書くかどうか、少し迷った日
このシリーズは、駄菓子やテレビ番組や野球の話が多い。子どもの目線でながめた昭和を、なるべく軽やかに書きたいと思ってやってきました。
でも8月19日を調べていて、どうしても素通りできない出来事に行き当たりました。しかもそれは、いまの私の仕事そのものに関わる出来事で、そして、私が四十六年ものあいだ忘れられずにいた出来事でもありました。
1980年(昭和55年)8月19日、火曜日。夜9時過ぎの、新宿駅西口バスターミナル。

20番乗り場
その日、京王帝都電鉄(現在の京王電鉄。バス事業はのちに分社化されました)が運行する中野車庫行きの路線バスが、20番乗り場で発車を待っていました。車内には30人ほどのお客さんが乗っていたといいます。
そこに、一人の男が後部ドアからガソリンの入ったバケツと火のついた新聞紙を投げ入れました。
火は一瞬で燃え広がり、6人が亡くなり、14人が重軽傷を負いました。
犯人は当時38歳。駅前の階段で酒を飲んでいたところを誰かに注意され、腹を立てて犯行に及んだと供述しています。それだけです。乗っていた人たちは、誰一人その男と関わりがなかった。ただ、家に帰るためにバスに乗っていただけでした。
私は事件の詳しい様子をここに書きません。調べているあいだ、何度も画面を閉じました。ただ一つだけ、どうしても書いておきたいことがあります。
亡くなった方の中に、後楽園球場で行われた巨人対ヤクルト戦を観戦した帰りの父子がいました。お父さんは40歳、息子さんは8歳でした。

祭壇に置かれたサインボール
私は、この事件を覚えています。
ナイター観戦帰りの父子が巻き込まれたというニュース報道は、11歳の私にとっても衝撃的でした。そして、その少年は大の巨人ファンで、とりわけ王貞治選手が好きだったと報じられていました。
事件を聞いた後楽園スタヂアムと巨人軍は、父子の告別式に花を贈りました。そして王貞治さんが、球団関係者を通じて祭壇にサインボールを届けたことが報道されました。
はっきり覚えているのは、たぶんそのせいです。野球のニュースと事件のニュースが、あの夏、一本につながってしまった。
書きながら気づいたことがあります。1980年は、王貞治の現役最後の年でした。その年の11月、王さんは868号を残してユニフォームを脱いでいます。あの少年が最後に球場で見たのは、引退を目前にした王貞治だったということになります。
8歳の帰り道
一昨日、私はこのシリーズで「プロ野球ナイター記念日」の記事を書きました。布団の中でトランジスタラジオに耳を当てて巨人戦を聴いていた、小学生の私の話です。後楽園のナイターは、当時の私にとって手の届かない場所でした。行きたくてたまらなかった。
その記事を書いた二日後に、この事件に行き当たったわけです。
1980年の夏、私は11歳、小学5年生。あの少年は8歳、小学3年生でした。三つしか違わない。
お父さんに連れられて後楽園に行けたあの子は、私からすればうらやましくてたまらない子どもだったはずです。ナイターの帰り道、まだ興奮が残る頭で、眠い目をこすりながらバスに揺られていた。それは私が心の底から欲しかった時間そのものでした。
その帰り道が、途中で断ち切られた。
法律に「バス」は書かれていなかった
この事件では、思わぬところで法律の穴が見つかりました。
刑法108条には、人がいる建造物や汽車、電車、船に火をつけた場合の重い罪が定められています。ところが、その条文に「バス」という言葉はなかった。バスは電車に準ずるものとして108条を適用すべきだという意見も出ましたが、判例がなく学説も分かれていたため、結局は110条の建造物等以外放火罪で起訴されることになりました。
もう一つ。亡くなった方の中に、勤め先からの帰りに子どもの運動靴を買うため、たまたま新宿に立ち寄った母子家庭のお母さんがいました。通常の帰宅経路から外れた場所での被害は労災と認められないのが当時の通例でしたが、この件では当時の労働大臣の発言もあって労災が認定されています。
そして京王帝都電鉄は、自社に落ち度のある事件ではなかったにもかかわらず、全社員に献血を呼びかけ、被害者の医療費を一時立て替えるなどの対応を全社を挙げて行いました。
一つの事件が、法律の言葉づかいと、働く人の補償と、事業者の姿勢を、いっぺんに問い直させたわけです。
8月19日は「バイクの日」でもある
少し空気を変えます。
8月19日は「バ(8)イ(1)ク(9)」の語呂合わせで「バイクの日」でもあります。制定は1989年、昭和64年=平成元年の夏でした。厳密には昭和の出来事ではありませんが、その背景にあったのは、まぎれもなく昭和の空気です。
私が中学生・高校生だったころ、夜になると爆音を鳴らして集団で走る「暴走族」がまだ存在していました。中学の先生は、生徒がそういうものに興味を示さないようにと、日ごろから「バイクにはさわるな!」と叫んでいました。触るな、です。乗るな、ですらない。
そして1982年(昭和57年)、全国高等学校PTA連合会が仙台大会で「三ない運動」を決議します。「免許を取らせない」「乗せない」「買わせない」。地域によっては「車に乗せてもらわない」を足した「四ない運動」、さらに「親は子どもの要求に負けない」まで加わったところもありました。
私が高校生だったのは1985年から1987年。まさに三ない運動の真っただ中で、私の高校の校則にもそれに近い内容が入っていました。ただ、都立高校だったこともあってか、そこまで厳格に守らせるわけではなく、登下校にバイクを使うこと以外にはかなり寛容だったのです。

