9月27日は「女性ドライバーの日」です。

大正6年(1917年)のこの日、ひとりの女性が自動車の運転免許試験に合格しました。日本の女性として、初めてのことでした。

私はいま、路線バスの運転士をしています。毎日ハンドルを握る仕事をしている身として、この記念日を知ったとき、自分が乗ってきたバスのことを振り返ってみたくなりました。子どもの頃に乗っていたバスのこと。そして、私が生まれる少し前まで、バスには運転手のほかに、もうひとり乗っている人がいたということを。


大正6年、23歳のハンドル

その女性の名前は、渡辺はまさん。栃木県の出身で、当時23歳でした。

渡辺さんはこの年の1月に栃木から上京し、自動車学校に入りました。4月に卒業すると、自動車商会で運転手見習いとして働きながら、試験に備えたといいます。その腕前は、試験官たちが驚くほどだったそうです。

大正6年といえば、自動車そのものがまだ珍しかった時代です。車を持っていたのはごく一部の人たちで、運転は男性の仕事と考えられていました。その中で、ひとりの女性が自分の力でハンドルを握る資格を手にしたのです。


白い襟、赤い襟のバスガール

女性とバスの関わりは、運転席より先に、車掌の仕事から始まりました。

大正9年(1920年)、東京市街自動車という会社の乗合バスに、日本で初めて女性の車掌が登場します。走ったのは新宿と築地を結ぶ路線でした。採用されたのは19歳から30歳までの女性たちで、当時としては高い給料も話題になったそうです。白い襟の制服から、「白襟嬢」と呼ばれました。

バスの横に立つ女性車掌(昭和9年)。東京乗合自動車(青バス)の「白襟嬢」。(撮影:石川光陽/パブリックドメイン, via Wikimedia Commons)

大正13年(1924年)には、東京市営のバスにも女性車掌が乗るようになります。こちらは制服の襟が赤かったことから、「赤襟嬢」と呼ばれました。

「バスガール」と呼ばれたこの仕事は、やがて女性のあこがれの職業になっていきます。昭和32年には「東京のバスガール」という歌も生まれ、広く親しまれました。もっともこの歌のモデルは、路線バスの車掌さんではなく、観光バスのガイドさんだったそうです。それだけ「バスに乗って働く女性」が、あこがれの姿として見られていたということでしょう。

車掌さんの仕事は、たくさんありました。乗ってきたお客さんに行き先を聞いて切符を売り、ドアを開け閉めし、停留所を案内し、安全を確かめて、運転手に「発車オーライ」と声をかける。運転手はハンドルに集中し、車内のことは車掌さんが引き受ける。バスは、二人で走らせるものだったのです。

ボンネットバスを洗う女性車掌(昭和31年ごろ、都営バス)。行先は「渋谷駅」。(東京都交通局/パブリックドメイン, via Wikimedia Commons)


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車掌さんが消えていった頃

その車掌さんが、少しずつバスから姿を消していきます。

東京の都営バスでワンマンカー、つまり運転手ひとりで走るバスの運行が始まったのは、昭和40年(1965年)2月のことでした。車掌の人件費が経営の重荷になっていたこと、そして車掌のなり手が足りなくなっていたことが背景にあります。昭和43年からは、ワンマンで走ることを前提にした車両も入ってきました。それでも、そうした車両に車掌さんが乗ることもあったそうです。切り替えは一度にではなく、路線ごとに少しずつ進んでいきました。

そして、都営バスの全系統でワンマン化が完了したのは、昭和53年度のことです。ただ、女性の車掌さんの姿は、その後もしばらく、ところどころで見られたといいます。

私が生まれたのは昭和44年4月。昭和53年度といえば、私が小学3年生の頃です。つまり私の子ども時代は、ちょうどバスから車掌さんが消えていく時代と重なっていたことになります。

けれど、私には車掌さんの記憶がありません。私の記憶の中のバスは、もうワンマンでした。

バスと女性と、ハンドルの百年。


小児科へ向かう京成バス

私が子どもの頃に乗った路線バスといえば、京成バスです。都営バスにはあまりなじみがなく、私にとってバスといえば京成バスでした。昭和55年から2年間だけ、都営バスが黄色く塗られた時期があったそうですが、その姿も私の記憶にはありません。

黄色い車体に赤い帯の「鈴木カラー」。都営バス90周年の記念に、昭和55年ごろの塗装が復刻された(2014年撮影)。(Photo: Comyu, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

