今日は10月1日、都民の日です。
全国のカレンダーでは、何でもない平日です。けれど東京で子ども時代を過ごした人にとっては、少しだけ特別な日でした。学校が休みになるのです。
この日付には、もうひとつ出来事が重なっています。昭和41年(1966年)の10月1日、グリコの「ポッキー」が発売されたと年表に記されています。私が生まれる2年半ほど前のことです。
東京の子どもだけがもらえた休みと、手を汚さずに食べられるチョコレート菓子。今日は、この二つの10月1日について書いてみます。
「都民の日」は、東京の子どもだけの休み
都民の日とは、そもそも何の日なのでしょうか。
話は明治時代にさかのぼります。明治22年(1889年)に生まれた東京市には、しばらくのあいだ自前の市長がいませんでした。市長の仕事は東京府知事が兼ねていて、名前だけの「特例の市」だったのです。明治31年(1898年)10月1日、東京市はほかの市と同じ仕組みになり、東京市役所と東京市長が誕生しました。

この日は大正11年(1922年)に「自治記念日」となり、戦後の昭和27年(1952年)に「都民の日」と定められました。都民の日は都内の公立学校が休みになり、上野動物園をはじめとする都の動物園や庭園にも無料で入れるようになりました。
もっとも、子どもの私に「自治」の話は関係ありません。わかっていたのは、10月1日は学校がない、ということだけでした。
とはいえ、休みなのは子どもだけです。都民の日は東京都の条例で決められた記念日で、国民の祝日ではありません。会社はふだんどおりですから、大人たちは、たぶん仕事だったのでしょう。小学生の頃の都民の日は、近所の友だちと、いつもの休みの日と同じように遊んで過ごしていたと思います。
いつの年だったかは特定できませんが、母に上野動物園へ連れて行ってもらった年があったことは、記憶に残っています。明治15年(1882年)に開園した、日本でいちばん古い動物園です。

中学、高校に上がると、都民の日は野球部の活動の日になりました。授業はなくても、グラウンドには行く。私の10月1日は、そういう日に変わっていきました。
妻は覚えていた、カッパのバッジ
昭和の都民の日を語るなら、外せないものがあります。「カッパバッジ」です。
東京都は昭和30年代のはじめから、都民の日を記念したバッジを毎年発売していました。最初は彫刻家の朝倉文夫のデザインでしたが、昭和34年(1959年)からは漫画家・清水崑の描くカッパになります。隅田川にカッパが住んでいたという言い伝えがあることと、清水崑のカッパの漫画が大ブームだったことが理由だったそうです。
このバッジは、都の施設に無料で入るときの目印でした。区役所や市役所の窓口、宝くじ売り場で売られたほか、都内の小中学校でもまとめて買うことができました。そのため、1960年代から90年代にかけて東京で子ども時代を送った人なら、たいてい覚えているのがカッパバッジです。
ところが、私にはこのバッジの記憶がまったくありません。
昭和51年(1976年)からは、デザインが漫画家・小島功のカッパに変わりました。昭和51年は、私が小学校に入学した年です。小学生時代の私の身のまわりにも、小島功のカッパがあったはずなのですが、どれだけ思い出そうとしても出てきません。
いっぽう、2歳年下の妻は、このバッジのことをはっきりと覚えていました。同じ時代に、同じ東京で子どもだったのに、片方は覚えていて、片方はまったく覚えていない。大人たちが仕事で、近所の友だちと遊んで過ごす都民の日には、バッジの出番がなかったのかもしれません。
昭和47年(1972年)からは色違いの5個セットも売られるようになりましたが、子どもが買うには高すぎる値段になってしまったそうです。やがて無料で入れる施設も減り、バッジの役目は薄れていきます。カッパバッジの販売は、平成9年(1997年)の都民の日が最後になりました。
その後、平成30年(2018年)に「東京150年」を記念して、カッパバッジは21年ぶりに復活します。新しいデザインのものと並んで、小島功が描いた昭和52年(1977年)のカッパの復刻版も売られました。昭和52年といえば、私が小学2年生だった年のカッパです。
東京ローカルだったこのバッジが全国に知られるきっかけになったのは、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に登場したことだといいます。自分の住んでいる場所を人に説明するとき、いまでも「こち亀の亀有」と言う葛飾育ちの私が、そのバッジを覚えていない。少し不思議で、少し可笑しな話です。