ノーヘルで走っていた一年
正直に書きます。私は高校入学後まもなく原付免許を取り、原付バイクを買って、学校関係以外では乗り回していました。

当時はまだ、原付にヘルメット着用の義務がありませんでした。原付を含むすべてのバイク・すべての道路でヘルメット着用が義務化されたのは1986年(昭和61年)7月です。私が高校に入ったのが1985年の春ですから、ちょうど一年ちょっとのあいだ、私は法律上ノーヘルで走れたことになります。
いま思えば、ぞっとします。あのころの自分の頭は、風を切って気持ちよかった、としか記憶していません。
そして同時に思うのは、禁止することと教えることは別だ、ということです。危ないから遠ざける。触るな、と叫ぶ。それは大人にとっていちばん楽な方法でした。実際、私のように隠れて乗る高校生はいなくならなかったわけです。
三ない運動は2010年代に全国的な運動としては役目を終え、いまは「乗せて教える」方向へ舵を切った自治体もあります。半世紀近くかかりましたが、そちらのほうが筋が通っている気がします。
いまは自転車も、ヘルメットが努力義務になりました。あのころノーヘルで走っていた人間が言うのもなんですが、頭は一つしかありません。自転車用なら、帽子に近い形で違和感の少ないものも出ています。
20番乗り場は、いまもある
事件の現場となった新宿駅西口バスターミナルの20番乗り場は、いまも中野方面へ向かうバスが使っています。

私は路線バスの運転士です。毎日、同じ道を走り、同じ停留所で扉を開け、同じように「ありがとうございました」と言って一日を終えます。何ごともなく車庫に戻れたときの、あの静かな安堵は、十年以上たったいまも薄れません。
昭和55年のあの夜、20番乗り場で発車を待っていた運転士さんのことを、私は考えます。何も落ち度はなかった。それでも、自分の預かった車内で起きたことです。
「そのとき、どうするか」
正直に書きます。私は、この二つの事件を時々思い出します。
一つは、いま書いてきた昭和55年の新宿。もう一つは、2010年(平成22年)12月17日の朝に茨城県で起きた事件です。JR取手駅西口のバスロータリーで、停車中の関東鉄道の路線バス2台に男が乗り込み、通学中の中高生らを刃物で切りつけました。14人が負傷しています。
三十年の隔たりがあって、場所も手口も違う。それでも、共通していることが一つあります。停まっているバスの中で起きた、ということです。
走っているときのバスは、正直、外から手が出しにくい。危ないのは、扉が開いていて、人が乗り降りしていて、みんながまだ座席を探している、あの数十秒のほうなのです。運転士はそのあいだ、前を向いて発車の準備をしています。
だから時々、乗務中にふと考えることがあります。もし、いま、うしろで何かが起きたら、自分はどうするだろうかと。
答えは出ていません。ただ、取手の事件の報道を読み直して、一つだけ腑に落ちたことがありました。あのとき、一台目の運転士さんは異変に気づいてクラクションを鳴らし、生徒たちに「逃げろ」と叫んでいます。二台目の運転士さんは、乗客を逃がすために後ろの扉を開けました。
扉を開ける。人を外に出す。
考えてみれば、それは私たちが毎日、一日に何百回とやっていることです。特別なことは何一つない。とっさのときにできるのは、たぶんそういう、体が覚えていることだけなのだと思います。
全員を降ろすこと
バスは、知らない者同士が一つの箱に乗り合わせる乗り物です。誰がどこへ帰るのかも、今日どんな一日だったのかも、私にはわかりません。ただ、その全員を無事に降ろすことだけが私の仕事です。
あの夜、20番乗り場のバスに乗った8歳の少年は、家に帰るはずでした。王貞治のサインボールは、その子が球場で手に入れるはずのものだったかもしれません。届いた場所が祭壇だった、というだけのことです。
だから、当たり前を当たり前のまま終わらせることが、どれほど大事なことか。ハンドルを握るたびに、少しだけそのことを思い出そうと思います。
みなさんは、8月19日の新宿の事件を覚えていらっしゃいますか。あるいは「バイクの日」のほうから、昭和の三ない運動やノーヘル時代を思い出す方もいるかもしれません。バスでも、バイクでも、自転車でも構いません。あなたの昭和の「乗り物の記憶」を、よかったら聞かせてください。
あの頃の原付を眺めたい方へ。昭和の終わりから平成にかけての原付と小型オートバイを、車種ごとに並べたムックが出ています。タクト、JOG、DJ-1……名前を見ているだけで、当時のエンジン音が戻ってきます。
【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。
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