いちばん鮮明に覚えているのは、風邪をひいて小児科へ行くときに乗ったバスです。ふだんの遊びの記憶よりも、なぜかその場面のほうが、いまでもはっきりと思い出せます。

ここからは、記憶が定かではないと前置きしたうえで書きます。

そのバスには、網棚があった気がします。床は黒っぽい木の床で、その床からは油のような、オイルのようなにおいがしていました。そして、すでに運転手さんひとりで走るワンマンのバスだったと思います。

バスに乗ると、私はいちばん前の席に座って、運転席をのぞいていました。のぞきたかったのは、運転手さんの手元だけではありません。フロントガラスの向こうに広がる、運転手さんと同じ景色を見たかったのです。いま私は、毎日その景色の中を走っています。

昭和の路線バスの定番だった、いすゞBU04の運転席。いちばん前の席から、この景色をのぞいていた。(2006年撮影/Photo: 103momo, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

とはいえ、バスの運転手になりたいと思っていたわけではなかったと思います。ただ、「どうやったらバスの運転手になれるのだろう」と不思議に思った記憶はあります。

大正6年の渡辺はまさんは、自分で自動車学校の門をたたき、運転手見習いをしながら試験に挑みました。子どもの私が不思議に思った「どうやったらなれるのか」の答えも、きっとそういう一歩一歩の積み重ねの中にあったのでしょう。


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2.9%のハンドル

渡辺はまさんが免許を取ってから、100年以上がたちました。

いまでは、女性がハンドルを握るのは特別なことではありません。それでも、バスの運転席となると話は少し違います。令和6年の国の統計では、バスの運転手のうち男性が10万人を超えるのに対して、女性は約3,000人。割合にすると、2.9%ほどにとどまっています。100人の運転士がいれば、女性は3人ほどという計算です。

かつてバスの車内を支えていたのは、女性の車掌さんたちでした。その車掌さんがいなくなった後のバスの運転席は、長いあいだ、ほとんど男性だけの職場だったのです。

私の今の職場には、これまでずっと、2〜3人の女性運転士が在籍しています。私たち男性運転士とまったく同じ仕事を、毎日ともにこなしています。

私の目から見て、女性運転士のみなさんは総じて「かなり優秀」だという印象があります。何度か、お客さんの立場で乗ってみたことがあります。運転操作はていねいで、接客の対応も、男性と比べると柔らかな感じがしました。お客さんからも好感を持たれやすいのではないかと感じています。

いま、業界では女性の運転士を増やそうという動きが広がっています。女性のバス運転士の団体は、その割合をいずれ1割にまで高めたいとしています。


ワンマンの運転席から

いま私が運転しているバスに、車掌さんはいません。

車内のアナウンスや、お客さんへの声かけ。ドアの開け閉めと、乗り降りの確認。お年寄りや子ども連れのお客さんへの気配り。そして「発車します」「止まります」という、安全のためのひと言。

考えてみれば、これらはかつて車掌さんが受け持っていた仕事です。バスが動き出すことも、止まることも、先にお客さんに伝えておく。その声かけひとつで、車内の転倒を防げることもあります。

かつて二人で分け合っていた仕事を、いまは運転士がひとりで受け持っています。車掌さんの「発車オーライ」は、形を変えて、いまは運転席からの「発車します」になっているのかもしれません。


おわりに

子どもの頃、街を走っているバスを見ていた自分が、今はそのバスの運転席に座っています。

私は、バスの車掌さんがいた時代の記憶はありません。でも、今日の「女性ドライバーの日」をきっかけに振り返ってみると、バスの仕事も、時代とともに少しずつ変わってきたのだと感じます。

日本で初めて女性が自動車運転免許を取得したのが、今から100年以上前のこと。そこから女性ドライバーが少しずつ道を切り拓き、今ではバスやタクシー、トラックなど、さまざまな場所で女性がハンドルを握っています。

そして自分も今、路線バスの運転士として毎日ハンドルを握っています。

考えてみれば、子どもの頃に何気なく見ていたバスと、今、自分が運転しているバスは、ずっと続いてきた「人を乗せて街を走る」という仕事の延長線上にあります。

時代が変わり、車両も変わり、働く人も変わってきました。それでも、運転席から見える街の景色には、昔から変わらないものがあります。

子どもの頃に見ていたバスを、今は自分が運転している。そして、その道の途中には、先輩ドライバーたちが積み重ねてきた歴史がある。

そんなことを思いながら、今日もハンドルを握って、葛飾の街を走っています。

9月27日、女性ドライバーの日。みなさんは、車掌さんが乗っているバスに乗った記憶がありますか。それとも、私と同じように、いちばん前の席から運転手さんの背中を見ていたでしょうか。


【昭和の今日は何があった日?】昭和四十年から六十四年までの「今日」を、当時子どもだった私の目線でたどっています。

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