9月7日 ── どんぶりを持って、道に出た|昭和の今日は何があった日?
今日は9月7日。 この日には、二つの記念日が重なっています。ひとつは「明星チャルメラ」が発売された日。もうひとつは「CMソングの日」。 一見、何のつながりもない二つです。片方はインスタントラーメンで、片方はラジオの広告の話。並べる理由なんてなさそうに見えます。 でも、私はこの二つを並べてみて、あ、と思いました。どちらも音の話なんです。 チャルメラという商品名は、屋台のラーメン屋が吹いていたあの楽器の名前です。テレビから流れてきたCMソングも、耳から入ってきて勝手に居座った音でした。 昭和の子供は、商品を音で覚えていた。そんな気がしてきたのです。 1966年9月7日、チャルメラが発売された 「明星チャルメラ」の発売日は、1966年(昭和41年)9月7日。今日でちょうど発売60周年になります。還暦です。 明星食品には、この4年前に大きな発明がありました。1962年に開発したスープ別添方式です。それまでの即席麺は麺そのものに味を付けて油で揚げていたため、どれを食べても似たような味にしかならない。ところがスープを粉末にして小袋に分けたことで、味の種類が一気に作れるようになった。この方式は各社に模倣されて即席麺の標準型になり、焼そばや和風麺まで生まれます。今スーパーの棚に袋麺が何十種類も並んでいるのは、もとをたどればここに行き着くわけです。 その技術の上に立って作られたのがチャルメラでした。開発はラーメン屋の食べ歩きから始まったといいます。目指したのは「街のラーメンの味」「飽きない味」。ホタテのエキスをスープに加え、仕上げ用に別添の「木の実のスパイス」を付けた。「木の実」と「好み」をかけた名前だそうです。現在は「秘伝のスパイス」と名前を変えていますが、中身は発売当初からほとんど変わっていないとのこと。 そして、あの袋です。夜の町角、明かりの灯る屋台、庇付きの帽子をかぶってチャルメラを高く吹き鳴らすおじさん。あの絵は200点以上の候補から選ばれたもので、描いたのはイラストレーターの木村修二さん。おじさんも、猫も、屋台も、夜景も、すべて同じ人の手によるものでした。 商品名を音から取り、パッケージにその音を吹いている人を描く。考えてみると、ずいぶん大胆なことをしています。袋の中から音は出ないのに、見た人の頭の中では鳴っている。 わが家の袋麺は、サッポロ一番だった 正直に言うと、わが家の定番はチャルメラではありませんでした。 サッポロ一番のしょうゆ味。これが基本です。母が作ってくれて、必ず卵を落としてくれました。あの、白身が半分固まりかけたところをスープごとすする感じ。袋麺の味というより、あれはもう母の作るラーメンの味として記憶に残っています。 ただ、チャルメラもちゃんと食べています。ときどき、しばらくチャルメラが続く時期があった。子供心には理由がわかりませんでしたが、たぶん安売りしていたんでしょうね。母がスーパーで、いつもの棚を見て、こっちが安いからと手を伸ばした。それだけの話だったはずです。 その「それだけの話」が、六十年続いた商品の売り上げの一つになっている。当たり前ですが、ロングセラーというのは、そういう小さな判断の積み重ねでできているのだと思います。 どんぶりを持って、道に出た そして、屋台のほうのチャルメラです。 これははっきり覚えています。昭和五十年ごろ、わが家の前の道を、夜になると屋台が通っていました。チャルメラを鳴らしながら、ゆっくりと引いて歩いてくる。 どんぶりを持って買いに出た記憶があります。家の器を持って、外に出て、道の上でラーメンを受け取る。今の感覚だと、なかなかすごいことをやっています。店に行くのでもなく、出前を待つのでもなく、店のほうが家の前まで来る。 思えばあの頃、うちの前の道はいろいろな商売が通っていく道でした。豆腐屋のラッパ。竿竹屋。石焼き芋屋。チリ紙交換。みんな、それぞれの音を持っていました。 そして私は、石焼き芋屋の後ろをくっついて歩いて、一緒に「いーしやーきいもーおいもー」と叫んでいたことがあります(笑)。今考えると、商売の邪魔以外の何物でもない。よく怒られなかったものです。 引き売りというのは、音で自分の存在を知らせる商売です。看板も出せない、チラシも配れない。だから音を出す。豆腐屋はラッパ、ラーメン屋はチャルメラ、焼き芋屋は自分の声。 ちなみに、こうして売り歩く商売はずいぶん昔からあります。下の絵は室町時代の『七十一番職人歌合』に描かれた豆腐売り(右)と素麺売り(左)。五百年前から、人は物を担いで町を歩いていました。 そのぜんぶが、いつのまにか街から消えました。 9月7日はCMソングの日 もうひとつの記念日にいきます。 1951年(昭和26年)9月1日、日本で民間ラジオ放送が始まりました。この日開局したのは、名古屋の中部日本放送と大阪の新日本放送の二局。それまでNHKだけだった電波に、初めて広告が乗ることになったわけです。 この機会を逃さなかったのが、小西六写真工業——のちのコニカ、現在のコニカミノルタでした。民放の第一声で新番組を始めたいと考え、30分の番組枠を買い、曲づくりを人気の作詞・作曲家、三木鶏郎に委嘱します。 三木が考えたのは、「NHKではできないものは何か」ということでした。そこで出てきた答えがコマーシャルソング。こうして生まれたのが「ボクはアマチュアカメラマン」です。歌ったのは灰田勝彦。 この曲がすごいのは、社名も商品名もいっさい出てこないことです。「さくらフイルム」のCMでありながら、歌の中にその名前が出てこない。代わりに歌われているのは、ピンボケだの露出過度だのブレだのという、アマチュアカメラマンの失敗談ばかり。CMだと気づかれにくく、だからこそ多くの人に抵抗なく受け入れられて、大流行したといいます。 ちなみに、この曲の初オンエアは開局日の9月1日でした。それでも9月7日が記念日になっているのは、この曲が9月7日から始まった三木の担当番組『冗談ウエスタン』のために作られ、その番組で毎週流されていたからだそうです。 三木鶏郎はこの後、誰もが口ずさめるCMソングを次々と世に送り出していきます。「明るいナショナル」も「キリンレモンのうた」も、この人の仕事でした。 「明るいナショナル」——ここまで読んで、頭の中で勝手に鳴り出した方がいるのではないでしょうか。私はそうでした。 その三木鶏郎という人については、まるごと一冊の評伝が出ていました。日本最初のCMソングから、政治家を怒らせた諷刺コントまで。この記事を書きながら、いちばん読みたくなった本です。 冗談音楽の怪人・三木鶏郎 ラジオとCMソングの戦後史(新潮選書)泉麻人/新潮社。戦後最大のラジオスターにして、日本最初のCMソングの作り手。永六輔や野坂昭如を輩出した傑物トリロー、初の評伝。星4.1 Amazonで見る › 三丁目の電柱 私がいまだに全部歌えるCMソングがあります。 ...