっかり空いた場所を、何かが埋めてくれることは、あの夏、ついにありませんでした。ラジオから流れる歌も、テレビの中のアイドルも、あの穴には届かなかった。ただ、時間だけが過ぎていったのを覚えています。


もうひとつの8月20日 ── 銀座の信号機

さて、少し話を変えます。8月20日は「交通信号設置記念日」でもあります。

昭和6年(1931年)のこの日、東京・銀座の尾張町交差点——今の銀座4丁目交差点です——や京橋など、34か所に、日本で初めての3色灯の自動信号機が設置されました。面白いのは、当時の信号機は、色が変わるたびにベルが鳴ったそうなのです。「やかましい」という苦情も出たと伝わっています。もっとも、設置された当初は、信号という仕組みそのものがまだ世の中に浸透しておらず、色を無視して進んでしまう人や車も多く、かえって事故が起きたともいわれています。

銀座4丁目交差点。昭和6年、日本で最初の3色信号はこの場所に灯った。(Photo: CC0, via Wikimedia Commons)

今では、信号は音もなく、当たり前に色を変えます。青、黄、赤、そしてまた青。誰に褒められるでもなく、毎日律儀に、同じ仕事を繰り返している。

子どもの頃を思い返すと、街の風景の中には、いつも信号と電車があったような気がします。

高砂の踏切。遮断機が下りて、目の前を電車が走り抜けていく。

高砂のあたりには踏切があり、線路をまたぐ歩道橋もありました。踏切が鳴り始めると足を止め、遮断機の向こうを電車が通り過ぎていくのを眺める。今のように何か特別な目的があったわけではありません。ただ、赤や青に変わる信号や、規則正しく点滅する踏切の灯り、目の前を走り抜けていく電車そのものが、子どもの私には面白かったのでしょう。

学校へ行くようになると、信号はもっと身近なものになりました。

「青になったら渡るんだよ」

そんなことを親や先生から何度も言われた記憶があります。今考えれば当たり前のことですが、子どもにとって信号は、街の中で守らなければならない最初の約束事のようなものだったのかもしれません。

そして、もう一つ覚えているのが夕方の街の音です。

夢中になって遊んでいても、夕方5時になるとチャイムが聞こえてくる。その音を聞くと、「そろそろ帰らなきゃ」と思う。誰かに腕時計を見せられなくても、街そのものが時間を教えてくれていました。踏切の音、電車の走る音、信号の電子音、夕方のチャイム。そうしたもの全部が、あの頃の私たちの暮らしの中に溶け込んでいたのだと思います。

それから半世紀近くが過ぎました。

57歳になった今、私は路線バスの運転士として、一日じゅう信号と向き合っています。

赤信号で止まり、青信号で進む。それだけなら、子どもの頃に教わったことと何も変わりません。しかし今は、その信号の向こうに、お客様の安全があります。黄色に変わるタイミングを見ながら無理をせず、交差点の歩行者や自転車にも目を配る。一つの信号を見る意味が、子どもの頃とはまったく違うものになりました。

不思議なものです。子どもの頃、踏切のそばや交差点で何気なく見上げていた赤・黄・青の三色の光。それが今では、一日の仕事を共にする「相棒」のような存在になっています。

あの頃の私は、まさか何十年後、自分が大きなバスのハンドルを握り、毎日何百回となく信号を確認する仕事をしているとは想像もしなかったでしょう。けれど、赤なら止まり、青なら進む。街が変わり、自分も年を重ね、立場もずいぶん変わりました。それでも、子どもの頃から変わらずそこにある三色の光を見ると、ときどき人生というものは、思いがけないところで昔と今がつながっているものだな、と思うのです。


変わり続けるもの、終わるもの

雑誌は、一度きり、終わっていきます。あれだけ売れていても、時代が役目を返せと言えば、静かに幕を下ろす。100万部の『平凡』でさえ、そうでした。

信号は、終わりません。銀座にベルを鳴らして生まれてから90年あまり、色を変え続けながら、ずっとそこに在り続けています。変わり続けることで、変わらずにいる。

高校野球を失ったあの夏、私の手の中からは、いろいろなものがこぼれ落ちていきました。少年時代そのものも、それを彩った雑誌たちも。けれど、あのとき見上げていた三色の光だけは、今も変わらず、私の目の前で青に変わってくれます。

みなさんには、「気づかないうちに終わっていた」ものはありますか。いつもの店、いつもの雑誌、いつもの番組。そこにあるのが当たり前すぎて、消えたことにずっと後から気づく——そんな一つを、よかったらコメントで教えてください。


【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。


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