3つ年上のお菓子、ポッキー
さて、もうひとつの10月1日の話です。
ポッキーは、昭和41年(1966年)に江崎グリコから発売されました。昭和38年(1963年)から売られていた棒状のプレッツェル菓子「プリッツ」にチョコレートをかけ、端の部分だけはチョコをかけずに残して「持つところ」にしたお菓子です。手を汚さずに食べられるチョコレート菓子でした。この持ち手のアイデアは、大阪名物の串カツから思いついたとも言われています。

名前の由来は、食べるときの「ポッキン」という音です。発売前は「チョコテック」という名前でしたが、すでに同じ名前の商標があることがわかり、名前を変えることになったそうです。
いまでは海外でも売られ、チョコレートでコーティングされたビスケットとして世界でいちばん売れた商品に、ギネス世界記録で認定されたこともあります。生まれ年でいえば、私より3つ年上のお菓子です。
子どもの私にとって、ポッキーはちょっとお高い、高級なお菓子という印象でした。いつでも買ってもらえるものではありません。お出かけの日など、親の財布の口が緩みそうなときに、ようやく買ってもらえる特別なお菓子です。
だから、食べ方も慎重でした。持つところを握って、チョコのかかったほうから、ちょっとずつ味わう。それこそ大事に食べました。
いちごやアーモンドなど、いろいろな種類が出ていますが、ポッキーを選ぶなら、私はチョコ味です。
私が選ぶなら、やっぱりこれです。昭和41年から変わらない、いちばん基本のチョコ味。大容量の袋なら、子どもたちと分けても足ります。
いまの10月1日
カッパバッジがなくなった平成9年、私は28歳でした。
それでも都民の日は、いまも続いています。上野動物園、多摩動物公園、葛西臨海水族園、浜離宮恩賜庭園、六義園など、都の施設の多くには今日も無料で入れます。ただ、学校が休みになるかどうかは、いまは区や市によって違うそうです。
わが家でも、私立の中学に進んだ長男と次男には、都民の日の休みはありませんでした。いっぽう、公立の小学校、中学校、高校に進んだ子どもたちは、この日が休みです。
そして私は、基本的に都民の日には仕事を休みにして、子どもたちと過ごすことにしています。
昨年と一昨年は、小学生の子どもを連れて上野へ出かけました。先に国立博物館を見て、そのあと動物園へ回るコースです。上野の国立博物館には、私自身も小さい頃から何度も行っています。子どもの頃は歴史に特に興味はなかったのですが、子どもを連れて行くようになってからは、私のほうが強い興味をもって見て回っています。

子どもの頃の私にとって、都民の日は「大人たちが働いている日」でした。いまは、私のほうが仕事を休んで、子どもたちと上野を歩いています。母に動物園へ連れて行ってもらった小学生の私と、子どもたちを連れて動物園へ向かういまの私が、同じ上野の山でつながっているような気がします。
ポッキーは、いまの子どもたちも好きで、買うことはあります。けれど、私が子どもの頃に感じていたような「特別」という感じは、子どもたちからは見受けられません。裕福になったのかな、と思ったりもします。
上野動物園の140年を、元園長が動物たちのエピソードとともに案内してくれる一冊です。母に連れて行ってもらった頃の動物園も、子どもたちと歩くいまの動物園も、この歴史の上にあります。
おわりに
「都民の日」と聞いても、正直なところ、子どもの頃にカッパバッジを持っていたという記憶はありません。
でも、昭和の東京で子どもだった私にとって、10月1日はどこか特別な日だったのだと思います。
そしていま、10月1日はできるだけ仕事を休みにして、小学生の子どもたちと過ごす日にしています。
自分が子どもだった頃の「10月1日」と、親になったいまの「10月1日」。時代も立場も変わりましたが、子どもと一緒に東京の街で過ごす時間には、どこか昔の自分と重なるものがあります。
ポッキーを食べながら、そんなことを思った10月1日でした。
あなたは、カッパバッジを覚えていますか。私のようにまったく覚えていない方も、妻のようにはっきり覚えている方も、よかったら教えてください。東京以外で育った方は、「県民の日」で学校が休みになった思い出がありますか。
【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。
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